第85話 出発
「……もう行ってしまうのだな」
「あぁ、寂しくなるわ。また必ずここに来てね。いえ、こちらから訪ねる方が先になるかもしれないわ」
ロルフとソフィが寂しげな表情で私たちにそう言った。
私たち、とはつまり私とクレマン、そしてジークだ。
ジークにとっての祖父母であるロルフとソフィの住むトラッドにはしばらく世話になったが、そろそろファーレンス公爵領や王都に戻って仕事をしなければならない日が近づいてきていた。
それにここからまっすぐ帰るわけにはいかず、一旦アステールに寄って、世話になった人々に挨拶をしていかなければならない。
ここにいられる時間はもうない、というわけだ。
ただ、別に今回で永遠の別れというわけでもない。
前の時とは違って、ロルフともソフィともだいぶ仲良くなれたし、この感じなら私たちのところを訪ねてくれるというのもただの社交辞令ではないだろう。
クレマンもジークもそれを望んでいるし、私もその方が嬉しい。
だから、それほど悲しむことはないのだが……。
「うぅ、おじいさま、おばあさま……!」
目に涙を溜めながら、正門前で待つ馬車の前で、ソフィとロルフに抱きついて別れを惜しむジーク。
やはり、生まれて初めて会ったおじいさまとおばあさまとの初めての別れは、かなり辛いらしかった。
そしてそれは当の祖父母も同様のようで、もらい泣きのような状態にある。
「あぁ、ジーク。私たちも悲しいよ……だが、必ず近いうちに訪ねるから、待っていてくれ」
「本当に? おじいさまも、おばあさまも来てくれる?」
「ええ、きっと訪ねるわ。その時には、トラッドのお魚もたくさん持って行くから。最近、食品関係の保存技術も、どこかの商会のお陰でかなりよくなっているもの。新鮮な品を持っていけると思うから、楽しみにしていて」
どこかの商会、と言ったあたりで私の方をチラリと見たソフィ。
田舎に引っ込んであまり都会の情報には精通していない、みたいなことを二人揃って言っていた割には、それなりに私の動きも掴んでいたというわけだ。
あまり言わなかったのは、やはり警戒があったからだろう。
そしてそれが解けてからは特に言及するタイミングもなかった、という感じか。
やはり侮れないというか、前の時にしっかり私と距離をとってくれた人々である。
まぁ、そんな二人が今回はこちら寄りになってくれているのだから、それでよしとすることにしよう。
「さて、そろそろ本当に行かなければね。ジーク、ほら」
クレマンがそう言ってジークの肩に手を乗せると、駄々をこねるようなこともなく、静かに祖父母から離れた。
そして使用人に促されて、馬車に乗る。
クレマンはロルフとソフィに、
「それじゃあ、二人とも元気で。まぁ、言うまでも無く元気なんだろうけれど」
「公爵位を譲ってかなり健康的に生きているからな。お前の方こそ元気でいろよ。仕事やら夜会やらで体を壊さんようにな」
「浮気もしないようにね。貴族の嗜みだっていう人もいるけれど、エレインさんを裏切るのは許しませんから」
「……なんだか不安になるようなセリフを最後に言わないでよ、二人とも。まぁ、ちゃんとやるから大丈夫さ。じゃあ」
クレマンも馬車に乗り、そして最後は私だ。
「お二人とも、今回は大変お世話になりました。ずっと出来なかったご挨拶もできましたし、滞在している間もずっとよくしてくれて……どうお礼を申し上げたらいいのか」
私がそう言うと、ロルフは微笑み、
「気にする必要はない。私たちも、少し前まで貴女とこんな風になれるとは思っても見なかった。けれど、警戒していた私たちに、貴女の方から距離を縮めてくれたのだ……礼を言いたいのはこちらの方だよ」
「ロルフの言う通りよ。それに、こんなに素敵な娘が出来たことにも気づかせてくれたしね。孫とも楽しく過ごせたし……本当によかったわ。あとの心配は、クレマンが浮気しないことだけを祈ってるくらいかしら」
「それについては大丈夫ですよ。クレマンにそんな甲斐性はないですから……と言うのは言い過ぎかもしれませんが、あの人が私のことを大切にしてくれることを、私は……」
「……信じている?」
ソフィが暖かな笑顔でそう続きを言ってくれたので、頷こうとした私だったが、ふと違うなと思って、気づいたら別の言葉を言っていた。
「……いいえ。私は知っているのです、お義母さま」
そう、私は知っている。
たとえどんなことがあろうと、私が闇の道にまっすぐ進んでいこうと、クレマンは決して私の手を離さずに、どこまででもついてきてくれる人だと言うことを。
それは、ある意味で不幸なことなのかもしれない。
正しくもないのだろう。
けれど……。
私にとって、クレマンが最高の夫である証拠であることは誰にも否定出来ないだろう。
前の時は、そんなクレマンに甘えて、私は彼を利用してしまったところがある
けれど、それだけに今回は決してそんなことはしないのだ。
きっと彼を、誰よりも幸せな人にする。
そのつもりなのだった。
「知っている、とはまた不思議な表現をするものだけれど、信じる、よりもずっとクレマンのことを分かっての言葉なのだろうと言うのは伝わったわ。貴女がクレマンと結婚してくれて、本当によかった。きっとまた会いましょう、エレインさん」
「はい、お義母さま。それにお義父さまも」
「あぁ……例の件についても、よろしくな。いつ頃になるかは全く予想できんが、その時は連絡をくれるとありがたい」
例の件、つまりは黒竜についてだ。
私はうなずいて、
「その時は間違いなく。では、お二人とも、失礼いたしますわ」
そう言って、馬車に乗り込んだのだった。
ゆっくりと動き出す馬車。
窓の向こうで手を振り続けるロルフとソフィに、私たち家族もそれを返し続けたのだった。
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