第68話 お願い
竜が飛び去って一時間ほどしてから、ニコライとクレマンが戻ってきた。
「ベルタ、イリーナ! 無事だったか」
「エレインとジークも……よかった」
二人とも口々にそう言って、それぞれ家族を抱きしめてホッとしているようだった。
それも当然だろう。
竜の強力な攻撃は湖上にいただろう彼らからも十分に見えていただろうから。
あれを見て、自らの家族だけの無事を信じられる者などいない。
「貴方たちも無事で良かったわ。船は攻撃されなかったのね」
私がそういうと、クレマンが頷いて、
「あぁ。そもそも僕たちはあの竜の後ろから追いかけるような形になったから、気づかれなかったんだろうね」
「追いかける?」
「うん。山であの竜の痕跡を見つけてね……ほら」
そう言ってクレマンが懐から布に包まれた何かを取り出した。
それを開くと、そこには美しい青色をした板状の物体……竜の鱗があった。
「あの竜は……山から来たのね」
「多分ね。山にはかなり異変があって、魔物も妙な動きをしていたよ。鬼魚の異常もそのせいだったんだろうね」
「そういうことだったの……」
山にいる竜の圧力から逃げるようにアステールの方へと向かってきた、というわけだ。
なるほど納得できる話だった。
「しかし……こちらの方にもあの氷柱が飛んできていたのが見えたのだが、どこにも突き刺さっていないな? 街にはまだしっかり消えずに残っていたんだが」
ふと、ニコライが周囲をキョロキョロ見ながら不思議そうにそう言った。
これに答えたのは彼の妻であるベルタだ。
「それなんだけど……エレインが守ってくれたのよ。魔術盾を張って、完全に防御しきってね……凄かったんだから!」
何というか、興奮した様子でそう言ったベルタに、ニコライが驚いた表情で、
「何……!? ということは、エレイン殿がいなければ……」
「私もイリーナも、それに屋敷の使用人たちも、みんな死んでいたでしょうね。エレインは命の恩人よ」
「それは……エレイン殿。なんとお礼を言ったらいいのか……」
ニコライは私の方に向き直って、頭を下げてくる。
しかし、私は首を横に振って言う。
「構いませんわ。私もお友達を守れて嬉しかったですから。むしろ私がここにいる時に襲いかかってくれて、ちょうどよかったとあの竜には言ってやりたいくらいです」
若干の軽口に、ニコライは笑って、
「ははは。何と豪胆なお人だ! きっと竜も貴女のその勇気に尻尾を巻いて逃げ出したに違いない……! しかし、改めて言いましょう。本当にありがとうございました。貴女がいらっしゃったお陰で、俺は家族を失わずに済んだ。本当に、ありがとう……」
若干涙目で言ったニコライに、私はここまで感謝された経験がなく、何と言っていいものかわからなくなって、静かに首を振るくらいしか出来なかった。
前の時は、憎しみの目で見られるくらいしかなく、呪詛を呟かれたことはあっても、お礼なんてまず言われなかった。
非常に珍しい経験で、少しまごついてしまった私だった。
「それにしても……あの竜はもう去ってしまったようだけど、一体何の目的でアステールに攻撃を加えたのだろうね?」
クレマンがふと、そんなことを言った。
それについては私も気になっていることだったので、
「竜は高位のものほど高い知能を持つと言われているし、あれほど強力なものであれば人に匹敵する知能を持っていてもおかしくない。何らかの目的があってアステールを攻撃した可能性が高いとは思うけれど……考えても分からないわね。特に何があるという街でもないし……」
保養地・観光地であるから人間にとっては素晴らしい街かもしれないが、竜にとって何か深い意味があるような土地柄とも思えない。
こだわりがあるのならあれだけで去っていくのもよくわからない話だ。
考え込んだ私に、ニコライが、
「そういえば、山の方で見かけた時には上空をしばらく旋回していたが……」
と言ったので、クレマンも、あぁ、と言った様子で、
「確かにそうだったね。あれは何だったんだろう? 鳥だったら何か獲物でも探していたとかそんなところだろうけど……」
「探し物か? うーむ……ありそうな話だが、いったい何を。あちらの山も特に何があるというわけでもな。それにそうなるとアステールには何故攻撃したのだ?」
「それを言われると僕にも……。というか竜の気持ちなんて僕には分かるわけないじゃないか。今わかっている状況から推測できることも、これ以上はないよ」
「……そうだな。まぁ、とりあえずは竜が去ってくれたことを喜んでおくか。いつ戻ってくるとも分からんのが不安だが」
「恐ろしいことを言わないで欲しいけど、確かにその危険はあるね……」
「あの街の状況で、また竜に来られてはたまらんな」
ニコライの言葉に、私は気になって尋ねる。
「街の方は如何でしたか?」
「被害が小さいとは言えませんな……。さっきも申し上げた通り、こことは違って氷柱は消えずに残っておりました。いずれも見上げんばかりに巨大で……建造物が崩れ落ちている光景が広がっております。怪我人も少なくなく……今、街はてんやわんやです」
「そうでしたか……」
かなり酷いようだった。
私のように防御に成功した者など、街にはまずいるとは思えない。
私にそれができたのもほとんど奇跡に近いようなものだった。
もう一度同じことをやれと言われても勘弁願いたいくらいだ。
もちろん、また同じことが起こった場合にどうにか出来るよう、これからは対策を考えていくつもりはあるが、今すぐはどうやっても無理だ。
ともあれ、街の状況を聞いた私は思った。
「あの……クレマン」
「何だい?」
「街に、行ってみてもいいかしら?」
「エレイン……」
私の言葉にどこか呆れたような表情のクレマンに、申し訳なく思ったが、私は続けた。
「私にも、多少の治癒術の心得くらいはあるわ。街に行ったところで出来ることは大してないとは思うけど、でも少しくらいは役に立つと思うの」
「君は……はぁ。分かったよ。こういう時の君は何を言っても無駄だと、僕が一番知っているしね……でも、今の街は殺伐としているから、危険だ。護衛を半分つけるから、それでいいね?」
「ええ、もちろん」
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