No.2-3 「アップデート」
寝起きのせいか、血を流したせいか、頭が上手く回らない。
ぼきぼきと体から音が響く。硬い床で寝てしまった反動だ。
昨夜、腕から垂れる血液で腹を満たした後、ベッドに向かう間も無く睡魔に襲われた。
腕を色づかせる血を拭き取りたかったが、そんな余裕もないほど睡魔は強かった。
朝から後始末をしないといけないなんて、最悪。
人でなくなった喪失感を抱きつつ、腕を触る。
自分の歯を突き立てた場所を探すが、すべすべで傷跡が見当たらない。
服に付着した血も綺麗さっぱりなくなっている。
あれは夢……悪夢、だったのか。
でも、あの痛みは本物だ。
それに、お腹の満腹具合も現実だと訴えている。
『ブブブ』
スマホが鳴った。人の集中を邪魔しおって、どこのどいつだ。
どうせ携帯会社や、変なアンケートなんだけど、今は着信音すら気に触る。
怒鳴ってやろうかと、できもしないことを考えながら電話に出る。
「ヤナ!! すまん!!!!」
耳割れするほどデカい声量に、寝起きの頭が覚醒する。
和也か……和也だと!
「まったく、連絡つかなくって心配してたんだぞ」
「それもあるんやけど、……風邪? ヤナにしては声が高いような気が」
しまった。今の自分の姿を忘れていた。
何の準備もせずに電話に出たせいで、女の子になったことを誤魔化すのを完全に忘れていた。
「ああ〜、そうそう咳も止まんなくてさ。……お見舞いとかいらないからね!」
ちょっと強引すぎたかな。
なんてバレないよう祈ると、
和也は普段と同じ態度で、
「ほうか、安静にしとけよ」
とだけ言ってきた。
和也の反応を見て、俺は気づいた。人の性別が変わったことを察知するなんて、不可能に近いということに。
「で、俺が謝ったんは失踪してたことやなくて、ヤナにアザクラを進めてしまったこと。ヤナも体、変わったんやろ」
「ゲームをやったのは俺だから、和也が謝ることじゃない。それに、もってことは、和也もだろ。大変なのは俺だけじゃない」
「こんな状況になってもそんな言葉を……、流石ヤナ! よっ、日本一心の広い男」
ふふ、和也……俺はもう男じゃないんだよ。
無くなった息子の影を握り、聞こえないように呟く。
「和也は昨日とか何してたの?」
「ん、俺か? 俺は俺で必死に情報収集をしていたのだ。連絡に出れなかったのはすまな。ずっとアザクラの世界に引きこもって、スマホを見る時間がなかった。そうだ! あとでフレンドコード送るから登録しといてくれ」
「フレンド機能なんてあるの?」
「もちろん、フレンドチャットを使えばあっちの世界でもこっちの世界でも自由に会話できるからな。ついでに、アザクラのアプリに新機能が追加されたから、それについて教えてやる」
やっぱ持つべき友は優秀な友だよ。
和也との通話を一度切って、パソコンの通話アプリに移動する。和也のスマホを画面共有してアザクラのアプリを起動する。
「追加された機能は3つ、昨日まではアプリを開いたときには同期しかなかったけど、その下に表記が増えてるだろ」
確かに、同期のボタンは相変わらずだが、新しくフレンド/ストレージ/ステータスのボタンがそれぞれ追加されていた。
和也がボタンを押しながら一つずつ丁寧に教えてくれた。
・フレンド
フレンドの居場所、生死、ステータスを確認する。
・ストレージ
所持しているベグ、素材を管理する。
・ステータス
所持しているスキル、称号、役職を確認する。
ゲームをプレイしたことある人なら想像がつく内容。
U Iも簡素なもので、【創造主】はこのゲームもどきには、こだわりがないんだろうな。
隠されているステータスがないか自分のステータスを開くも、所持しているスキル、称号、役職、俺の場合は種族だが、聞いたことのあるものだけ。
説明も終わったので、画面共有を閉じようとしたとき、和也の役職が目に入った。
「……お前、聖騎士なのか?」
「おうよ、はっきり言って俺は強いぞ。だからヤナ、クエストに困ったら俺を頼るように。あとあと、これからフレンド作る予定があるなら、フレンドの設定から居場所を切るようにしとけよ」
「設定って…この歯車か」
公開領域として、フレンドが見れる俺の情報を制限できるのか。
ひとまず種族、居場所、ステータスぐらいは制限しておこう。
「落ち着いたら、また一緒に遊ぼうな。俺も忙しくなるし、ヤナもやることがあるだろうからさ」
「りょーかい……和也、お前ってすげぇよ」
俺は突然のことで何もできなかったのに、和也は一日でこんなにも情報を掴んでて、それを俺に優しく教えてくれて、頼りになりすぎる。
「いきなりどうした? 褒めても何もでんぞ」
「いや、今日はありがと、助かった」
「俺とお前の仲だろ? ……死ぬなよ、絶対に」
「遺言ぐらいは残して死ぬよ」
その言葉を最後にパソコンの電源を落とす。
和也と会うのはまだまだ先になるな。
それまでにこの体と向き合って、あいつの目を見て話せるようにしないと。
部屋にある常温の水を一口飲む。姉から貰ったシュシュで長ったらしい銀髪を一纏め、リビングへ向かうためドアに手をかける。
回して、押して、廊下に一歩踏み出す。
「うへぇっ!」
部屋を出た瞬間に、視界が暗転し、鼻先に強烈な痛みが飛んできた。
転んだ、しかも顔面から。
すぐに起き上がり、鼻がもげていないか確かめる。
ほっ、鼻血は流れてるけど、折れたり無くなったりはしてない。
重音を聞いて、ラフな格好の姉がリビングから走ってきた。
女の子座りで鼻血を垂れ流している俺を目の当たりにして、悲鳴を上げた。
「ケンちゃん大丈夫!? おっきな音が聞こえてきたんだけど……きゃあああああああああああ!!! 血が! 血がぁ!!」
「鼻打っただけ、大袈裟に慌てないでよ」
「ケンちゃん痛くなかった!? 鼻血も出てるし服もこんなに汚しちゃって……洗ってあげるから一緒にお風呂入ろっか」
一緒にお風呂、だと……。
「嫌だ!! 入りたくない!!」
自分の裸を姉になんて見られたくない。高校生にもなって姉と一緒に風呂に入るだなんてどうかしてる。
駄々をこねるように抵抗するが、ひと回り大きい姉に敵うわけもなく、姉は俺の脇に手を挟み、抱っこして洗面所まで連行した。
姉に服を脱がされ、あっという間に生まれたままの姿になってしまった。
裸で待機している俺の前で、姉は血のついた服をさっと水で洗う。観念した俺は体育座りで姉を眺めていると、姉が自分のベルトを外そうとしたところで、急いで浴室に身を隠す。
家族といっても年頃の男の前なんだ。人並みの羞恥心ぐらい持ってくれ。
変に緊張しているままバスチェアに座り、どこまで体が汚れているのか確認しようと、浴室の鏡の前に立つ。
鏡に映る現実が、思い出させる。自分の姿が鏡に映らないことを。
鏡を見られたら終わりだ。
俺が人でなくなったことが姉にバレてしまう。
百歩、いや、千歩譲って性別が変わったのはいい。
だけど、種族すら変わったことが姉に知られたら、どんな扱いをされるか。
ガラガラと扉の開く音がした。
鏡に映らないなんて、言い訳することも誤魔化すことも不可能。
俺に残された道は覚悟を決めることだけだった。
しれっと入ってきた姉は一瞬鏡に視線を送るも、すぐに体を丸めていた俺と目を合わせる。
「鼻見せて〜、……うん! 血は止まったみたい。お姉ちゃんが洗ってあげるから座っててね」
「……うん、ってちょっと!!」
姉はシャワーヘッドを手に持ち、バスチェアに座っていた俺の背中に回る。
自分の手に当てて温度を測る姉。
「あのね、男の子と女の子は体の洗い方が違うんだよ? 見て覚えてね。私以外に教える人がいないんだから、じゃないとずっと私と一緒に入らないと駄目」
そう言って、姉はシャワーヘッドをこちらに向けて固まった血を流してくれた。それが終わると、髪の洗い方や体の洗い方やデリケートゾーンの洗い方など、20分ほどみっちりと体に覚えさせられた。
全身隈無く触られたことで、俺の意識は溶けきっていた。当たり前だ。姉に体の隅々まで見られ、触られ、逃げることができなかったんだから。
姉は俺の体を洗い終わると、やりきった笑顔で浴室から去っていった。
何やら事務所と大事な話があるのだとか。
姉は鏡に映っていないことを見て見ぬふりをしてくれた。
気を遣ってくれているのは理解できるが、何触れられないことに、さらなる不安を感じてしまう。
水滴が顔を弾く、濡れた髪が重い、見慣れない体に興奮する。
自分の赤い頬をばちんと叩く。
センチメンタルになるなと自分を言い聞かせ、重い足取りで浴室から出る。
洗面所の空気が温まった体の温度を下げる。
本当に風邪をひかないよう手早く体をタオルで拭く。
男物の下着、ぶかぶかの部屋着に着替えて『同期』する。
デゥアルに無理やりでも褒めてもらわないと。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「おはようございます」
目覚めてすぐに映るのはデゥアルの整った顔、いつも通りの光景にほっとなる。
「おはよ、デゥアル」
適当に挨拶を返し、今の状態について聞いてみた。
「なんで俺をお姫様抱っこしながら森の中を走ってるの?」
「……私もさっぱりです」
首を傾げながら失笑するデゥアル。木の枝を飛びまわる、何かから逃げているほどのスピードで。
この高さから、このスピードで落とされてはひとたまりもないので、デゥアルの首に腕を回し、止まるのをじっと待つ。
すると、デゥアルはオブジェクト・リングを地面に向かって投げ、その位置に飛び込んだ。
俺は甲高い悲鳴を上げて腕に力を入れる。
刹那、風を切る音がやんだ。目を開けると、草木なんか到底生えそうもない地下、もといデゥアルと出会った場所にいた。
デゥアルが俺の終わっている前髪を正して、地面に置いた。
俺は適当でもいいから、ポジティブになれる言葉をかけて、とお願いすべく、体を180度回転させる。
だけどそこにいたのは、壁に背をつけ、疲れを隠そうとしないデゥアル。
泥や血液で汚れているメイド服、派手な息切れ。
抱っこされている時には近すぎて分からなかった。
そんなデゥアルに誉めてと、強制することなんてできないし、追求することもできない。
「あのね、デゥアル。……俺、血が、おいしいんだ」
俺の問いを聞いた瞬間、デゥアルは何も答えず、オブジェクト・リングから5本の赤い液体が入った試験管を取り出した。
「それって?」
「これは昨日に取った、ファーの血液です」
「昨日って、デゥアルは、知ってたんだ、こうなることを」
デゥアルは悪びれる気もなく答える。
「吸血種は、血液でしか栄養を取ることができません。だからこそ、昨日のうちに、私以外の眷属を見つける必要があったのです。私の血は、おいしくありませんから」
「だったら……教えてくれたっていいじゃん」
「ヤナは、血を摂することでしか生きられない。そう言われて信じますか?」
何も言い返すことはできない。
俺はありえないとユラの言葉を信じなかったし、食事のことだって実際に体験するまでは信じなかっただろう。
デゥアルは俯いている俺に目線を合わせて、
「すみません、少し言い方がきつかったですね。一番つらいのはヤナだと知っています。一緒に居たいのはやまやまですが、私の活動できる時間がもうありません。ユラ様は眠っているはずですが『影化』で会いに行っても大丈夫だと思います。私は眠る前に、町に出る魔法陣を貼っておきますね。おやすみなさい」
そう言って、デゥアルは真っ赤な箱の中に姿を消した。
俺は受け取った試験官を一本開けて、口に流し込む。
昨日感じた、ファーの味。
甘酸っぱくも、俺のよりも滑らかな血は、俺の心を癒してくれた。
大丈夫、何かあったら、ユラに会いに行けばいい。
一歩踏み出して、魔法陣の光を体に浴びる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「クソッ! 一分前の自分を殴りたい!!」
町を歩いていると、なぜか視線が集まってしまう。それもそのはず、始まりの町だというのに、高価な真っ赤のワンピースを着て歩いてる銀色の美少女だもんな!
デゥアルに着せてもらった布には視線除けの効果があったのか。
その布も貰っておくべきだった。
町中で服を着替えられるわけもなく、人々の視線に耐え抜きながら道を進む。しかし、ギルドまでの道がわからない。
地図なんてないし、人に聞いても無視されてばかり、このままでは埒が明かないので、串焼きのおっちゃんに訊くことにした。
「おっちゃん、ギルドまでの行き方って知ってる?」
「知ってるが、嬢ちゃん一人で行くのか? 昨日一緒にいたお姉ちゃんはどうしたんだい?」
「寝てるから今日は一人なの」
「そうかい、ま、気をつけなよ。ギルドへの行き方はな」
おっちゃんが教えてくれた道を進むと、ごろつきに絡まれることなく無事ギルドに到着することができた。
「おっき~」
外見はよくある二階建ての洋風の屋敷みたいな感じで、中からはスキルリングを手首にはめた獣人種や、2mほどの大きな斧を背中に背負っている小人種など多くの種族が出入りしていた。
俺がギルドに入ると、ざわつき始め、ひそひそと俺を横目に話す連中。その視線を無視して、和也から教えてもらった通りに受付に進む。
「すみません、クエストについて教えてほしいんですが」
受け付けは一枚の紙とペンを渡してきた。
「こちらの紙に名前と種族を記入してください。その後に会員証を渡します」
俺はその紙にヤナと亜人種と書いて受付に返す。
受け付けはその紙を受け取る、手元に置いてあった紙を読み込ませる機械に入れると、そこからカードが出てきた。
「初めは誰でもブロンズからスタートになります。名前の下のゲージはクエストをクリアするごとに溜まっていき、100%になると昇格クエストを受けられるようになれます。紛失した場合は、再発行ができませんのでご了承ください。以上で説明を終わります。あちらのクエストボードからブロンズのクエストを受けてください」
和也からシルバーまで絶対に上げておけ、と言われたので、早速ブロンズのクエストボードまで足を運ぶ。
薬草を摘んでこい。薬草を摘んでこい。薬草を摘んでこい。
この町はどれほど薬草不足なんだ? おっ! やっと討伐クエストを見つけた。
なになに、スライムを10匹倒す。スライムだろうが薬草摘みよりはましだ。
クエストを受けるため、クエストボードに貼られている紙を取ろうと手を伸ばすと、誰かの手が触れた。
手の主の方を見ると、ケモ耳を携えた俺と同じ身長のロリッ子がいた。




