第89話 魔術学院長
「本気でいらっしゃいますの?」
私の目の前には、魔術学院長キュレーヌ・メインがいる。
キュレーヌはその立場には似合わぬ、二十代後半にしか見えない女性であり、その物腰は優雅で、美貌は傾国といっても大袈裟ではないほどだ。
それでいて魔術の実力はこの国においても右に出るものはほとんどおらず、《魔塔》の主カンデラリオと並んで、イストワード王国における魔術の大家の一人として数えられる人なのだった。
ただ、その実際の年齢はもちろん、見た目通りではない。
その耳を見れば誰でもすぐに理解できることだが、彼女は古貴種……つまりはエルフと呼ばれる特殊な種族の一人であり、通常の人間と比べて寿命は気の遠くなるほど長く、従ってキュレーヌもその年齢は百を優に越えていると言われる。
ただし、正確な年齢については彼女に尋ねても答えてくれることもなく、また、前の時において、彼女は最後の方には自らの故郷である《聖浄の森》へと帰ってしまっていたから、詳しいことを私は知らない。
そもそも、それをいうならなぜ彼女のような古貴種がそこそこの大国とはいえ、イストワードなどという普人族の国家に所属しているのかも疑問だ。
古貴種は通常、普人族に限らないが他種族をかなり見下しており、従ってよく言えば誇り高く、悪く言えばプライドが山よりも高いために、普人族の国家に魔術学院長とは言え、所属することなどまずあり得ないのだ。
それなのに……。
ただ、そんな疑問を口にできるほど、私は彼女とは親しくなく、とりあえずは今回の問題である、私の魔術学院初等部の責任者就任についての打診に関して、質問をしているところだった。
キュレーヌは嫣然と微笑みながら、私に答える。
「本気、とは? エレイン様。貴方様の実績を考えれば、魔術学院の初等部の部長どころか、魔術学院長の椅子すら狙っても誰も驚かないのですよ? 少なくとも、こちらとしましては分不相応な要請をしている、とは全く考えておりません」
「しかし……イストワードにおいては、貴族の妻というものは、夫を支えることをまず第一の義務とし、残りの時間は家を守るために注ぐという大原則がございます。その点から考えますと、私が魔術学院初等部の部長に就任するというのは流石に……他にも魔術に長けたお家の当主の方をその椅子に据えるのが、常道かと」
これは正直なところを言えば、方便だった。
確かに昔ながらの価値観で言うなら、男は仕事に出て女は家を守るべき、と言う価値観が確かにイストワード王国にはある。
しかし、魔術、という男女問わずに発揮できる力が存在し、魔術学院などにおいても高い成績を修める者の割合は男女ほぼ同数であるという事実からして、ほとんど形骸化している考えだといっていい。
前に出て戦うのは男だ、と言う価値観を極端に信仰して強力な魔術的能力を持つ女性を冷遇しては国家の衰退に結びつくからだ。
したがって、若干苦しい言い方ではあるが、最初はまず、こういう当たり障りのない断り文句から言って、様子を見ようという判断でもあった。
ただ、案の定と言うべきか、キュレーヌはカラカラと笑って、
「近年のイストワードにおいて、最も活躍している女傑の一人、と言っても何ら大袈裟ではないお方が何を古臭いことを仰られるのですか。エレイン様に並ぶのは……それこそ《予言》の巫女であらせられるセリーヌさまと……そう、私くらいのものです。むしろ、そのような古い考え方がこの国に蔓延しているのであれば、私たちで全て跳ね除けてやるべきです。そうはお思いになりませんか?」
軽く一蹴する。
セリーヌの名前を出したのは、私が彼女と無二の親友であることもよく知っているからだろう。
さらにそこに自らの名前を並べることで、仲間だ、と主張しているわけだ。
本当に仲間と言えるような人なのかはここまでではかなり怪しい気もするが……。
まぁ、そもそも私の断り方があまりにも遠回しだったのがよくなかっただろう。
方向転換し、今度ははっきりと言う事にする。
「……それについては、確かに失礼しました。女性であっても今は男性と同様、いえ、それ以上に活躍することが可能な社会になっております。そこで私が弱気なことを言うのは……今から社会に出ようとする女性方のためにも、よくなかったですわね。ただ……やはり私が初等部の部長というのは……」
「貴女様の論文を、全て読みました」
「えっ?」
「特殊魔力についての実証と分類、それにこれからの展望について極めて詳細に論じられており、しかもいずれもしっかりとした根拠と、実験結果の比較によって裏付けられておりました。特殊魔力については私も長年研究し続けておりました。ですが……貴女様ほどの結果を、理論を、構築することは遂に出来なかった。いえ、これから先、百年かければできたかもしれません。しかし……その前に貴女様がそれを完成させたのです」
「そんな……それは買い被りで」
「誰よりも特殊魔力に詳しい、そう自称してきた私が、買い被りなどすることはありません。貴女様は今、誰よりも特殊魔力に詳しい。そのことがどういう意味を持つか……特殊魔力持ちが確かにこの世界にいる、そしてその数は相当数に上る、ということは私も感覚的に理解しておりました。そしてそれが看過されることによって、才能ある魔術師たちの誕生を阻んでいることも。しかし貴女様の研究によってその事態は打開されることになります。そのための協力を、私はどうしてもしたいのです。エレイン様……私は、貴女様を尊敬しております。古貴種にとって、普人族はこういってはなんですが、あまり能力の高い種族ではない、という感覚が一般ですが、貴女様に出会えたおかげで、その先入観は消えました。どうか、私の願いを聞き入れてはいただけませんでしょうか」
キュレーヌはそう言って深く頭を下げる。
古貴種にここまでされて、断れる人間がいるのだろうか。
彼女たちのプライドは山より高いのだ。
断った結果が怖すぎて、私は遂に、その願いにうなずかされてしまったのだった。
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