第78話 交渉
「……竜の事情は分かりかねるけれど、憂いがなくなったなら出来るだけここを早めに去って欲しいのだけど」
私は黒竜にそう言う。
もちろん、私などこの黒竜の力の前には吹けば飛びそうなくらいの力しか持たないから、この口の利き方は不敬ではあるだろう。
ただ、ここまで大きく力が離れていると、もうどう取り繕ったところでどうにもならない。
死ぬ時は死ぬとしか言いようがない。
今更、口調を変えて謙り始めても逆に印象が悪いかもしれないし、あまり逆鱗に触れないように気をつけつつ、このまま話し続けるしかないと思ってのことだった。
私の言葉に黒竜は、
『それにしても貴様、我を前に随分と堂々した態度だな……我が恐ろしくはないのか?』
と尋ねてきたので、私は言う。
「恐ろしいわ。貴方がその気になれば、私などすぐに殺されてしまうでしょうからね」
『ではなぜ、そうも太々しくしていられる?』
「理由は色々あるけれど……そもそも貴方は私に丁寧に接して欲しいの?」
『ん? いや……特にそのような希望はない。人間の口調など、どうでもいい』
「そうでしょう? だから、そうしているだけ」
『何か気に食わない感じはするが……理由はわかった。それで……しきりに出ていけとお前は言うが、我がここにいて何か問題があるのか?』
何か獲物を見つけたかのような表情で黒竜が私にそう尋ねる。
会話の中から、私がそのことにこだわりを持っていることが察せられたからだろう。
もちろん、問題はあって、それはトラッドには私の家族がいるからだ。
彼らを竜なんていう危険に晒したくない。
それだけだ。
そしてそれをこの黒竜に言うべきかどうか……。
微妙な選択だ。
しかし、嘘をついたところで無駄であろう、という感じはする。
今は傷ついて飛べないようだが、それでも目の前の私一人くらい、逃げようとしたところで殺すことくらい容易な存在だ。
また、私が上手いこと逃げおおせたとしても、傷が治った後で本気で探されたとしたら、その時点で私は竜に追いかけられる心配を毎日しながら生き続けなければならないことになってしまう。
それも勘弁だった。
だから、素直に言う。大したことでもない、と言う口調で。
「あるわよ。私は今、この近くにある町に滞在しているのだけど、そこに家族もいるからね。貴方が何も考えずにこの周辺で暴れたら、彼らの命が危険でしょう。去って欲しいと願って当然だと思うけれど?」
『……貴様、嘘を……ついている様子はないな?』
嘘をついている、と言おうとしたところで意外にも惚けた口調でそんなことを言った黒竜。
おそらく状況から言って、嘘を判別できる力を持っている、のかもしれない。
嘘を見抜く魔術は幾つかあるが、今はそのような魔術の発動を感じなかったから別の手段だろうとは思うが。
もちろん、私などが判別できないレベルで発動させた、という可能性もあるが……この黒竜の張った結界はしっかりと見抜けたのだ。
魔力量など、力の規模についてはともかく、技術的なことで言うのなら私の方が小手先の技に長けていると考えても良いと思う。
だから、おそらく魔術ではないだろう。
では何か、と言われると困ってしまうのだが、その答えは黒竜自身がくれる。
「よく分かるわね? 特段表情に出したつもりはないのだけど。魔術を使ったの?」
そう言った私に黒竜は言うのだ。
『違う。そうではなく、人間が嘘をつくときには独特の匂いがするからな……。匂いまで完全に隠されていれば話は別だが、今のお前はそうしていない。だから嘘をついているかどうか、分かるのだ』
「匂いね……獣人の一部がそう言う技術を持っているのは知っているわ。それと同じね」
『そういうことだな。加えて言うなら……ふむ。まぁ、こちらはいいか』
何かを言いかけて、やめる。
気にはなったが、尋ねて藪蛇になるのもどうかと思って特に突っ込むのはやめておいた。
それから黒竜は、
『さて、お前の状況は理解した。そう言うことであれば傷が治るまで我はここで暴れるようなことはしない、と誓ってもいい』
と意外な提案をしてきた。
「本当に?」
『ああ。他の竜は分からんが、我は嘘は嫌いだ。ただ……条件がある』
やはり、無条件に、とはいかないらしい。
その気になれば私の命などどうとでも出来るのだから、さもありなんという感じではある。
無理難題ならともかく、叶えられることならば受け入れた方がいいだろうと思い、私は言う。
「それは何? 聞けることなら可能な限り聞くわよ」
『受け入れるのが早くてありがたいが……まぁいい。簡単なことだ。食料などについて、少しばかり融通してもらいたい。それと、あればで構わぬが魔石の類を持ってきて欲しい。どうだ、出来るか?』
街を一つ滅ぼしてこい、くらいまで言われそうだ、と正直覚悟していたが、黒竜の提案は意外なほどに常識的なものだった。
ただ……。
「食料って、貴方、どれくらいの量を食べるの? 流石にこの巨体を維持するほどのものは町の食料全部かき集めたって難しいと思うわよ」
『あぁ、それほどの量は要らぬのだ。この身を維持しているのは、ほとんどが魔力ゆえな。ただ、お前たち人間で言うなら、成人男性数人分の食料をしばらくの間用意してくれればいい』
「……それくらいなら」
館で頼めば問題なく出せるだろう。
問題はどう頼むか、だが……まぁ、なんとでもなる。
「……魔石については品質はどの程度を?」
『可能な限り良い品質のものを望むが、ないならないで仕方あるまい。ただ、あればそれだけ傷の修復が早くできるから、これはむしろお前にとって有益だと思うぞ』
「魔石があれば、治癒が早いと……なるほど。それなら頑張って調達してみることにする。それで、他には?」
まだあれば聞いておこうと尋ねたのだが、黒竜はそこで、
『いや、それだけだ。我はここを動かぬゆえ、明日にでも今言った品を持ってきてくれればそれでいい。一月もあれば完全に治癒しきるゆえ、それまで頼む』
そう言って頭を下げた。
「驚いた……竜が頭を下げるなんて」
『恩知らずも多いがな。我は他の竜とは違う』
確かにそのようだ、と思った私は、黒竜に明日来る大まかな時間帯を約束して、そのまま館に戻ることにしたのだった。
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