第77話 その存在
義父母の館、その中の私たちに与えられた寝室。
クレマンとジークが寝息を立てている。
私も先ほどまでそうしていたのだが、ふと目が覚めてしまった。
一体なぜだろうか。
不思議に思いながらも起き上がり、バルコニーに出る。
空を見上げると、都会とは比べ物にならないほどのたくさんの星の輝きがそこにはあった。
都会は魔導具の力によって夜でも足元が完全な闇に包まれることはなく、過ごしやすいのだが、自然光が遮られてしまうのは間違いない。
比べて、このトラッドの地にはそういった魔導具などほとんどなく、従って星の光もはっきりと目に飛び込んでくるのだった。
けれど、今、私が最も気になっているのはそれではなかった。
「……微かだけれど……今、確かに山の中に、強い魔力が一瞬感じられた……?」
そう、バルコニーに出ると同時に、一瞬、強い魔力の気配が感じられた。
すぐに消滅してしまったため、勘違いである、と断じることも出来る。
けれども、私は自分の感知能力をそれなりに信じている。
絶対に間違えない、とまでは思っていないが、滅多に間違えることはないことを経験的に知っている。
だから、山の中に、確かに何がかいるはずなのだ。
勿論、魔物などが多数いるのは分かっているが、トラッド周辺に生息する魔物の持つような魔力とは一線を画す、大きな力だった。
確認せずに放置しておくわけにはいかなかった。
だから私は、一度寝室に戻り、外出着に着替える。
そして、ジークとクレマンを一瞥してから、バルコニーに出て、そのまま山の中に向かったのだった。
*****
「……確かこの辺りだった……わよね」
あまり確証はなかったが、先ほど魔力を感じた地点までたどり着いた私は、その周囲をよく観察する。
何かあるようには見えない。
周囲にあるのは、鬱蒼と生い茂る木々や、微かな虫や動物の気配だけ。
魔物はこの辺りにはいないようで、魔力も感じられなかった。
けれど……。
「おかしいわね。この辺りの空気だけ、流れがおかしい……」
風魔術によって周囲の風の流れを見てみると、一部、奇妙な空気の流れ方をしている部分を発見した。
まるでそこだけ不自然に切り取られたかのように、流れている空気を感じ取れないのだ。
こんなことは自然状態ではまず、ありえない。
では、何が起こっているのか。
私はその空気が感じ取れなくなる空間に対して、魔術を使うことにする。
「……重ねられし理よ、我が力によりて退け……《解呪》」
唱えると同時に、私の魔力が組み上げられ、周囲に溶けるように消えていく。
そしてしばらくすると、
ーーパンッ!
と、何かが割れるような音がするとともに、空間がガラスのように弾けた。
そして気づけば……。
「えっ……嘘でしょ……!?」
その場には、先ほどまで存在しなかった、巨大な物体が出現していた。
体中を漆黒の鱗に覆われた、羽持つ巨大な魔物が。
つまりは……。
「……黒竜……?」
竜の中でも最も強力な力を持つと言われる漆黒の竜が、そこにはいたのだ。
『……我が隠匿を解いたか、人間』
竜が私に対して、地の底から響き渡るような声でそう言った。
どうやら、さっき割れたのはこの竜が築き上げた結界だったらしい。
それによって隠れていたのを、私が暴いた、ということで、だいぶその声はお冠のように聞こえた。
なんと答えたものか迷った私だったが、何も言わなければ攻撃されると思い、とりあえず口を開く。
「……ええ、解いたわ。でも、黒竜がいるとは思っていなかった」
『ふん。そうであろうよ。我とてこんなところにいるのはたまたまに過ぎぬ。早晩、こんな場所は発つつもりだったのだ。それなのに貴様は……』
「……それは悪かったわね。でも、そういうことなら、今すぐに発ってくれてもいいのよ? そうしてくれるなら、私も貴方のことは忘れることにするから」
これはその場凌ぎに言っている訳では無く、正直な気持ちだった。
自分の寝床の近くにこんな存在がいるなど、勘弁願いたかった。
もしも竜が暴れ回ればトラッドなど塵となって消し飛ぶのだ。
そんな事態を招くわけにはいかない。
だから出て行くのならさっさと出て行って欲しかった。
けれど、黒竜は言う。
『それが出来るのであれば早々にやっている……今しばらくは無理だ。少し休まねば、な』
「休むって……え?」
どう言うことか、と思ってそれについて尋ねようとしたところで、私は気づく。
竜の体、その一部に傷があることを。
かなり深い傷で、そこから血を流している。
「その傷のせい……?」
『そうだ。これが治らねば、飛ぶことも出来ん』
「どうしてそんな傷を……」
黒竜は強力な存在だ。
おいそれと傷つけられるような者はいないはずなのだ。
それだけに不思議だった。
しかし、そこまで考えて、最近、少しばかり心当たりがあることに思い至る。
私は尋ねる。
「まさか……先日の青竜……?」
『ほう、お前、あれに会ったのか。なるほどな。それで? あれはどこにいる?』
「数日前に向こうの方に飛び去って行ったけど……」
そういうと、黒竜はあからさまにホッとしたような声色で、
『そうか……諦めて去ったか』
「ってことは、やっぱりあれが貴方を?」
『そういうことだ。細かい事情は省くが、我をどうしても亡き者にしたいようでな。逃げ惑って、アステール辺りの山にしばらく潜伏していた。だが、しつこく探すものだから、少しずつ距離をとって……ついにここまで辿り着いたのだ。それでも見つかるのは時間の問題かと思っていたが……諦めたのは意外だな。我の魔力を追えなくなったのか? 理由が分からぬが……僥倖だったな』
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