第86話 あれから
アステールが竜の襲撃に遭ってから、二年の月日が流れた。
あの後、イストワード王国ではどの土地も竜の襲撃に神経過敏になり、多くの貴族が自らの領地の防護を固めるなどして、人やモノの流通が滞った。
経済的にそこそこの影響があったわけだ。
しかし、王国が迅速にアステールに対し、騎士団を派遣し、また経済的・人的支援も惜しまずに行ったことから、徐々に地方領主たちの不安も消えていき、比較的早く経済の動きは元に戻った。
今ではアステールも完全に復興し、以前と同じように貴族たちに人気の観光地として賑わっている。
加えて、竜が暴れ回ったところであるから、山の中を散策というか、探検する人たちも増えた。
というのも、あの襲撃の後、青竜の鱗がオークションに出品されて高額で競り落とされたからである。
落としたのは王室であり、その鱗を使った鎧を作って公開した。
その美しさは目を見張るものがあり、あれだけの品を自らも手にしたいと欲に駆られた者達が、貴族平民問わずアステールに押しかけた。
人の欲望というのは実にわかりやすいものだと思ったが、あれはおそらく王国の策略だろう。
アステールの街が建物の面では復興したとしても、あれだけのことがあった街を再度訪ねよう、と思う者というのは当然減る。
しかしそれではアステールの経済は落ち込み、そしていずれ街の規模が縮小していくのも目に見えていた。
あそこは自由都市連合に属する自由都市であり、その上、他国と国境を接しているとか、軍事的に重要な土地であるということはない。
そのため、アステールがたとえ縮小してしまったとしても、イストワード王国としてはそこまで困ることはない。
ただ、縮小した結果、自由都市であり続けることが難しくなってしまうと、自由都市連合から外れる、という事態になりかねない。
自由都市連合は経済的にも軍事的にもかなり大きな貢献を王国にしており、そんな彼らとの繋がりが薄くなることはイストワード王国にとっても痛手なのだ。
だからこそ、あえて青竜の鱗で鎧を作り、あそこには金儲けの種があるぞと貴族や民を焚き付け、訪れるようにし、金を落とさせるように策を講じた、ということだ。
結果その策が図に当たり、今ではもうあえてアステールを忌避しようとする者はいない。
そもそもアステールは観光地として極めて優れた魅力を持った土地であるから、実際に行ってみて何の問題もない、とわかればリピーターは普通にやってくる。
その最初の一歩を王国は国民に踏み出させることに成功したのだった。
そんなわけで、アステールについてはもう心配はないのだが、私の方では少しばかり問題があった。
あれから二年も経ったのだが、黒竜……ジルから、何の音沙汰もないのだ。
《竜水晶》を取りに来る、という話だったのに……。
やはり、竜の時間感覚というのは相当ずれているというのは事実だったようだ。
それにしても、せめて私が生きている間に来てほしいものである。
トラッドからアステールに戻った時に、私はしっかり《竜水晶》について、それを譲ってくれたフィーカに事情を説明し、黒竜に譲る許可をもらった。
フィーカにどこまで事情を話すべきかはもちろん非常に悩んだことだが、私に対する態度から見て、私が秘密にしてくれと言えばきっと墓場まで持っていってくれるだろうという信頼があったので、いっそのこと全て話すことにした。
そうしたらフィーカはそのような事情があるなら是非にその黒竜に渡して欲しい、とまで言ってくれたので、これで何の憂いもなくジルがやってきたら渡せる、と安心した。
代わりにフィーカにはいつでもアステールの街にある別荘の料理長ヴィクトルが普段、街で開いている店での食事権を進呈することになった。
いつ何時であっても、店に行けば無料で食事が出来る権利だ。
食べられるならいくらでも食べていいし、家族などを連れてきたいのであればそうしてもいい。
そういう権利である。
本当であれば、《竜水晶》の対価にその程度では足りないのだが、フィーカに何か欲しいものはないか、と尋ねると、できれば食料をいくらか譲ってはくれないだろうか、と頼まれたのだ。
それについてはもちろん構わない、と返答したのだが、必要な量を尋ねると思った以上に多く、理由を尋ねれば、アステールの裏町に住む者たちに炊き出しがしたいのだ、と言ったので、私はそれについても頷いた。
フィーカは私をあれだけ聖女扱いしていたが、むしろ彼女の心根の方がずっと聖女に相応しいと思い、その炊き出しについては定期的に開催することとし、必要経費はファーレンス公爵家が持ち、責任者としてフィーカを雇うことになった。
また、炊き出しについてはただ渡すだけにすると裏町に住む者たちに良くない性質をつけさせることになると思ったので、アステールの裏町の住人にも仕事を割り振るなどについても話し合った。
そして、そんな風に日々を過ごせば、フィーカもかなり高齢であるので自分の食事に無頓着になってしまう可能性も危惧したので、彼女には店での食事権も与えた、という経緯だ。
今でも定期的に報告は受け取っていて、アステールの裏町は徐々に縮小しつつある、という話だ。
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