第88話 急な訪問
しばらくノエルと遊んで、満足したのか落ち着いて瞼も重くなって来た辺りでアマリアに託すと、彼女は優しくノエルを抱いて、執務室を出て行った。
しかし、その後あまり間を空けずに他の使用人がやってきて、
「……奥様。お客様が……」
と言ってくる。
「お客様? 今日は……特に予定はなかったはずだけど」
忙しくて忘れている、という可能性もないではなかったが、今日は割と時間がある方だ。
流石にド忘れはないはずだ。
これに使用人は、
「ご予定にはございませんが、どうしてもと」
「……誰が来たの?」
いっそ追い返しなさい、と言いたくなったが、このような場合、来ているのは余程の面の皮が厚い人間か、もしくはそもそも予定が立て込みすぎて急でなければ来られないような人物かのどちらかだ。
ファーレンス公爵家に前者が訪ねてきたところでそれこそ使用人が撥ねるので、つまりは後者だということ。
追い返せとは残念ながら簡単には言えないのだった。
使用人が恐縮した様子で、
「……それが」
と言いかけたところで、
「おお、すまないのう、エレイン殿。儂じゃよ」
陽気な様子でひょっこりと顔を出したのは《塔主》カンデラリオであった。
なるほど、確かに彼相手であればファーレンス家の使用人と言えどもそう簡単には追い返せない。
納得して、私は身振りで使用人に行っていい、と合図すると、使用人の方も助かった、という表情をして去っていった。
扉が閉まり、カンデラリオが執務机の方に近づいてくる。
「カンデラリオ様……直前でも構いませんので、訪問の連絡くらいいただきたいのですが」
正直な気持ちだったが、これにカンデラリオは、
「先日、空から我が《塔》の執務室にやってきた規格外の公爵夫人はどなたじゃったかな?」
「……私ですわね。申し訳ございませんでした」
何も言い返せなくなって、即座に謝った。
言い訳を言わせてもらえるなら、その時は本当に急いでいたので出来るだけ早く訪ねたかったのだ。
カンデラリオにも謝罪はしたのだが……こうして意趣返ししてくる程度には根に持っていたらしい。
「分かればいいのじゃ。ま、わざとではなかったのじゃがな。出来るだけ早く来た方がいいと思って来たのじゃ」
「はて? 《塔主》自らが私のところを訪ねてくるほどのことが何かあるのですか?」
「うむ。それがのう……。ここのところ、特殊魔力についての知識が広まりつつあるのは知っておるじゃろう?」
「ええ、《魔塔》自らが書物や講演などでしきりに広めてくださっていますから……」
「エレイン殿の協力もあってのことじゃがな。特に方向性のあまり見られないように思える特殊魔力を大まかにでも分類して整理してくれたのはエレイン殿の功績じゃ。まぁ、そんなことを言ったら、そもそもの検出装置の開発もそうなんじゃが……」
「功績など。そもそもカンデラリオ様がそうしようとされていなければ、あれは発明されなかったものですから」
「そう言ってもらえると嬉しいがの……まぁ、これ以上はお互いにヨイショし続けることになるからやめておくとしよう」
「それがいいでしょうね。それで……?」
「おぉ、そうじゃったな。貴族のみならず、平民にも特殊魔力については大まかに知られつつある。ただ、その詳しい部分についてはまだまだじゃ。属性魔力がなくとも、特殊魔力を持っている場合がある、というくらいで、その有用性や使い方などは全く伝わっておらん」
「それについては……しばらくは仕方がないでしょうね。実際に使って見られれば違うのでしょうが、今はまだ、使用者を育てている段階ですから……」
「そう、そこなんじゃよ。特殊魔力は大人になってから発現させるのが、属性魔力より少しばかり難しい。であるから、若年層に絞って候補者を見つけ、それを《魔塔》で育てている、それが今の段階じゃな」
「ええ。しかし、いずれ年齢が長ずれば、そのまま魔術学院へ進んでもらう予定だったかと。あそこは年齢制限は特にないですが、大抵は十二、三歳に入学するものですから、少し先ですわね」
私もそのくらいで入った。
卒業には平均して五、六年かかる。
天才であれば一年で終えてしまう者もいるが、それはかなりの例外だ。
「うむ。じゃが……先日、魔術学院長と会ってのう。ちょっとした提案を受けたんじゃ」
カンデラリオの言葉に不穏なものが混じってきたな、と思う。
私は恐る恐る、彼に尋ねた。
「提案、ですか……?」
できれば、それが悪いものではありませんように。
そんな願いが通じたのか、カンデラリオは言った。
「そうじゃ。いずれ入学するのであれば、早めに入れた方が都合が良いのではないかとな。教育についても魔術学院はかなりの蓄積があるし……そういう意味では《魔塔》は少しばかり相応しくないのも事実じゃ。子供たちのことを考えれば、悪くはないと思った」
確かに、そういう選択もありそうだ。
ただ、いきなり十二歳くらいのお兄さんお姉さんのところに、五、六歳の子供を入れるのは問題だ。
今、《魔塔》で能力開発をしている特殊魔力保持者は大体そのくらいなのだから。
そう言うと、カンデラリオは我が意を得たり、という感じで頷いて、
「わしもそれについては言ったんじゃ。そうしたら、では、魔術学院に初等部を作ってはどうか、と言われてのう。なるほど、そうすればそこで学んだのち、本来の魔術学院に進めば、スムーズに魔術師としての修行が積める、と感心したのじゃ」
「では、それを受け入れることに?」
「……じゃが、特殊魔力はわしら《魔塔》とエレイン殿が専門じゃろ? 魔術学院の教授に教え切れるのか、と思ってのう」
「確かにそういう懸念はありますね」
特殊魔力は場合によっては強大な破壊力を発揮するものだ。
なんの知識も無く指導すれば、身を滅ぼすことすらありえる。
では断ったのか、と思ったのだが、カンデラリオは次の瞬間、恐ろしいことを言う。
「じゃろう? じゃから、儂は言ったのじゃ。エレイン殿のような人が初等部の責任者にでもならない限り、それは難しいじゃろう、とな!」
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