第2話
私はなんとかユージーンに好きになってもらおうと努力を重ねたけれど、皮肉なことにそれをユージーンに見せることはできなかった。
何故ならユージーンがいる前だと緊張して思い通りに動けなかったし、好きだと言えない代わりに思ってもいないことばかり口にしてしまったから。
好きではなくなればこんなことはなくなるのだと、ユージーンを嫌いになろうとしたこともあった。矛盾していることにも気付かずに。
でもそんな努力は無駄だった。
ユージーンに会えば会うほど、好きになってしまった。
ずっと会わないように避けて、避けて、忘れようとしたこともあった。
だけど久しぶりに会ったら、嬉しそうに笑ってくれたその顔に、もっとずっと好きになってしまった。
好きになるほど私は空回りするし、それを優しく見守られるほどに好きになる。
こんな不条理な悪循環があるかと自分と神を呪った。
世の恋人たちはどうやって愛を育んでいるのだろうかと心底疑問だった。
そうしているうちに私たちは子供ではなくなり、一つ年上のユージーンは一足早く
貴族の子息子女の通う学院へと入学した。
それからはユージーンと会うこともあまりなくなった。
学業が忙しいせいで会いに来られないと一度だけ手紙が来たけれど、返事に悩んでいる間に二か月が経ち、すっかり送るタイミングを逃してしまって、それきりになっていた。
それからしばらく過ぎたある日、私の机の上にユージーンからの手紙が置いてあったから、私は狂喜した。
私は期待と不安に胸を膨らませながら、封を開けた。
書かれていたのは、思いもしない文面だった。
『最近君からの手紙が途絶えているのは、主人を裏切っているという罪悪感ゆえだろうか。
だが私に彼女の行動の逐一を報告することこそ彼女のためだと理解してほしい。
先日も父君に連れられ舞踏会に参加したと聞いた。彼女と最も親しい君ならその詳細も聞いているだろう。
どうか聞いた限り、一言一句漏れなく私に伝えてほしい。
特に、誰か男性と話したりはしなかったか、彼女の目に留まった男性はいなかったか、どんな些細な話でもいいから書き記して送ってほしい。
重ねて伝えるが、これは君の主人のためなのだ。
君の忠義を信ずる。』
わけがわからなかった。
ユージーンからだというのは私の見間違いだったのかと思って、封筒を改めて確かめた。
違っていたのは、送り主ではなく宛名だった。
封筒の中央には、私の最も親しい侍女ナナの名が書かれていた。
それを手にぼんやりと立ちすくんでいると、その封筒に見覚えがあったらしいナナが気が付いて、慌ててその手紙を奪い取った。
「これはっ、その……!」
慌てながら、ナナが目まぐるしく考えているのはわかった。
文面から何度も手紙をやり取りしていることは見てとれる。それが何故今回だけ私の机の上に置かれてしまったのか。
そして私もナナも、気が付いた。
最近新しく入った使用人がいる。彼女が郵便を受け、私の婚約者の名前を見て自然と私への手紙だと早とちりしたのだろう。
これまではナナが皆に言い含めてあったのかもしれない。
自分の失敗に思い至ったのか、ナナは苦しげに顔を歪め、それから封筒が開けられていることに気が付いてはっとした。
ざっと中身を確認するとナナの顔はさらに青ざめた。
「違うんです! これはメイシア様のためだからと仰られて、断り切れなくて。でも私、こんな告げ口のようなことしていいのか悩んで、最近は手紙もお返ししていなくて、だから――」
ナナが私によくしてくれているのはわかっていた。
私もナナには心を開いていたし、私がいかにユージーンが好きかということも常日頃から話していた。
失敗も、努力も、悩みも。
いつも話すのはナナだった。
だからこそ、仕方ないと思った。
ナナが報告したことはすべて事実だろうから。
たまたまユージーンが見ていなかった私の姿が、伝わるだけなのだから。どんな滑稽な姿が伝わっていたとしても、それはただの自業自得だ。
ユージーンがナナに狙いを定めたのは正しいし、主人のためだと言われたらナナだって従わざるをえないだろう。何より侍女であるナナが逆らえる相手でもない。
ユージーンは、私のことなのに何故私に訊いてくれないのだろうとも思ったけれど、その答えは自分ですぐにわかった。
だって、私は手紙の返事を出さなかったのだから。
ユージーンは浮気は許せないと言っていた。
私にそういう影がないか、知りたかったのだろうと思った。
だからナナには、これまで通り返事を出していいと告げた。
私はユージーン以外の男性に気を許したこともないし、自ら傍に寄ったりしたこともない。私はユージーンが好きだから。
やましいことなどない。それだけは胸を張って言えた。
ナナは戸惑っていたけれど、私は私のしたことのツケは自分で払う。
ナナが私とユージーンの間で悩み苦しむ必要はない。
たとえユージーンが見ていない時であっても、それがユージーンにふさわしくないと思われるならば、受け入れよう。
だけどもう一つ、もしかしたら、と嫌な想像が沸きあがっていた。
ユージーンは誰か好きな人ができたのかもしれない。
だから私に男の影があればそれを理由に婚約破棄したいのかもしれない。
◇
そんな当たってほしくない懸念が裏打ちされたのは、私の入学式の日のことだった。
成績優秀なユージーンは、生徒たちの代表である自治会のメンバーになっていて、入学式の運営や進行の手伝いをしていた。
その彼の傍らにずっといたのが、ユージーンと同じクラスのリリアナ=ユーゼット様だった。
彼女は公爵家の令嬢でありながら、とても気さくで、笑顔のかわいらしい人だった。
さらりとした艶やかな髪はユージーンの金に近い栗色の髪と似ていて、誰にでも優しく、気遣いもできて、およそ非の打ちどころの見当たらない完璧さもユージーンにお似合いだった。
そして胸がでかい。
ひっそりと存在する私の胸にごめんねと謝りたくなるくらいに素晴らしいスタイルは、同じ制服を着ているとより際立った。
私が人生で完敗という言葉をこれほど身に沁みて実感した日は他にないだろうと思えた。
「やあ、メイシア。入学おめでとう」
私に気が付いたユージーンが近寄ってきたとき、隣にいたリリアナ様も何故か一緒にこちらへと向かってきた。
するとユージーンは気づかわしげに背後を振り返り、何事かを呟いた。
リリアナ様はわかっている、というようにユージーンを振り向きもせず、ただひたすらまっすぐに私の元へと向かってきた。
そんな二人の、他の人に入る隙のないような親密な様子を目の当たりにしてしまい、私の足は止まった。
その分の距離をユージーンの歩みが難なく詰めた。
「メイシアが来るのをずっと待っていたよ」
何でもないような顔をしてそう言って、ユージーンの手が私の胸元に伸びた。
入学生はみんなそのリンカの花をつけるのだ。私だけに、私だからしてくれたわけではない。
証拠に、ユージーンが手にしていたカゴの中身は全て配り終えて、その手に持つのが最後の一つになっていた。
だけど私は、ユージーンの手が私のひっそりとした胸に近づいていることを変に意識してしまい、はっとしたときには三歩引いていた。
いや、そんなのはいつものことではあったのだが。
慌てて顔を上げれば、困ったように笑みを浮かべるユージーンの代わりに、リリアナ様が「はいこれ、どうぞ」と私の手にリンカの花を乗せてくれた。
人に触れられるのが嫌なのだろうと思い、気遣ってくれたのだろう。
この人は完璧だ。
失礼な態度を取る私にまで、余裕で対応する。
私は「ありがとうございます」と口早にお礼だけを告げて、その場を逃げ出した。
目には隣り合ったお似合いの二人の姿がいつまでも焼き付いていた。
「天使か! 女神か! 固まってる私に『どうぞ』とか、どんだけ神なんだ! かわいいの極みかよおお!! なんで神は偏ってリリアナ様に二物をも与えるのよおおおおお! 余った分は私にちょうだいよおおおお」
敗北感に苛まれ走り続けながら、私は風に暴言と涙をまき散らし、入学式の会場とは違う方へと逃げ出した。
えぐえぐとしばらく茂みに隠れているうちに全ては終わっていた。
そして。
それからの日々は、学院のいたるところでユージーンの隣にいるリリアナ様を見ることになった。