第75話 情報
「なんてことだ。アステールは今、そんな状態なのか……!?」
夕食の席で、ロルフがそんな風に驚きの声をあげる。
テーブルにはニジマスのソテー、野菜のマリネやキッシュなど、ソフィが手ずから作った料理がたくさん並んでいる。
いずれも美味であり、元公爵夫人が作ることができるものとは思えない。
なぜと言って、貴族令嬢というのは基本的にそういった家事労働というものを使用人に全て任せるのが普通だからだ。
確かに中には料理を趣味とする者もいないではないのだが、珍しく、また公爵夫人ともなればほぼゼロに等しいだろう。
とはいえ、私も料理は出来るので人のことは言えないが。
私の場合は騎士団などと遠征した時に作るような豪快なものが多かったのでソフィが作るような繊細な家庭料理はちょっと難しいけれど。
ここに滞在している間に習うのもいいかもしれない。
ジークが美味しい美味しいと頻りに言っていることだし。
今日はマナーはさほど気にしなくても構わない、とロルフとソフィから言われているため、少し乱れ気味だがそれでもあまり汚しすぎていないあたりは、普段の教育の効果と言ったところだろう。
それでも口元が少し汚れているから、まだまだではある。
愛らしいからそれで構わないけれど。
「あぁ、多分もう少ししたら、ここトラッドにも詳しい話が流れてくると思うけど……本当に、つい数日前の話だからね」
クレマンがそう言った。
トラッドはアステールに程近いとはいえ、それほど人の行き来は頻繁ではない。
トラッドの住民はどちらかというと自給自足を旨にしているタイプが多いため、決まった時期に養殖魚のための行商人の行き来がたまにあるくらいで、住人の移動も少ないのだ。
それが故、まだここにはアステールの惨状についての情報がなかったようだ。
「公爵位から引いたとは言え、流石に世間に対する興味を失いすぎていたな……。得ようと思えば得られた情報だ。わかっていれば何か、支援物資などの手配もできたのだが」
ロルフが悔しげにそう言ったのは、情報の入手が遅かったことそれ自体よりも、出来る行動を取れなかったことにあるようだ。
クレマンの優しさはロルフ譲りなのだろう。
自らよりも他人の利益のために動く人たちなのだ。
私のような利己主義的な人間からすると、尊敬に値する人々だ。
それを私は、死んでしまうまでそれこそ利己主義的に利用してきたことに今更ながら深い自己嫌悪を感じる。
今回は、それを償うためにというか、せめてクレマンを先に死なせるようなことにはしないようにしようと深く思った。
それから、私はロルフに言う。
「その辺りのことなのですけれど、アステールには多くの心ある貴族の方々がおりましたから。物資などについては自らの別荘などから十分な量を拠出してくださっていますし、他の土地からの入手についてもかなり円滑な手配が図られています。ですから、さほど心配されることはないかと」
「おぉ、そうなのか? ならばよかったが……食料などはどうだ?」
「少なくとも飢え死にが出るような心配はありませんわ。ただ、生鮮食料品などは不足していますわね。竜の攻撃によって港が破壊されてしまったので、出せる船も少なく……」
「そうだったか……。では時期ではないが、養殖魚などを送れば少しは役に立つだろうか?」
「もちろんですわ。市街では炊き出しなども行われていますが、やはり味気ないものが多いものですから……。トラッドの名高い養殖魚を食べられるとあっては、きっと街の皆も喜ぶことでしょう」
「では、早速明日、手配することにしよう。しかし……」
「はい?」
「エレインさんは随分と街の人々の様子に詳しいのだな? 流石に今回のような状況だと、貴婦人の出番は少ないと思うのだが……」
これは別に私を馬鹿にしているわけではなく、事実として貴婦人が災害現場に行ったところで大して役に立つことは出来ないというだけだ。
人々に混ざって瓦礫などを処理できるわけではなく、かといって怪我人を看ることができるわけでもない。料理なども難しいし、雑事をさせようにも貴婦人に対しては遠慮してしまってそのようなことを指示できる者などほとんどいない。
だから現場仕事は貴婦人には難しい。
ただ、そうではなく、屋敷などで事務的な仕事……それこそ物資の手配だとか、連絡関係だとか、そういうことならできる。
そしてその場合、貴婦人が外に出ることは少なくなるわけだから、私のように街の様子に殊更に詳しいことは不自然、というわけだ。
これについては、クレマンが苦笑しながら答える。
「それが聞いてよ、父さん」
「ん? どうしたんだ?」
「エレインは今、アステールの街で《アステールの聖女》って呼ばれているんだよ。街を歩けば市民が皆で囲んで、口々に感謝の言葉を言ってさ。僕は、エレインを迎えに行った時にその光景を見たんだけど、驚いてしまって。聖国の本物の聖女でも、あそこまで慕われることはないんじゃないかな?」
「……なぜそんなことになっているのだ?」
「エレインは今回の騒動の始めからずっと、街の治療院で治癒術師として働き続けたからだよ。家に戻って来たのは三日後でね。僕も僕でアステールのために東奔西走してたから気づいたのはそれこそその三日後だったけど……だって普通、貴婦人が家に戻らず三日も治療院で働き詰めになんてなると思わないだろう?」
冗談じみた声でそう言ったクレマンだが、内容は事実だ。
しかしロルフは信じられないようで、私の方を目を見開いて見て、
「エレインさん……今の話は……?」
本当か、という言葉を飲み込んだ彼に、私は頷いて、
「お恥ずかしい話ですが」
そう答えた。
ロルフはその答えに息を吐いて、
「……それはまた。随分な無茶をしたものだ。しかしそこまでやったのなら、しかも公爵夫人が自ら行ったのであれば、慕われるのも当然というものだ……」
そう言ったので、私は一部否定する。
「私は身分を伏せていたので、私の本来の身分を知っているのは治療院の責任者の司祭様と、直接治癒術をかけるために訪ねることになった一人の患者の方だけですわ。そしてどちらにも秘密をお願いしましたので……多分、皆さん私のことを変わった治癒術師だ、というくらいにしか思っていないのではないでしょうか」
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