No.2-10 「ちゅんちゅん」
俺は自宅以外だと朝は強い方だ。
安心感がないとか、人のことを信用していないとかじゃない。
昔っからそうなだけだ。
今日も今日とて例外はない。
体を起こしてぐーっと背伸びをする。8月というのになんだか肌寒い。
不思議に思い自分の体を見下ろすと、上半身裸でパンツ一丁という、寒くて当たり前の姿だった。
ごくりと息を飲んで、隣ですやすや寝息を立てるカエデの布団を捲る。
……やっぱし、何も着てない。
ううん、ブラジャーしてるし、着てないってことはないよ。
でもね、服脱いでんじゃん!
朝からえっちな気分にさせないでよ!
心の中で叫びながら視線を外して布団の位置を戻す。
その時、ふとカエデの唇が目に入ってしまい、昨日してしまったキスの記憶が鮮明に蘇って……こない。
キスをしたってことは覚えてるけど、どんな風にしたのかを、それから先のことを覚えていない。
興奮しすぎて記憶が飛んだ?
現実的じゃないけど、ありえる。
ユラ、起きてる?
起きてるんだったら昨日のこと教えてよ。
何度呼びかけても返事はこない。
肝心なときにいないんだから。
ま、詳しいことはカエデから訊けばいいか。
でもその前に……。
そーっと指先でパンツをまさぐり、かぴかぴになっていないのを確認してほっとする。
行為までには至ってなかった。
したいとは思ってるけど、自分のあそこをまだ触ったことがない。
トイレすら一回もしてないし、洗うときも触れないよう気を付けてる。
だって……怖いんだもん。
女の子になった初日に触ったさ、ちょんってさ、ほんとに先っぽだけ。
でも、めっっっっちゃ痛かった。
慣れるまで触ろうだなんて思えないほど痛かった。
なんだろう。
キンタマ蹴られるよりはマシだったけど、喉に指を突っ込んだ時ようなの異物感が特に凄かった。
うん、とくかく凄かったんだよ。
チュンチュン鳴くスズメと、ミンミン鳴くセミの合唱のせいで二度寝する気も起きず、ベッドから立ち上がる。
床に置いておいたTシャツとショートパンツを着ていると、カエデが欠伸をしながら体を起こした。
「早起きやねぇ。んんっ……はぁ」
「起こしちゃった?」
「ううん、いっつもこんぐらいに起きるから平気やよ」
カエデは口元のヨダレを手で拭うと、その動きにケモ耳も連動する。
着替えを終えた俺はカーペットで胡座をかいてカエデの獣の部分を観察する。
今更だけど、カエデって人の耳と獣の耳を合わせて4つあるんだよな。
ケモ耳も動いているし、ぴくぴく動くから飾りって訳でもなさそう。
「……ヤナちゃんも尻尾とか気になるん?」
視線に気付いたのか、カエデは着替えている途中でありながらも尻尾を両手で抱え、手を櫛に見立てて毛並みを整える。
「気には、なるね。持ってないんだから」
「やったら触ってみる?」
「んー、……さわ、る」
カエデはベッドに腰掛けて尻尾を差し出す。
寝起きの頭と、もふりたい気持ちが交差して、顔をカエデの尻尾に埋める。
毛先が頬をくすぐり、動物特有の匂いが鼻に充満する。
気持ちいい。
羽毛の枕のみたいにふっかふかで、眠気を誘う太陽光が体に当たって、このままだと寝ちゃいそう。
尻尾を枕のように胸に抱いて、ぎゅっと体を縮こませる。
あれ?
手触りがさっきと違う。
さらさらっていうよりかはすべすべで、なんか布? みたいなのもある。
それに、揉むと指が沈み込むし、二つに割れてるところも発見した。
「ちょっ、ヤナちゃん! そこは触ったらあかんって!」
「そこってどこぉ」
「う、うちのお尻!」
「おしりぃ? おし……り? ……うわぁ!」
そりゃ割れてるよ、だってお尻だもん。
待てよ。じゃあさっき俺が揉んだのって、カエデのお尻!?
まじかぁ、俺、お尻をもにゅってしちゃったの?
カエデのお尻の温もりが今、俺の手のひらにある。
カエデに指摘されて咄嗟に離れたはいいが、寝ぼけてお尻を揉むのはやらかしレベルが高い。
カエデはそそくさとワンピースを着て、ベッドの上で体操座りをする。
腕を組み、恥ずかしそうに天井を見上げながら、ぷんぷんと効果音を鳴らして言葉を並べる。
「まだ告白の返事も貰ってないのに、キス以上のことをしたら駄目やで。うちやって我慢して昨日はキスしかしてないんよ。なのに、寝ぼけとってもヤナちゃんからされたら、歯止めなんて効かんくなるよ」
「……ごめんなさい」
「事が終わってから謝っても意味ないんよ。ちゃんとせな、ヤナちゃんが危険な目に会うねんから……うちのせいで」
「うぅ、こればっかしは……謝るしか……」
「で、どうなん?」
「どうって?」
「……ヤナちゃんの気持ち」
行間的に、カエデの告白に対する気持ち、だよな。
普段ならドッキリと疑いながらも、二言返事でOKしていた。
でも、今回は状況が状況のせいで、女の子からの告白に素直に喜ぶ事ができない。
だって……カエデが好きなのはユラの皮を被った俺だ。
カエデを守れず、誰かに頼ることしかできなかった俺じゃない。
ーーカエデの命の恩人はユラだ。
そのことを言ったら、カエデは俺に対して、どんな風に接するようになるんだろうか、想像したくもない。
何も答えられずにいると、カエデは涙を浮かべ、勢いよく熊五郎を投げつけてきた。
そして、嗚咽混じりに疑問を吐き出す。
「そない辛そうな顔せんといてや。うちが悪者みたいやんか。……なんなん? 女の子好きになったらあかんの? ときめいたらあかんの? 気持ちを伝えたら、なんで、なんで……どっかいっちゃうん?」
「……俺はどこにもいかな『嘘だ!!』」
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ。そう言ってみほは黙って消えてった! 他の友達も全員、うちのこと気持ち悪いおもて! どうせヤナちゃんもうちのこと、どっかで蔑んでんねん!」
とめどなく溢れるカエデの本心。
どこか怯える険しい顔で、俺の顔を睨んでくる。
でも、俺の心は動揺していない。
昨日のうちに覚悟を決めたからなのか、面と向かって叫ばれても冷静でいられる。
ヒステリックになったカエデの隣に腰を落とし、両方の人差し指でカエデの目元を抑える。
「俺はどこにも行かない。でも、秘密を知れば、カエデがどっかに行っちゃうような、そんな秘密を俺は持ってる」
「……秘密?」
「ああ、秘密を隠したままで付き合えないよ」
「なんでうちには教えられへんの?」
「俺はカエデのそばにずっといたい。俺だって、カエデが手の触れないところに行くのは嫌だ」
俺は自分がポンコツなのを理解している。
だから、いつかは秘密もバレてしまうだろう。
でも、その時までは……カエデとの関係を築いていこう。
――俺が男だと知ったら、カエデは俺のことを蔑むんだろうな。
顔を近づけ、柔らかな感触が唇に。
ヒックヒックと痙攣するカエデの吐く息が生暖かい。
そのまま体を押し倒し、昨日と全く同じ体制になる。
艶かしい雰囲気に飲まれ、潤滑油を塗られた車輪のように口が動いてしまう。
「体に直接教えてあげる。俺がどれだけカエデのことを喜ばせたいと思ってるかを」
ベッドとカエデの背中に手を潜り込ませ、頬を伝う涙を舌で舐める。
舌先がカエデの肌に触れて、ビクッと反応する。
カエデは口を手で抑えるが、俺が舌でカエデの首に線を引くと、脳に響く声が漏れ出てきた。
そのまま舌をカエデの肩までなぞって、小さな穴を傷つけぬよう甘噛みする。
はむはむしながら、ショートパンツに手を伸ばすと、【ビービー】と、スマホが振動した。それも俺とカエデの二つ同時に。
無視して行為を続けようとするが、スマホが勝手に開き、ある男の音声が大音量で流れてきた。
「やぁ、アザクラ……もといother world createをプレイしてくれているみんな! こうして会うのは初めてかな。僕の名前は【創造主】。このゲームを作り出したものだ」
なぜか無性にイラついてしまう口調。
舌打ちをしてベッドから飛び降り、スマホの電源を切るが、画面にはボロボロのローブを纏った顔をモザイクで隠している【創造主】が映ったままだ。
音量を下げても意味がない。
カエデも困惑している様子で、布団で身を包んでミノムシのようにくるまっている。
「最近カーディンに悪魔がいたって悪い噂聞いたけど、あれ、本当だから。でもね、ランクをゴールドまで上げた人がいるって良い噂も耳にする。いいことだ。って、話は変わるんだけど、一週間後、つまり8月9日に大型アップデートするね。第二の都市というか、国、ニーベングの解放だ! 詳しいことはアプリで説明してるから要チェック! あとあと、……ランクはシルバーまでは上げておくように!」
早口でまくし立て、言い終わると同時に画面が真っ暗になった。
緊急の連絡かと一瞬思ったが、ただのアプデ報告。
そんな意味のないもので、カエデとのラブラブの空気を台無しにされたという事実にだんだん腹が立ってきた。
足首まで落ちたショートパンツを履き直して、ベッドに座る。
変な男のせいで続きをできる雰囲気じゃなくなったし、かといって一人でリビングに行く気にもなれない。
「どうしよっか……とりあえずリビングにでも行く?」
「そ、そうやね。あっと……、うちは先にお花摘んでくるから、先にリビング行っといて」
と言って、カエデは颯爽と部屋から去っていった。
お花って、トイレのことだよな。
わざわざ言い直すって律儀なこった。
そういえば、俺はいつおしっこしたくなるんだろ。
この体になってから、まだ一回もトイレにいったことがない。
体の構造を全く知らないけど、昭和のアイドルじゃないんだからいつかは膀胱が限界を迎えるはず。
……ま、いっか。
その時が来たらトイレに駆け込んだらいいだけだし、やり方も男の時と変わんないだろうし。
スマホを片手に立ち上がり、ドアノブを回す。
『ガチャ』
扉の奥には廊下ではなく、いつか見た真っ白な空間が広がっていた。
またか、とため息を吐いて、姿が見えない家主に声をかける。
「さっきぶり、でいい?」
「いいよ! さっきぶりだねぇ。やーなーちゃんっ」
「……人の恋路を邪魔する男は嫌われるって知らない?」
俺がじーっと、もやのかかった【創造主】の顔を見つめると、【創造主】は「アハハ!」とその場で地面を叩いて笑い転げた。
「待って、恋路? だってwww。君ぃ、お笑いの才能あるよ。アハハッ、僕が笑うって珍しいけどねぇ。そんなに面白いことを言われたら……アーハハッ!」
「俺を笑いに来たんだったらどっか行け!」
「もーこんなんで拗ねないでよ。まぁ、前置きはこれぐらいで、……こほん、君は既にアルギュロスと接触してるでしょ。彼女が何を吹き込んだまでは僕も把握していないけど、会ったのならその日にでも僕に連絡してほしかったな」
「ちょっと待て……アルギュロスって誰だ?」
「へ? 知らない?」
困惑の色を隠さない【創造主】。
名前的にアザクラの人物だと思うけど、俺が遭遇したのはユラ、ファー、デゥアルぐらいで、アルギュロスだなんて名前の人とは会ったことがない。
要件がそれだけならさっさと帰してほしいので、迷惑そうなオーラを全開にする。
しかし、【創造主】はしかめっ面の俺の目を強引に開かせる。
「――うわっ、ほんとに知らないんだ」
「わかったなら帰してよ。俺はお前と世間話するほど暇じゃない」
「そう……だったらいいよ。じゃ、またいつか」
【創造主】は淡白にさよならを告げ、真っ白な空間から消えていった。
しばらくすると、背景も色付きはじめてカエデの家に戻った。
……アルギュロス。
どこかで聞いたことあるような、ないような。
ま、別に思い出さなくてもいいだろ、重要なことでもなさそうだし。
一階に降りて、リビングに入る。
そこには誰もおらず、しーんと聞こえるぐらいの静かさだった。
カエデの両親は仕事っぽいし、紅葉はまだ部屋で寝てるのかな。
コップに水道水を汲み、ソファに座ってスマホをぽちぽちする。
コップが空になるのと同じタイミングでカエデがトイレから戻ってきた。
隣に座ると思い、腰を横に動かしてカエデのスペースを空ける。
「あれ? わざわざ着替えたの?」
トイレに行く前は膝まである水色のワンピースを着ていたが、今はノースリーブのだぼっとしたTシャツとデニムのショートパンツ。
わざわざ1日のうちに、それもたった数分で服を着替えるなんて理由、俺には想像もつかない。
単純に気になって質問するが、カエデは顔の前で両手を振って、濁すように答える。
「なんや、今日はワンピースの気分やないなって、そうなっただけ」
嘘は言ってないけど、何かを隠しているような言い方。
でも、そこを追求するほど俺も気を遣えないわけじゃない。
話題を変えようと、今日の予定について訊くことにした。
「昼からどうしよっか? 俺は予定とかないけど、カエデは?」
「うちもないんよ。ヤナちゃんが行きたいとこあったらついてくけど」
「行きたいとこか。……したいことだったらある」
「どんなこと? なんか食べたいとか? それとも……の続き、とか?」
「いや、新しい都市が解放されるみたいだし、ランクをシルバーに上げようかなって」
「……へー、そうなんや。ヤナちゃんはうちと遊ぶよりもゲームの方がいいんや。へー」
「ん? カエデと一緒にするつもりだけど」
「や、やったらゲームするより、一緒に近くのショッピングモール行こ! うち、この体に合った服が欲しいんや」
カエデは俺の太ももに手を乗せ、前のめりになって提案してきた。
焦っているように見えるが、断る理由もなかったので首を縦に振る。
すると、カエデはほっと息を撫で下ろしてソファから立ち上がった。
「予定も決まったから、朝ごはんでも食べよっか。ちなみになんやけど、ヤナちゃんはご飯派? パン派?」
「ううん、朝は食べない派〜」
「え〜、ちゃんと食べんと成長せえへんよ」
「……どうせ血じゃないとお腹満たせないから、食べても無駄なんだよね」
「あっ、ごめん。忘れてた。……ヤナちゃんはお腹空いてるん?」
「血ってね、意外と腹持ちがいいんだよ」
「そっか。ちょっと時間かかるけど、食べ終わるまで待ってな」
「はーい」
カエデがパンをオーブントースターに入れて、ジャムの準備をはじめたので、俺はソファに寝転がり、アップデートされたアザクラのアプリを開く。
お知らせにニーベングへ向かうための方法が記されていた。
『8月9日 12時00分にて、規定のギルドランクで受けることができる特殊クエストが新たに登場する。そのクエストをクリアした者はニーベングまでの道のりが示されている地図を獲得することができる。この地図は本人以外にも見ることは可能だが、ニーベングに足を踏み入れるにはクエストをクリアする必要がある』
【創造主】が言うには、規定ランクはシルバー。
まだブロンズだけど、一週間もあればランクなんて簡単に上げられる。
他にはアプリ内に掲示板が追加されたり、登場しているクエストの詳細が見れたりするようになっていた。
興味本位で掲示板を覗いてみると、
『リアルのケモ耳ってこんなにもかわいいのか』
『この武器の使い方応募』
『誰かリアルで会いませんか』
など、使っている人は案外多かった。
アプリ経由だから、実際にプレイしている人しかいない。
だから人が多いのかな。
適当にスレッドを見ていると、獣人種の自撮りや、動画を撮って上げている人。姿が変わって会社を辞めることになった人、恋人に振られた人など、楽しんでいる人と辛い目にあっている人、それぞれが存在していた。
俺みたいに性別が変わるのは例外として、顔とか種族が変わると自分を証明するものがなくなるもんな。
そりゃ日常生活が大変になるもの当たり前か。
当たり前……そうだよ! 俺も大変じゃんか!
何人事みたいな感じで眺めてんだよ。
下手したら俺も学校通えなくなる……。
待てよ、学校どころか、俺が俺であると姉以外に認識されないんじゃ。
女の子になっても楽観的に過ごしてきたが、いきなり現実が襲ってきたせいで、手に力が入らなくなり、スマホが地面に落ちた。
ガンと重低音が響く。
「わっ! 大丈夫? ヤナちゃん」
「スマホ落としただけ、そんな慌てなくても」
「慌てるに決まっとる。やって、ヤナちゃんってなんかすぐに壊れちゃいそうな気がするし」
「もー心配しすぎ。……あれ? また着替えるの?」
「ちゃうよ。これはヤナちゃんが着替える服。昨日と同じ服ってなんか嫌やない?」
「まぁ、嫌だけど」
正直ワンピースよりは同じ服を着た方が良いんだけど、カエデが持ってきてくれた手前、拒否できるわけもなく、白のワンピースを受け取って洗面所へと向かう。
「ふぅ~、流石にやりすぎたかな」
服を脱いだ途端、ベッドでの自分の行動がフラッシュバックして羞恥心がMAXになった。
このまま熱が冷めるまで洗面所に篭ろうとするが、『ガラガラ』と扉が開いた。
カエデが俺の帰りを待ちきれなくなっちゃったのかな。
なんて馬鹿な妄想をしつつ、の◯太さんのえっち的なリアクションを取ろうと、前屈みになるも、扉の先にいたのはカエデではなく、寝癖いっぱいの紅葉だった。
「もー! ほんとにタイミング悪すぎ! これじゃまるで私が変態だと思われるって!」
安心して、紅葉。
タイミングが悪いかもしれないけど、すぐに扉を閉めず、俺の下着姿をガン見するのは変態だよ。




