第83話 別れ
数日後。
森の中で巨体が、自らの動きを確かめるように動く。
そして……。
『……ふむ、すっかり治ったようだ。随分と世話になったな』
黒竜が私にそう言った。
「世話という世話をしたわけじゃないけれど……治ったなら良かったわ。もう行くの?」
『そうだな。国を留守にしすぎているし、知人たちも心配しているかもしれぬ。早めに行った方がいいだろう』
「それじゃあ……」
さようなら、と言いかけたところで、
『いや、その前にだ。まずはこれを持て』
黒竜がそう言うと同時に、その目の前に強力な魔力が集約する。
それは徐々に凝っていき、そして黒色の輝きを帯びた水晶となった。
「これって……」
『知っての通り、《竜水晶》だ。我が今作れる限りの力を込めたから、それなりに質は高いと思うぞ。お前の言う研究に使えるかどうかは分からんが』
「いえ、とてもありがたいわ。《竜気》というものを観測してみたいところだし……これにも宿っているのよね?」
『あぁ。人に感じられるとは思えぬが……』
「やる前から諦めてたら何もわからないままだもの。とりあえずやってみるわ」
『……それもそうだな』
「用事はこれでいいかしら?」
『いや、もう一つだ。そのうちお前のところを訪ねると言ったろう。その時にこの姿では行かぬゆえな。本体を見せておこうと思う』
「あぁ、そうしてもらえると分かりやすいわね。でも、変化するのには負担がかかるって話だったけど」
『傷もすっかり治ったから出来ることだ。そもそも魔力量的にはさほど問題はなかったのだ。あくまでも付けられた傷が問題だっただけでな……では、変化するぞ』
そう言うと同時に、黒竜の体が黒い光に包まれる。
そしてその光は徐々に縮小していき、最後には人間の黒い影のようになる。
大きさは……やはり小さかった。
子供サイズというか……まぁ、十歳だと言っていたし、おかしくはないのか……。
その後、黒い光も徐々に空気の中に溶けていくように消えていき、最後に残ったのは一人の少年の姿だった。
闇色の黒瞳に、深い淵のような髪、そして気品のある、しかし幼い顔立ちをした白皙の少年がそこには立っていた。
「……貴方が、黒竜なのね?」
訪ねると、その少年は先ほどまでの地鳴りのような低い声ではなく、少年らしい高く幼い声で、
「あぁ、そうだ。まぁ、事前に言っておいたから別に驚くようなこともないだろう?」
「変化自体は獣人族の者がするところは見たことがあるけれど……流石に竜人族のそれを見たのは初めてだから、それなりに驚きはあるわよ?」
前の時も含めて、竜人族には会った事がない。
それは、人と魔人族が対立していて、戦争状態にあったためだ。
竜人族は特に魔族を代表する立場にいることが多く、数も少ないためイストワードまでやってくることはほとんどなく、あったとしても英雄たちが相手をした。
私は命が惜しかったから、そういうのは他人に押し付けてのうのうと後方にいた。
戦闘それ自体は厭わないし、死ぬ可能性もそれなりに飲み込む感覚はあったけれども、あまりにも危険性が高すぎるものに関しては可能な限り回避するタイプだった。
保身に長けていた……と思いたいが、最後には結局殺されてしまっているのでそれも気のせいだったということになるだろうけれど。
今回についてはそこまで命大事に行動していない。
もちろん死にたくはないが、他人の犠牲で生き残ろうとはしていないという意味で。
「ふむ、そうか……。まぁ、これで我の容姿は覚えただろう?」
黒竜の言葉に頷きかけた私だったが、あっ、と思って尋ねる。
「……そういえば、名前は教えてくれないの?」
「それはお互い様だと思うのだが」
黒竜もそうだが、私もここまで自らの名を名乗っていない。
これには理由があって、敵対的な相手に名前を名乗ると呪術をかけられる可能性が生じるからだ。
まぁ、滅多にないことだし、名前だけでというのはほぼ不可能に近いのだが、この黒竜ほどの力があれば可能であろうし、黒竜も黒竜で私にはそれなりの警戒心があるらしい。
それを考えると名前を聞くのもどうかな、という気もしないでもないが、流石に次に訪ねて来た時、玄関から入ってくるだろうし、その時に名前も名乗らないのでは使用人たちが通さないかもしれない。
だから聞いておく必要があった。
私は言う。
「次来る時、必要でしょ? 空を飛んでくるなら構わないけれど……我が家には門番とかいるわよ」
「む……そうか。そういえばあれだけの食料や魔石を数日とはいえ、定期的に用意できるのだから、お前は結構な立場にあるのだろうな。そうなると……名前は必要か」
「ええ……まぁ、識別のためだから本名でなくてもいいけれど」
「分かった。では、我のことは……ジル、と呼ぶがいい」
「ジルね。じゃあ、今度来るときは、その名前を名乗って。貴方の見た目でその名前の人は……私の知り合いにはいないしね。おっと、私の名前はエレインよ」
「エレインか。いい名前だな。では、本当にそろそろ行くとしよう。息災でな、エレイン」
そう言うと同時に、少年の形が再度変わっていく。
そして巨大な黒竜のそれに戻ると、ものすごい速度で上昇し、そのままどこかへと飛び去っていったのだった。
私はそれを見つつ、やっと厄介な存在がこのトラッドの地からいなくなったな、とホッとしたのだった。
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