第5話(ユージーン視点)
兎さんかな? と思った。
「僕はユージーン。君がメイシアだよね? 父からよく聞いていたよ。とてもかわいらしい女の子が僕の婚約者なんだって」
初めてメイシアに会ったとき。
昼間に催されたガーデンパーティで、大人たちが談笑している傍らに一人の女の子が椅子に座り、ぶらぶらと短い足を投げ出していた。
お茶のカップを手にして、ふうふうと息を吹きかけていたメイシアは、突然声をかけられ、「う?」とそのままの顔をこちらに向けた。
お茶を飲んでいたせいかぷっくりとした唇はうるうるとしていて、触れたらぷにっとするんだろうなあ、ぷにっとしたいなあと、好奇心がうずうずした。
とはいえ、まだ子供ではあれど、それが紳士たる振る舞いではないとはわかっている。
抑える代わりににっこりと笑みを向ければ、その顔は見る間に赤く染まり、あわあわと慌てだした。
かわいい。
自分で言うのもなんだけど、僕は子供ながら顔立ちがよく、人に囲まれることも多く、好意を寄せられることも多かった。
だけどこんな反応をかわいいと思うのは初めてだった。
思わずぼんやりと眺めていたら、メイシアがわたわたしているせいで、手にしたカップの中でお茶の水面が激しく揺れていた。
咄嗟に「危ないよ」と声をかけたけど、子供にとっては高い椅子に座っているメイシアに手が届くわけもない。
慌てて椅子をよじ登っていたら、談笑していたはずの彼女の父親であるスーラン伯爵が気づいて、そっとそのカップを取り上げてくれた。
「メイシア、おまえがそんなに慌てるのは珍しいな。ユージーンが気に入ったのか?」
スーラン伯爵に問われれば、メイシアの顔はさらに赤くなった。
「う」だった口はむにゅっと閉じられ、必死にスーラン伯爵と初めて会った婚約者の顔とを見比べていたけれど、どうにもならなくなってついにメイシアは小さなその両手で顔を覆ってしまった。
僕はその手に隠された顔が見たくて、もっとメイシアのいろんな顔が見てみたくて、そのまま隣の椅子によじ登った。
「はっはっは。子供同士で仲良くやってくれ」
そう言ってスーラン伯爵が席を外したのを見計らって、僕はメイシアの小さな木の葉のようなそのぷっくりとした手を、真っ赤な顔からそっと剥がした。
そこにあったのは、びっくりしたまん丸の瞳だった。
濡れたように輝く黒い瞳は、ただまっすぐに僕を見ていた。
「かわいい」
思わず声に出して呟けば、メイシアはさらにぽかんとした。
それから何を思ったのか、メイシアは高い椅子から音もなく飛び降りると、脱兎のごとく逃げ出してしまった。
「兎だな」
呟いて、僕はくつくつと笑った。
あんなにかわいらしい生き物には会ったことがなかった。
逃がしてなるものか。
気づけば僕はメイシアの走り去った後を追いかけていた。
メイシアは花畑に隠れていた。
花を踏んでしまわぬよう畝と畝の間に器用に入り込んで、しゃがみこんでいる。
こげ茶色のふわふわの髪と膝を抱えて丸まっている姿が花と花の間から見えたから、すぐにわかった。
隠れ方まで、なんてかわいいんだろう。
ぼくはメイシアをかわいいと思うのを止められずに、躊躇せず花畑に踏み入った。
もちろんメイシアの意図を汲んで、花を傷めないように注意を払いながら。
花をかきわけて現れた僕の姿に、メイシアは「ぴゃあっ!!」と飛び上がって驚いた。
どこからどう見ても兎だな。
僕が思う兎よりももっと兎らしく、かわいいと思うのは変だろうか。
まだ会って間もないのに。
すっかり僕はメイシアのとりこだった。
そして。
逃げるメイシアを追いかけるうちに、僕はこれまで知らなかった僕を知った。
好きな子をイジメる男子ってわけがわからないと思っていたけど、こういうことなのかと理解してしまった。
追いかけるからメイシアが逃げるのだとわかっているのに、やめられない。
逃げる姿も、隠れる姿も、真っ赤になって恥ずかしがる姿も、かわいくて仕方がない。
思えば、幼い恋だったのだ。
自分が思っていたよりも、ずっと。
どんな姿もかわいいと思っている傍らで、メイシアがどれだけ追い詰められているかなんて、考えもしていなかったのだ。
幼い頃から女の子にモテていたから、いつかはどうにかなると過信していたのかもしれない。
婚約という形から始まったこの恋だったけど、こうしていろんなメイシアを見つけていくのも楽しいと思っていた。
僕の気持ちが育っていくように、メイシアの中でもきっと何かが育っていく。
勝手にそう思っていた。
だから、ちっとも焦っていなかったのだ。




