第70話 働きぶり
「……こちらの男性は比較的軽症です。ミリーのところへ。彼女でも治せます。こちらは……重症ですね。残念ですが……」
「そ、そんな! 夫を、リカルドを助けてやってください! お願いします! お願いします、司祭様……!」
「本当に申し訳ないのですが、治癒術師達の魔力が有限な今、助かる見込みのない者に浪費することはできないのです……」
「なんでっ! 助かるかもしれないでしょう!? なんで……なんでそんなことを言うの……!」
目的地としていた教会併設の治療院にたどり着くと、そんな会話が聞こえたので駆け寄る。
「あの、申し訳ないのですが……」
と、私が話しかけると、壮年の神官が、
「貴族の方でしょうか? 治癒士でしたら、誠に申し訳ないのですが、数が足りなく。ここからお連れされるのはお断りしていますので……どうか」
と懇願するように言ったので何か勘違いされていると理解した私は、
「そう言うことでは無いのですーー失礼します。《大治癒》」
そう言って呪文を唱えた。
通常の治癒よりも強力な効果を有するもの。
代わりに使用魔力量はかなり増えるものの、私にはまだ余裕がある。
ただ、これで終わりというわけではないため、まだまだ魔力回復量と相談しながら使う魔術の選定をしなければならないが、この男性については通常の治癒だけだと厳しいものがあったので仕方がなかった。
あの竜の攻撃を防ぐために作った魔術盾に対する消費がなければ、治療院を覆う形で範囲治癒を使っても良いのだが、流石にそれをやると空っぽになってしまう可能性がある。
それだけあの攻撃の威力は馬鹿げていたわけだが、それ以上に私の魔力量の少なさに問題がある。
鍛えて、伸ばさなければ……。
「おぉ、これは……!」
壮年の神官が驚いたように目を見開く中、私が掲げた手から溢れる光が男性の患部に触れると、その傷を癒していく。
肉を裂かれ、骨すら覗いていた状態にあったが、《大治癒》は欠損まで修復することが出来る高位治癒魔術だ。
生きてさえいれば、そして使用者の魔力量が十分であれば、大体の傷は治すことが出来る。
事実、先ほどまで死に向かうしかなかった男性の傷は数秒で完全に治癒したのだった。
男性の妻らしき女性が、涙ながら、
「リカルド……! あぁ、治ったのね! 治癒術士様、ありがとうございます!」
そう言って抱きしめ、男性の意識も僅かに戻って、大丈夫そうなのを確認してから、私は神官様に改めて向き直り、言う。
「私は確かに貴族の一人ではありますが、その前に治癒術師です。アステールのこの危機に、何かできることがあるのではないかと参りました。どうか私に治療院を手伝わせていだけないでしょうか」
「貴女は……本気なのですか? 今のこの状況です。極めて過酷な職場になるのですが……」
「承知の上です」
そう言った私の目を真っ直ぐに見つめて、神官様は頷き、
「……冗談ではないようですね。私はファビアン・アンテス。貴方は……」
「エレインです」
「こういった場での活動経験は……?」
「何度か。怪我人の選別や魔力の配分についても基本的なことは身に付けています」
「それは頼もしい。では、どうぞこちらへ」
その日から、私は治療院で、そしてアステールの街で働き始めた。
主な仕事はもちろん、治癒術士として怪我人の治癒をすることだったが、氷柱の崩落とそれによる被害を避けるために、先んじて魔術によって氷柱を消滅させることなどもした。
また、アステールにはそれなりの数の貴族達がいて、街から逃げたものも少なくなかったが、残って自らの戦力である魔術師や治癒士を引き連れて支援をしようとする者もいたので、そういった者たちと協力することもあった。
そして三日が過ぎ、竜の襲撃による被害を、概ね片付けることが出来たのだった。
◆◆◆◆◆
それでも、崩れた建物を皆、修復したというわけではないし、軽い怪我だったが後々化膿してしまって酷くなったとか、少し落ち着いたらホッとして倒れてしまったとか、そういう人々もそれなりに発生したため、まだまだ完全に落ち着けるような状況にはなっていない。
ただ、治療院で慌ただしく全員が動き続ける、という感じではなくなっていて、家から動けないような怪我人や病人のところに行って、治癒したり薬などを届けたりする仕事に人を割けるようになった。
「エレイン、貴女はそろそろお家に戻られても大丈夫ですよ?」
神官さま……ファビアンが一時と比べてかなり落ち着いた治療院の様子を見ながら、ふと私にそう言った。
「いえ、ですが……」
「三日間、貴族の方がこれほどまでに働き詰めでは、ご家族の方も心配されているでしょうし……そういえば、今更ですが、エレインは一体どこの御令嬢なのでしょうか?」
ふとそんなことを聞いてきた。
私は一瞬答えるべきか迷った。
というのも、一番最初に名乗った時、家名を名乗らなかったのはそれによってファビアンが私にかなりの遠慮をするだろう、と思ったからだ。
ファーレンス家の名前は重く、聖職者であってもそれなりの地位でなければかなり遜られることが多い。
ただ、それはあの状況では余計な気遣いを生むと考えた。
しかし……アステールの街がこれだけ落ち着いた今なら、しっかり名乗っておくべきか、と思い直し、私は言う。
「これは、失礼いたしました。私はエレイン・ファーレンス、ファーレンス公爵の妻です」
するとファビアンは目を見開き、
「なんと……!? 公爵夫人でいらしたのですか! それなのに、あの過酷な職務をやり切られたとは……」
そう言った。
これは、別に貴婦人を馬鹿にしているのではなく、至極普通の感覚だろう。
通常、貴婦人にはそんなことをやろうと思ってもできるだけの体力も経験もないからだ。
心優しく、民のために何かをしたい、という気持ちを持った貴婦人というのは平民が思っている以上にいるものだが、実際にやってみるとなると出来ないのだ。
たとえば、少しスラムの状況を見たくらいで血の気が引いて卒倒する、なんてことは枚挙にいとまが無い。
中には孤児院で炊き出しを始めたり、小規模な商会を立ち上げて雇用を創出するなどする場合もあるが、そこまで出来るのは少数派なのだ。
私の場合は、そういった心優しい貴婦人達とは少々異なり、傷の手当てや傷病者の選別などは、自分が兵を率いて他の貴族を潰しに行った際などに必要だったから身につけたことだった。
だからあまり褒められたことではない。
そのため、立派な人物を見るような目で見られると、どことなく居心地が悪い気がした。
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