第84話 報告
「……と、言うわけで魔獣はトラッドの地を去りました」
ロルフの執務室で、私が報告をすると、ロルフと、それにクレマンがよく似たため息をついた。
明らかに呆れているし、その理由も私は十分に想像できるが、しかしながら他にやりようがなかったという言い訳はさせてもらいたいところだ。
言っても、君は、と言われてしまうのだろうけれど。
愛されている、と思って小言は受け入れたいと思っている。
「……魔獣、か。そう言ってぼかしていた部分がなんだったのか、と思っていたが蓋を開けてみればまさか竜、しかも魔人族だとは……」
頭を抱えるロルフだが、その表情は少し楽しそうだった。
トラッドは田舎町で、彼自身、ここでの生活を楽しんでいるようではあるが、少しばかり刺激に欠けるところもある、とは夕食の時などに言っていた。
そのぽっかりと空いたような隙間をちょうどよく埋められる報告ができた、と前向きに言ってもいいかもしれない……無茶か。
「私も驚きました。普通の黒竜かなと思っていたのですけれど……」
「普通の黒竜って。そもそも竜の時点で普通じゃないからね、エレイン……」
クレマンはロルフよりは若干優しげな、苦笑するような表情でそう言う。
まぁ、確かに彼の言う通りで、竜なんて普通に生きていればまず遭遇することがないような存在だ。
低位竜である飛竜とか陸竜ならともかく、高い魔力を持ち、魔術を操り人語を解する高位竜となると、それこそ危険地帯の相当奥地に行くとかしなければまず、会えないのだ。
それをアステールにやってきてからの短い期間で二度も遭遇していて、しかも会話まで交わし、《竜水晶》までもらっているのだから、今後の人生で使うべき幸運を全て使い果たしたのではないか。
まぁ、不運を使い果たした可能性も高いが。
あんなものには、普通の人間はまず、会いたくないものだから。
私はと言えば、その辺りは微妙なところだ。
非常に珍しい経験が出来たという意味では喜ばしいところもあったのだが、命の危険が自分のみならず家族や町にまで生じるような状況には流石に平静ではいられないところはあった。
黒竜……ジルの前ではそうそう怯えているところなど見せるわけにもいかないし、ある種の諦めもあって図太く振る舞えた方だとは思っているが、もしもジルに遭遇する前にその可能性について選択できる機会が与えられたのなら、私ははっきりと会わない方を選ぶことだろう。
私のような若干頭のネジのはずれたような女ですらそう思ってしまう。
それくらいに、恐ろしい存在なのだ。
「……確かにそうでしょうけれど。なんて表現していいか分からなかったのよ。だって竜人族よ? 魔国からまず、出ることはないって聞いたことがあるくらいなのに、森の中であんな風に突然遭遇してしまって……私も驚きが今も続いてるくらいなの」
クレマンにそう言うと、彼は、
「君でもそんな風に慌てることがあるんだね……。なんというか、ちょっと僕としては得した気分だな」
「なんですって?」
「だって、君ときたらどんなことがあっても僕よりもずっと泰然自若としているものだからさ。こんな珍しい機会をくれたその黒竜には直接会って感謝したいくらいだよ」
「……言ったわね?」
クレマンの言葉に私が不敵に笑ってそう言うと、彼も自分のセリフが藪蛇だったことに気づいたらしい。
冷や汗を流しつつ、恐々とした様子で私に言った。
「……まさか、その黒竜、またぞろ訪ねてくるなんてことは……ないよね? ないって言ってくれ、エレイン」
「そのまさかよ。さっき《竜水晶》をもらったって言ったでしょう。その理由が、なんだかこれ、目印になるって話なのよね。きっとこれがある場所が竜には分かるのね……」
私のこの言葉に反応したのはクレマンのみならず、ロルフもだった。
「……このトラッドの地に、また竜がやってくると……?」
「あぁ、いえ。そう言うわけでは。私たちもそろそろアステールに、そしてファーレンス領に戻りますので、竜が来るとしてもそちらになるかと」
まさか帰って昨日の今日やってくるとも思えない。
まぁ、竜の飛行速度であれば魔国に行って戻ってくるくらい一日もかからないのかもしれないが、青竜に追っかけられていたところを見るに、そこまで暇でもないだろう。
それに竜の時間感覚というやつはかなり気長らしい、という話も聞いたことがある。
だからおそらく大丈夫、と思う。
だがまだロルフは心配なようで、
「しかし、アステールに来るにしろファーレンス領に来るにしろ……かなりの問題になるのではないか? 一度ならただの気まぐれだろう、ですむが、もう一度、竜が飛んでくれば、それこそ王都の騎士団や軍が動きかねんぞ」
「それについてもちょっとした約束をしましたから。人の姿で訪れる、と。ある程度配慮してくれるはず……と信じております」
「人の姿で……そうか。魔人族だから、人化していればバレぬ、か……? しかし獣人族などの変化などは変化したとしても分かる場合が多いが」
これにはクレマンが同調する。
「あぁ、耳が残ってたり、尻尾が見えたりとかから始まって、体臭とかどことなく感じる野生味とかがあったりするもんね。その辺り、どうだったのかな?」
「私が見た限り、完璧な人化だったわ。少なくともそうと思ってよくよく観察しなければ、竜が変化した姿だ、とは看破できないと思う。だから……大丈夫よ」
実際、私でも本当にわからなかった。
これでも看破系の能力については相当に研鑽を積んで技術も身につけているつもりなので、相当の自信がある。
そんな私にわからなかったのだから、その辺の魔術師くらいにはまずわからないと見ていい。
まぁ、上には上がいるから、絶対に誰にも、とまでは言えないけれど。
「うーん、そういうことなら、安心しておこうか。父さんもそれでいいでしょう?」
「いや、しかしな……」
「そもそも、竜人族なんてその気になったら街くらい一瞬で消滅させられるんだから、心配するだけ無駄というのもあるよ。もちろん、いざと言う時は貴族の義務として、命をかけて戦うけれど、その前に適度に付き合っていく方がいいならそうした方が良さそうだ」
この楽観的なのか現実的なのかなんとも言い難いクレマンの結論に、ロルフは少し逡巡を見せたが、最終的には納得したように頷き、
「……それもそうか。では、その竜のことについては二人に、特にエレインさんに任せるとしよう」
そういうことになったのだった。
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