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第7話(ユージーン視点)

 入学式の日。

 たくさんの入学生がやってきても、私の目には素通りしていくだけ。

 ただ一人だけを心待ちにしていた。

 カゴの中には最初からリンカの花は一つだけ。


「悪いね、リリアナ。男の私が胸に花をつけるというのは問題があるからね。こういうとき男は役に立たないもので、すまなく思うよ」


「そうね。だからあなたのかわいいメイシアにも私が花をつけてあげるわね」


 私がその時をどれほど楽しみにしていたのかなど嫌というほどわかっているくせに、リリアナはにこりと笑んで私のカゴの中のリンカの花を取り上げた。

 勿論即座に取り返したが。


「いや、それは婚約者たる私の仕事だ。リリアナは引っ込んでくれていい」


「でも私とメイシアがまともに話すのはこれが最初になるのよ。いい印象を与えておいた方がいいじゃない。後々のためにも」


 男性にもてはやされる女性というのは同性には反感を抱かれがちだが、リリアナはそれがない稀有な人だった。

 女性からの人望も厚い。

 だからメイシアについても常々「私の微笑みで一発で篭絡してみせるわ」と恐ろしい宣言をしていた。

 協力関係にある私にとっては、頼もしいことこの上ないことではあるのだが。


 その協力関係を持ちかけたのは、リリアナの方からだった。


 リリアナは学院でも唯一、私が真実メイシアにベタ惚れなのだと知っていた。

 舞踏会で顔を真っ赤にして踊るメイシアと、それを笑み崩れながら見つめる私を見かけ、その関係性を正しく察していたのだ。

 噂を鵜呑みにせず、己の目で判断することができる彼女は、同じ自治会のメンバーとしても優秀で頼もしく、また協力者としてもこれ以上にない人材だった。


 リリアナは隣国の第二王子との縁談が決まっていたものの、それはまだ公にできない話だった。

 公爵令嬢であり、容姿端麗、成績もよいとなれば、男たちが群がってきて邪魔でしかない。

 それはほぼ私と同じ状況だった。

 だから互いを虫よけとしないかと持ち掛けられたのだ。


 だが私はにべもなく断った。

 メイシアに誤解されたくはなかったからだ。


 しかしこれはメイシアのためでもあると言われれば納得せざるをえなかった。

 メイシアが入学してきたとき、私の周囲に令嬢たちが群がっていればメイシアがショックを受けるだけでなく、メイシア自身に令嬢たちの攻撃の矛先が向くだろうことはわかりきっていた。


 だがリリアナが私の傍にいれば令嬢たちは大人しく諦めざるをえないし、メイシアに手を出すこともないだろう。

 さらには、リリアナがメイシアと仲良くなれば、私とリリアナの間の噂も友情として昇華できると踏んでいた。


 だから悩んだ末に、リリアナの申し出を受けた。 

 本来なら人の手を借りずに自分で守ってやりたかったのだが、情けないながらも過去失敗していることもあるし、意地を張ってメイシアを傷つけるのは本意ではない。


「確かに早いうちにメイシアとリリアナが打ち解けるに越したことはない。だが私がこの日をどれだけ待ち望んでいたかも知っているだろう」


「私がどれだけあなたの惚気話に付き合ってあげたと思ってるの?」


 それを言われてはぐうの音も出ない。

 黙り込みつつも次なる一手を探す私に、リリアナはふっと意味ありげな笑みを浮かべた。


「まあいいわ。メイシアがあなたから花を受け取ってくれるといいわね」


 久しぶりにメイシアに会えることで浮かれていた私は、リリアナが何を懸念しているかなんて深く考えもしなかった。


 ただ、事前にリリアナのことをメイシアに伝えておけなかったことは気にかかっていた。

 国の事情がからむリリアナの婚約のことを手紙に書いて送ることはできなかったし、自治会が忙しすぎるせいでメイシアの家に行くこともできないままだったのだ。

 入学してきたメイシアに直接話すしかないが、私が駄目でもリリアナからであればメイシアも大人しく話を聞いてくれるだろう。

 そう思っていた。


 それに、私が自治会に入っていることや、そこにリリアナもいることなどは手紙に書いて送っていた。

 公爵令嬢であるリリアナが、特筆すべきところもない我がエスライト家とは家格が釣り合わないということは、メイシアもわかっているはずだ。


 だから、まさかそのせいでメイシアの疑いを深めているとは、思いもしなかった。

 メイシアから、きちんと返事が来たからだ。

 そこには当り障りのない内容しか書いていなかったが、それでも私は狂喜した。

 何故なら、私が入学してすぐの頃に送った手紙の返事はついぞないままだったからだ。


 返事が返ってこなかったことをつい伯爵に愚痴るように話すと、くずカゴには何十枚もの破り捨てられた書き損じが日々投じられていたと聞いた。

 本当にメイシアのことは、メイシアからでは知ることができないことがたくさんある。


 それはメイシアにやましい秘密を抱えてしまった言い訳のようなものだが。


 ただ一つだけ弁解させてもらうとするなら、発案者はスーラン伯爵だった。

 メイシアをかわいいと思う伯爵にとっても、娘の良いところが伝わらず、幼い頃からその仲が全く進展していない現状がもどかしい思いだったのだろう。

 会えず、手紙のやり取りもままならずで業を煮やしたスーラン伯爵が侍女にスパイのようなことを頼み、メイシアの日々の行動や好きなもの、話したことなどが書き綴られた手紙が送られてくるようになったのだ。


 かくして私はメイシアの現状をスーラン伯爵や侍女を通して知らせてもらっていたおかげで、変わりなく元気にやっているものと思っていたし、ただひたすらに入学式で会えるのを楽しみに待っていたのだ。

 準備万端だとさえ思っていた。


 呑気だったというほかはない。


     ◇


 久しぶりに対面したメイシアの小さな顔は下ろしたふわふわの髪に隠れてさらに小さく見えて、今もやっぱり子兎だなと思った。

 会えた嬉しさが抑えきれなくて、隣にリリアナがいたことも忘れてメイシアに歩み寄れば、その顔がわずかに固まったのが見えた。

 振り返ればリリアナまで一緒に歩いてきていた。まさかここまできて役目を奪うわけではあるまい。


「リリアナは他の入学生を頼む」


 思い切り渋面を作って告げたのに、彼女はメイシアににこにことした目を向けたまま歩みを止めなかった。


 反対に、メイシアの足がこわばったように動かなくなった。 

 だから、メイシアが歩いて来るはずだった分を自分から詰めた。


「メイシアが来るのをずっと待っていたよ」


 いつものように言ったつもりだった。

 けれど、会えないせいで高まっていた気持ちが漏れ出てしまっていたのだろうか。

 気持ち悪いと思われてしまったのだろうか。

 制服の胸元に花をつけようと伸ばした手は、ずざざざざっとメイシアが音を立てて後退した音に固まった。


 これ以上もなく避けられた。

 逃げたのではない。

 避けたのだ。


 今まで、手を伸ばせばびくりとはしても、頭を撫でさせてくれたし、頬に数秒触れることだってできた。すぐに逃げられたけれど。

 思ってもみなかった事態に、頭を横から丸太で殴られたような衝撃を覚え、一瞬物事が考えられなくなった。


 彼女の顔は羞恥というよりは、怯えているように見えた。

 触れられることを恐れるような。

 その証拠に、胸を隠すようにクロスした手が覆っている。


 失敗した。

 気持ち悪い男だと思われた。


 打ちひしがれ、絶望している間にメイシアはリリアナから花を受け取り、足早に逃げ去っていた。


 はっとしたときには女神のような笑みを浮かべたリリアナが、こちらを見守っていた。


「だから言ったでしょう。相手は年頃の女の子なのよ? あなたが最初に話していた他の女の子と同じく、胸に手を伸ばされたらそりゃ嫌に決まってるじゃない」


 何故私だけは例外だなどと思ってしまったのか。

 スーラン伯爵や侍女通信から、メイシアが変わらず私を好きでいてくれると思っていたから、過信してしまっていたのかもしれない。

 それは二人の目を通したメイシアであり、私と面したメイシアのことではなかったのに。


「気持ち悪がられただろうか……。思い切り怯えられた気がするんだが」


「あれは……まあ、乙女の矜持に触れられそうだったから、というだけでしょうね。ただ、そのことにはもう触れない方がいいわよ。彼女だって弁解するのも嫌でしょうから」


「しかし嫌な思いをしていないか、心配だ。やはり私は追いかける」


 とにもかくにも自分の失敗を悟った私は、メイシアを追いかけて走り出した。

 いつぞやのメイシアが逃げ出した時のような必死さで。


 だが。


「天使か! 女神か! 固まってる私に『どうぞ』とか、どんだけ神なんだ! かわいいの極みかよおお!! なんで神は偏ってリリアナ様に二物をも与えるのよおおおおお! 余った分は私にちょうだいよおおおお」


 前方から聞こえてきたそんな叫びに、その場にくずおれて前に進めなくなった。

 なんだ、そんなことを思っていたのかと気が抜けるのと同時に、腹からはこれまでに経験したことのないほどの笑いが込み上げてきた。

 腹筋は追いかける為ではなく今はただ笑いを堪えるためだけに存在していた。

 だが腹筋はその戦いに負けた。


 苦しいくらいに笑うと涙が出るのだと、初めて知った。

 地面に這いつくばり、必死に笑いと戦った後、気づけばメイシアの姿は見えなくなっていた。


 ふと人の気配を感じて振り返れば、今までに見たことのないような、憐れむような笑みを浮かべたリリアナが立っていた。


「本当にあなたは残念な人ね」


 私は何事もなかったかのように、すっと立ち上がり、制服の膝をパンパンと払った。


「さあ、そろそろ入学式が始まる。行こうか」


 キリッと制服の襟を整えて見せても、リリアナの笑みが変わることはなかった。



 入学式では自治会の仕事がある。この場ではこれ以上メイシアを追いかけることはできなかった。

 だがリリアナに対する悪意の欠片も感じられないメイシアの叫びを聞いて、安心してしまっていたのだ。

 きっとメイシアとリリアナは仲良くなれると。

 そして、やっぱり久しぶりにメイシアに会えたことで、浮かれてしまっていたのかもしれない。


 明日、きちんと話そう。

 その時はそう思っていた。

 だが入学式の後も自治会の忙しさは続き、そんな機会はなかなか訪れなかった。

 しかもやっとメイシアを見つけても、これまでの自業自得ゆえにすぐに逃げられてしまった。


 時折、メイシアが足を止めて話をしたそうにしていることはあった。

 だが今だと思って話をしようと近づけば、必ず邪魔が入った。


 こんなにもうまくいかないとは思わなかったのだ。

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