第71話 贈り物
私がアステールの街で感じる、微妙な居心地の悪さ。
それは私が前の時にしてきた様々な悪行の中で身につけた能力を褒められるから、というだけではない。
それ以上に……。
「あぁ、ありがとうございます! 《アステールの聖女》さま!」
治療院でファビアンに頼まれ、出張治癒術士として治癒をかけにやってきた私に、ベッドに横になっていた老女が体を起こし、深く頭を下げてそう言った。
「いえ、治癒術士として、当然のことをしたまでですので……それに、フィーカさん。まだ先ほど治癒術をかけたばかりなのです。あまり激しい動きをしては……どうぞまだ横になっていてくださいませ」
私が困惑しつつそう言うと、老女……フィーカはさらに、
「あぁ、《聖女》様は心も本当にお優しくていらっしゃる……もうこの老体、いつ死んでも構わぬと覚悟しておりましたが、こうして《聖女》様が治してくれたこの体、出来るだけ長らえたいと欲が出て参りました。私に出来るお礼など、大したものはありませんが……何かないかしら……」
そう言ってベッドを出て、部屋の中を捜索しだす。
私はその動きにハラハラする。
もう九十を二つほど超えた年齢のはずだ。
しかもついこの間まで寝たきりだった人だ。
それなのにあまり急に動いては……。
その身を侵していた病魔の類は全て取り払ったには取り払ったのだが、体力がいきなり戻るというわけでもない。
だが私が止めてもまるで聞く様子がなく、そして部屋の奥の方から何か、手のひら大の箱を発見して、
「ありました! どうぞ、こちらを……」
そう言って私に手渡してきた。
どうやらこれがお礼、というつもりのようだが……。
「いえ、あの、あくまで今日の訪問は教会付属治療院の治癒術士としての奉仕にあたりますから、特に対価は必要ないのですよ? ましてや、この間の竜の襲撃の際に心労で悪化されたということですし、そのような場合、しっかりと街の方から教会と治療院に補助がなされますから……」
そういうわけなので、私には一銭も入ってはいないのだが、私はそもそもお金には困っていない。
それにフィーカはかなり困窮しているはずで、そんな彼女から何かを取るわけにはいかなかった。
だが、フィーカは私に押し付けるようにそれを渡してくる。
「いいのです。これは治療院にではなく、《聖女》様にお渡ししたいのですから……さぁ、どうぞお受け取りくださいませ」
「いえ、でも……そもそも、私は一介の治癒術士であって、《聖女》などでは……」
「何をおっしゃいます! あの日、街中で貴女さまに救われた街人は数が知れません。通常の治癒術士さまでは決して治せぬほどの大怪我を、ふらりと現れた女神のような方に何の対価も求められず治してもらった、とどれだけ街で話を聞いたか……。それにあの竜が残した氷柱が崩落した時も、奇跡の力で皆を守ったと! それらの話を聞いた時、私は思ったのです。きっと貴女さまは神が遣わされた《聖女》様なのだと……! ですから、どうか……!」
ここまで褒められるのは凄くありがたいことであるし、やったことについても確かに事実ではあるのだが、しかしだからといって《聖女》というのは違う、と言いたかった。
だから何もいらないのだと。
しかし、そう断言してしまった時のフィーカの悲しみを想像すると、そこまで強くは言えず、結局何度かの問答を経て、
「……わかりました。では、そちらについてはお預かりする、ということでいかがでしょう? いつでもお返ししますから、必要になった時は、我が家をお訪ねくださいませ」
「《聖女》さまのお家に……? 私などがお訪ねしてよろしいのですか……!?」
「もちろんです。あぁ、その前に、私の家ですが、ここからだと少し遠くて、高台の上なのですけど……」
「高台の……え? あの、もしかして、ですが……《聖女》さまのお名前は……?」
「エレインとしか名乗っていませんでしたね。正しくは、エレイン・ファーレンス、と申します。ですから……」
「こ、公爵夫人さまでいらっしゃったのですか!? 高貴な方だとは思っておりましたが、まさかそれほどの方だとは……今までのご無礼をお許しくださいませ。何卒、何卒……」
この街で治癒術士として活動している最中は、身分を名乗るとこうなってしまうことがわかっていたため、結局ファビアンにしか名乗っていないのだが、フィーカは家にいつでも来ていい、と言った手前、言わないわけにはいかなかった。
ただし口止めは必要だろう。
「今まで通りの態度で大丈夫ですよ。それと、こちらをお受け取りください」
私はそう言って、フィーカに小さなメダルを手渡す。
「これは……?」
「表にファーレンス公爵家の紋章が、裏には私のそれが彫られているものです。そちらを門番に見せれば私のお客だと分かるものです。ですから、いらっしゃるときはそちらをお持ちください」
「い、いいのですか……?」
「ええ。ですけど、私の本名についてはフィーカさんの心のうちに留めておいていただければありがたいです。街の皆さんとこれ以上、心の距離が離れてしまうのは寂しいですから」
実際、困ったことに今、街中では私の名前はエレインではなく、《聖女》と呼ばれることが大半になってしまっているのだ。
一々訂正してはいたのだが、流石に三日目ともなるともう訂正するのにも疲れてきて、一応言うだけみたいになってしまっている。
恐ろしいのはこれを聞きつけた教会とか聖国とかの反応であるが、アステールの教会についてはファビアンが司祭であるからか、特に問題にはなっていないようだが……。
まぁ、あまり考えすぎても仕方がない。
私は休暇でアステールに訪れただけであって、そのうちここを後にするのだから、そういう噂みたいなものはしばらくすれば消え去るだろう。
だからあまり気にすることもないのかも知れない。
「分かりました……このフィーカ、墓の中までお名前の秘密は持っていきますぞ! このメダルも家宝として、守り続けますので!」
「いえ、そこまでされずとも……それにあくまでも、これをお預かりした証で……」
「いいえ、そちらは差し上げたもの。何かありましたら、ぜひお使いくださいませ」
とてつもなく頑固な人だが、まぁ、元気になったようではあるのでまぁいいか、と思うことにした私だった。
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