第73話 義父
「……あそこがトラッドね」
馬車の外に見えてきた景色を見ながら私がそう言うと、クレマンが頷く。
「あぁ、そうだよ。川魚の養殖が盛んなのは知っているね。ほら、養殖場があるだろう?」
そう言って指し示したのは、川の流れが調整され区切られた区画だ。
土魔術と強化魔術によって丈夫な養殖場が形成されており、そこに自然状態では考えられないほど沢山の川魚が泳いでいるのが見える。
そこで私にはよく分からない器具を使って餌らしきものを与えている世話人がいて、川魚が群がっていた。
トラッドに住む人なのだろうな、と思った私だったが、それに対して、
「あ……すまない、馬車を止めてくれ。おーい!」
と、馬車の窓を開いてクレマンが呼びかけた。
知り合いなのだろう。
クレマンはこの町に私と結婚する前はよく来ていたのだから、そうした人がいて当然だ。
しかし、向こうから返ってきた返事を聞き、私は驚く。
「……ん? おい、まさかクレマンか!?」
そう言って振り返った人は壮年の筋肉質な人で、見るからに山奥の町で暮らす町人、という雰囲気だったが、問題はクレマンに対する呼び方だ。
知り合いであればクレマンの身分くらいは知っているだろうに、呼び捨てだった。
クレマンは比較的貴族の中ではフランクな人ではあるが、その身分は王族を除けば最上位の公爵である。
つまり、王族以外には高位貴族の、彼自身が認めた友人以外に呼び捨てで呼ばれることなどない立場なのだ。
それなのに。
ただ、その違和感に対する答えは、すぐに明らかになった。
「あぁ、そうだよ。父さん……久しぶりだね」
クレマンが馬車に近づいてきた人物にそう言ったからだ。
つまり、彼はクレマンの父親、ロルフということだ。
私も結婚式の時に会った記憶はあるのだが、あの時とは格好も肌の色も違っていてまるで分からなかった。
ただ、こうして近くで見れば確かに記憶にある顔だった。
当時存在してた貴族的な雰囲気はすっかりと抜け落ち、パッと見ではもう完全に平民の町人、という感じだが、よく見ればその瞳の奥にあるのは高い地位にある者特有の油断ならない輝きである。
人を自然に値踏みしているような。
ロルフはクレマンに言う。
「そうだな……三、四年ぶりくらいか? 随分と貫禄がついたじゃないか。おっと、エレインさんもいたか」
私の顔に気づいたらしく、そう言った。
私は軽く会釈をし、それから、
「お久しぶりです。お義父さま。それと……ジーク。ほら、おじいさまにご挨拶を」
そう言ってジークを膝の上に座らせて、馬車の窓から見えるように顔を出させる。
「おじいさま? ジークハルトです! ジークって呼んでください!」
首を傾げつつジークがそう言ったのをロルフは微笑みながら見て、
「おぉ、その子が。私はロルフだ。ジーク。今まで会いに行けなくて済まなかったな。このトラッドはあまりにも山奥過ぎるし、魚たちの世話もあって中々時間を捻出できなかったのだ」
そう言ったが、実際のところ、私に気を遣ってというか、あまり率先して会いたくなかったから、というのが事実だろう。
それについては本当に申し訳なく思う。
前の時の私のことを鑑みるに、何年経っても性格に問題があったし、息子であるジークも今のような素直な感じではなく、捻くれに捻くれていた。
孫であったとしても可愛くない、と思ってしまうだろうというくらいには。
子供というのは親の鏡であって、だからこそ、ジークも私に似て育っているだろう、であれば会うことは避けた方がいい、とロルフが思っても仕方のない話だった。
実際、前の時、ロルフがジークと頻繁に会うような関係だったら、ジークはロルフを色々な場面で利用していたことは簡単に想像がつく。
ロルフに情がないとか性格が悪い、ということは全くなく、むしろ賢い立ち回りをしていたと思う。
今回については、ジークをそういうタイプに育てるつもりはないし、ロルフにも普通の祖父としての喜びや楽しみを与えられたら、と思っている。
もちろん、孫など面倒なだけだ、という人であれば無理にとは思っていないが、クレマンに聞く限り、子煩悩な人のようだったし、私やジークがまともであればむしろ、孫と関わることを殊更に嫌がる感じでないと思う。
まぁ、その辺りは今回の訪問を通じて理解できればいいだろう。
ロルフの言葉にジークが、
「お魚! いっぱいいるの、食べられるんですか?」
「おぉ、食べられるとも。ただ、ここらのものはまだ若いからな。あっちの方に食べごろのがいるぞ。今日の夜に出したいが……クレマン、もちろん家に泊まるつもりなんだろう?」
ロルフの質問にクレマンは頷いて、
「父さんと母さんが認めてくれるならそのつもりだよ。一応、宿も取ってはあるけれど……」
「水臭いことを言うな。親子だろう? 部屋も沢山あるしな……エレインさんとジークも是非そうしてくれ」
私とジークの方に視線を向けそう言ってくれたので、二人で、
「ええ、是非、よろしくお願いします」
「おじいちゃんのお家だー!」
と言ったのだった。
その後、馬車にロルフも乗らないか、とクレマンが誘ったのだが、まだ仕事があるということで先に行っておいてくれと言われた。
道すがら、私はクレマンに言う。
「……私も一緒で大丈夫かしら?」
ロルフ本人に滞在を許されたとはいえ、本当に本心からそう言っているのかどうか、私には疑問だった。
元々の不義理が結構酷いところまで来ていたのだ。
それなのにああもよくしてくれることに、逆に不安があった。
これにクレマンは、
「大丈夫だよ、と言い切りたいところだけど、君に嘘をついても仕方がないからね。正直なところを言おう。父さんとしては、多分、今回の滞在で君のことを見極めたいと思っているんじゃないかな。結婚式あたりに君は父さんと会っているけれど、あの時の印象とはだいぶ変わっていることは分かっただろうし。でなければ誘ったりしないはずだ。だからまぁ、絶対とは言わないけれど、そこまで心配する必要はないよ」
「そうだといいのだけれど……」
願わくは、私の態度の急変について、変な怪しまれ方だけはしないでほしいな、と思った私だった。
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