第80話 詰問
『……来たか』
山の中、先日、竜と遭遇したあたりにたどり着くと、そんな声が響いた。
周囲を見回してみても辺りに広がっているのは平凡な森の景色でしかないが、これが隠匿の結果であることを私は知っている。
「ええ。約束した通りの物品を持ってきたわ。ここに置いて行けばいいのかしら?」
その何も見えない状態で私はそう尋ねる。
この間のように結界を探知した上で破壊してもいいのだが、たとえ相手が強力な力を持つ竜であるとはいえ、弱っている相手にするようなことではないだろう。
傷が治るのも遅くなるだろうし、会話がこの状態でも普通に出来るのであれば別にこれで構わない。
そう思ってのことだったが、私が返事すると同時に張られていた結界が空気に溶けるように消え、歪められていた光景が私の目の前に現れる。
つまりは、傷ついた黒竜が横になっている姿をだ。
黒竜は言う。
『それほど急いで去ることもなかろう。我は暇だ。少し話し相手になれ』
急に何を言い出すのか、と思ったが確かに何もしないでここでただ回復を待っている、と言うのは詰まらなそうなのは確かだった。
ただ、私にも予定はある。
「あまり長居は出来ないわ。家に家族を待たせているの。今日は義父と一緒に夫と息子と養魚場を見学に行く予定だから、それまでに戻らなければならないわ」
私がそう言うと、黒竜は呆れたような声で、
『この我を前に、自らの予定を優先するなどとよく言えたものだな……』
と言ってくる。
確かに、本当なら平伏して全ての要求を聞くのが正しいのかもしれない。
だけど……。
「家族との時間は大事なのよ」
前の時、あまり大事にしなかったから余計にそう思う。
家族それ自体に愛情はあった。
ただ、それ以外の目的のために時間の大半を注ぎ込み過ぎて、家族との対話を怠った。
だから今回はそうはなりたくないのだ。
まぁ、そうはいっても結局、あれもやらなきゃこれもやらなきゃとなってしまっているのは否めない部分はあるが、それでもこうして休暇に家族で出かけたりしているのは前進のはずだ。
そのせっかく作った家族団欒の時間をたとえ黒竜が相手とはいえ奪われるのは認められないと言うだけだ。
私の言葉に再度呆れた表情になり、さらに、
『……しかし、家族か。我には分からぬことだ』
と一瞬遠い目になって言った。
その声色がなんとなく気になって、私は反射的に尋ねていた。
「……竜であっても、家族はいるものではないの? 母親から生まれるのは事実でしょう? それとも生まれた直後にどこか危険地帯に放置されるみたいな生態でもあるのかしら?」
竜の生態というのは実のところそこまで詳しく分かっていない。
一口に竜と言っても様々な種がいるから、というのもあるが、それ以上に強力な種になってくるともはや生態調査がどうのと言ってられるような相手ではなくなってくるからだ。
近づけば死が待っているような存在をどうやって継続的に調べろというのかと、そういう話だ。
だから私が持っている常識は、とりあえず人の学者がなんとか集められた知識の断片から推測した事実に過ぎない。
これに黒竜は、
『ふっ。面白いことを言う。まぁ、そのような種もいなくはないが……我はそのような種ではない。しっかりと母上から生まれた……。だがもはや我の母上はいないのだ』
「いないって……?」
答えは大体決まっているだろうが、一応尋ねた私に、黒竜は突然強い視線を向けてきて、
『その前に、一つ聞きたいことがある。貴様の纏っている竜気についてだ』
「え?」
私は突然の質問に首を傾げる。
《竜気》というが、そんな単語は初めて聞いたからだ。
私が本当に理解していない、ということを黒竜は私の顔を見てか、それとも匂いを嗅いでか理解したようで、ため息を吐き、先ほどよりは少しばかり柔らかい声で尋ねてくる。
『……お前の身には、高位竜のみが纏う特別な生命エネルギーの残滓が見えるのだ。しかし、どう見たところでお前は竜ではない。それに周囲に竜の気配もない。何か、心当たりはないか? 竜に関係することでだ』
「……アステールを襲った青竜が一番の心当たりなのだけど?」
竜に近づいた経験はあれくらいだ。
しかもあの時、私は直接攻撃を受けている。
防御したとはいえ、しっかりと何か特殊な力が私にまとわりついた、という可能性はある。
けれど黒竜は首を横に振って言う。
『いや、あやつの《竜気》ではないから、それは違う。その《竜気》は……いや。正直に言おう。お前は、人の割には比較的信用出来そうだからな』
「そうかしら? まだ初めて会ってから二回目だけど」
『我ほどになると信用できる相手かどうか、それだけ機会があれば分かるのだ……というのは流石に言い過ぎだが、匂いの件がある。お前はここまで、一度たりとも嘘をついていない。それだけで得難い人間だ』
「つまりそうじゃない人間もいっぱい知っているってことね」
『残念なことにな。ともあれ、そういうわけだから、我の秘密を一つ、お前に教えたいと思う』
「それは?」
『お前の纏っている《竜気》、それはおそらく、我が母上のものだ、ということだ』
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