第95話 ある少女の話(前)
「……二七五番、マレナ・クレト、合格!」
魔術学院の試験場、奇妙にして巨大な、どんなところでも見たことがない魔導機械が鎮座する部屋の中に、厳粛な試験官の男性の声が高らかにそう宣言した時。
マレナは、あぁ、あの方の言っていたことは、本当だったんだ、と胸に静かに感動が広がっていくのを感じた。
*****
マレナはもともと、地方の村に母親と一緒に二人暮らしをしていた平民であった。
マレナの父は、マレナが三歳になった頃に、女を作って出て行った。
母はその事実をマレナに悟られまいとずっと努力をしているのをマレナは知っているが、けれどその努力の甲斐もなく、周りの人間から真実を教えられてしまい、全てを知ったのはいつの頃だったか。
今度はマレナが母にそのことを知られまいと、努力をしているのだった。
働き手である男を失ったマレナと母は、その日からかなり困窮してきた。
細々とした、人がやりたがらない仕事を引き受け、その日の食い扶持を得る。
それが精一杯で、住む場所も村の外れの荒屋だった。
こんな日々が、きっと死ぬまで続く。
マレナはそう思っていた。
ただ、死ぬよりはずっとよく、少なくとも母と二人食べていくことはできる。
だから挫けずに頑張ろう。
そうも思っていた。
それなのに、マレナと母のそんな細やかな日々をすら奪おうとしたのは、村の村長一家だった。
村長は、マレナの母が見目麗しいことに目をつけ、囲おうとしてきたのだ。
その見返りに、今までよりもずっといい家と食事、それに給金を与えると言ってきたことに、母は揺らいでいた。
自分が、というわけではなく、マレナのためにどうすべきかと、そんな悩みだった。
断れば村長から嫌がらせされることは目に見えていた。
それどころか、今までの困窮もまた、村長の差し金だった可能性すらあった。
村には、夫を失った女性たちのための互助組織が小さいながらもあったはずだった。
それなのに、母はそこに助けを求めても取り合ってすらもらえなかったのだ。
それは何故なのかといえば……。
結局、母は村長の誘いを断ったが、その時の村長の吐き捨てるような言葉で、マレナの想像が合っていることも判明した。
もはや、村の誰も信じることが出来ない。
ただ、出て行ってどこかで生きることもまた、出来ない。
今までよりもさらに困窮するようになったが、それでも動くことが出来ずにマレナと母はここでこのまま徐々に朽ちていくのだろうと思っていた。
そんな日々が一変したのは、ある日、村に客人が訪ねてきた時のことだった。
近くにある……と言っても、馬車に乗って数日かかるが……大きな街からやってきたらしい、壮麗な馬車に乗っていたのは、見目麗しい、まさに貴婦人といった様子の女性だった。
マレナにとって、この村で最も美しい女性は自らの母であったけれど、この貴婦人の前には母もまた路傍の石と化してしまうだろう。
それだけの輝かんばかりの光を彼女は放っていたのだ。
そんな彼女は村長の家を訪ね、歓待を受けるようだった。
ちらり、と村の中を観察するように見た彼女の瞳はあまり機嫌が良さそうに見えなかったが、それも当然で、こんな寂れた村など彼女のような人から見ればど田舎にも程がある、といった感じなのだろうなと思った。
村長が自慢する、村。
それをそんな目で見つめた彼女に、マレナは小気味よい気分を覚え、所詮は村長など小さな村の長に過ぎないのだと心の奥で思った。
口に出せばそんな村長にすらも下に扱われる自分たちがどうなるかなんて、目に見えているから。
出来ることなら、気分を良くさせてくれた貴婦人にお礼を言いたかったが、村の端に住まう、それこそこの村で最も立場の低い自分のような人間が、あのような人とお目通りできることはないだろう。
けれど少し心の中で願うくらいなら。
そう思って手を組み、神に祈るように深く祈ったマレナだった。
そしてその次の瞬間、驚くべきことが起きた。
弾けるように村長の家の扉が開き、貴婦人が飛び出てきた。
そして周囲をきょろきょろと見渡すと、マレナがいるところに視線を向けて、それから指をさして、村長と何か会話し始めた。
村長は首を横に振ったり、焦ったりしている様子で、さらに貴婦人を家に連れ戻そうとしてかその腕を掴もうとしたが、その瞬間、弾け飛ばされるように家の中に吹っ飛んでいった。
そこで貴婦人は少し口の端を上げて悪く笑ったが、改めてマレナの方を見てから表情を少しばかり柔らかに変えてから、ツカツカと近づいてきた。
マレナはそこで初めて恐ろしく思った。
一体この人は、こちらに近づいてきて何をするつもりなのだろう、と。
村長と同じように吹き飛ばす?
捕まえて殺す?
それとも……?
逃げればいいのか、土下座すればいいのか。
悩んでいるうちに、貴婦人は気づけばマレナの目の前に立っていた。
そして、絶句しているマレナに向けて優しく微笑み、言ったのだった。
「……貴女、魔術学院に興味はないかしら?」
読んでいただきありがとうございます。
もし少しでも面白い、面白くなりそうと思われましたら、下の方にスクロールして☆を押していただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。