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第4話

 走り出すと、涙が溢れた。


「あの状況で歩み寄ってくるとか、純粋か! 天使か! 負の感情はないのかああ!!」


 嫉妬にまみれた言葉と絶望と悲哀に満ちたその顔はいかにも滑稽だったと思う。

 そんな不審で、さらには完全に悪のそんな私を追いかける人がいるなんて、誰が思うだろうか。

 いや、思うまい。


 だから当然私は、背後から猛然と足音が響いてきたときは死ぬほど驚いたし、思わず「ギャーーーー!!」と叫んだ。

 確かめるまでもない。

 ユージーンだ。


 全速力だった私を、走って追いかけてきたのかと目を見開く。

 驚きすぎて足がつんのめって前のめりに転びそうにもなった。

 それでもなんとか足を止めずに走り続けたのは本能か、幼い頃からの沁みついた習性か。


「メイシア! 待て!」


 追いかける人が違う。

 暴言を投げつけられた公爵令嬢をこそ慰めるべきで、ここは私を追いかけてくるところでは断じてない。

 そう思ってから、それを怒って追いかけてきたのか、とはたと思い当たった。


「さっきのはどういうことだ!」


 息も切らさず追いかけてくるのだから、余力があるのだろう。

 けれどその顔は必死に見えた。

 だから思わずよりいっそう走る足に力がこもってしまった。

 怖い。

 ユージーンのこんな顔は初めて見たかもしれない。


「ごめんなさいごめんなさい、すみませんでした、つい我慢ができませんでした! あまりにもリリアナ様がかわいらしくて、自分と違い過ぎてどうしようもない天使だったから、せっかくのお茶の誘いを無碍にし暴言を吐きました!!」


「それじゃない! 誰と誰がお似合いだって? 私の婚約者はメイシアだ。周りが何て言おうと、それは変わらない。変える気なんてない。それはメイシアもわかっているだろう?」


 その言葉に、私の足は少しだけ緩んだ。


 変える気なんてないと言ってくれたのが嬉しくて。

 その真意が知りたくて、ユージーンの顔が見たくて、振り返りそうになった。

 けれど、あの手紙のことや、ユージーンの隣にいるリリアナ様の姿が目によみがえった。


 ユージーンにとって私との結婚は本当に幸せなのだろうか。

 婚約者だと決まっているから私を好きになろうと歩み寄るより、最初から好きなリリアナ様と結ばれた方が幸せなのではないか。


 だけど、と思った。

 私はユージーンから好きだとは聞いていない。

 それと同時に、リリアナ様のこともどう思っているかはわからない。

 だって、まだちゃんと向き合ってもいないのだから。


 入学式が終わってから、ユージーンが話をしたそうに何度か追いかけてきたことはあったが、いつもの習性でつい逃げてしまった。

 周りのご令嬢たちの目が怖かったのもある。


 私が今すべきなのは、ユージーンと向き合うことだ。

 わかっている。

 でも人は何故だか追いかけられると止まるのが怖くなる。

 いきなり足を止められるものでもない。

 正直困っていた。

 息も上がって、ロクに言葉が出せない。


「ユージーン! 私は、あなたが大事なの。だから」


 止まれないなら、今言おう。

 何故だか追い詰められていた私は、咄嗟にそう思った。

 大事なことだけを、シンプルに。ずっと言えなかった、好きという言葉を伝えよう。

 そう思ってから、はたと気が付いた。

 今私がユージーンに好きだと告げてしまったら、ユージーンは本当のことを言えなくなってしまうのではないか。

 この婚約も、私のことも、大事にしてくれていることはわかっている。だからこそ。


 だったら順番的には、直球でリリアナ様が好きなのかと訊ねるべきか。

 それならちゃんと顔を見なければ、私のために嘘をついてくれているのか、本心なのかはわからない。


 覚悟を決めよう。

 いつまでも逃げ回っていたって、いつかは知らねばならないことなのだから。

 そう心に決めて、私は足を止めた。

 勿論いきなり止まることなんてできず、ずざざざざーーっと令嬢らしくもなく滑りながら止まったのだが。


 私は追いかけてくるユージーンだって急には止まれないのだということを、全く考えていなかった。

 今まで途中で止まったことがなかったから。


「うわっ、ちょ、メイシア……!」


 私の元に向かって走っていたユージーンが激突してきたのは当たり前のことだと思う。


「うわああぁああぁぁ」

「キャーーーーアアァァぐえっ」


 恋愛小説で読んだことがある。

 きゃっ、とぶつかった知らぬ者同士が恋に落ちる場面によく似ていた。

 あんな偶然あるわけないのに。身長が違うんだから、同じ位置に口と口が来るはずがないのに。

 そう思っていたのに、事実は小説よりも奇なり、である。


 ただ私の面前には、呆然と目を見開くユージーンの碧の瞳があった。

 体中が痛かった。はずだった。

 だけど、私の体はユージーンに庇われてほとんど痛みを感じなかった。

 ある一部分を除いては。


 口の中は、血の味がした。


「ごめん、メイシア! 止まり切れなかっ……」


 慌ててユージーンが私を助け起こしたとき、私の瞳に残っていた涙が、ぽろりと落ちた。

 それを見たユージーンは言葉を失った。


「メイシア……。こんなことになって、本当にごめん」


 そう言って、ふらふらと来た道を戻って行ってしまった。

 私はしばらく、何が起きたのかわからないまま、ぼんやりと突っ立っていた。

 そしてやっと気が付いた。


 私がユージーンとのキスが嫌で泣いたと思われたのではないか。

 そう見えてもおかしくはない状況だった。


 違う。そうじゃないのに。

 気づけば私は、必死に走り出していた。

 初めてユージーンを追いかけていた。

 ただただ無心だった。


 そして私の鍛えぬいた脚力は、ちゃんとユージーンに追いついた。



 追いついてしまったから、リリアナ様とユージーンが話している声が聞こえてしまった。



「は……初めてのキスだったのに」


 そんな小説にもあるセリフを呟いたのはユージーンだった。

 私じゃない。


「こんな……こんなはずじゃなかったのに」


 その声は、どう聞いてもショックを受けていることは明らかだった。


「そりゃあショックよね。せっかくここまで頑張ってきたのに」


 リリアナ様のそんな声に、私の足はくるりと踵を返した。

 そしてその場からゆっくりと遠ざかっていった。


 おさまったはずの涙が、再びぼろぼろと零れていた。


 なんだ。

 やっぱり二人は想い合っていたんだ。

 だったら私がやるべきことは決まっている。


 ユージーンを解放しよう。

 好きだからこそ、ユージーンが本当に想う人と結ばれるように。

 もうユージーンが苦しまなくていいように。


 だけど結局は、そんなユージーンを見ていることに私が耐えられないだけだったのかもしれない。



 次の日、私はユージーンに婚約破棄を告げた。

 それを断られたのだから、混乱するのは仕方のないことだったと思う。

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