第61話 広がる秘密
「……うっ、こ、ここは……?」
ソフィ号、その船室の中にあるベッドの上で、一人の少女が身動ぎしつつそう言って目を開いた。
少女の名前はイリーナ・オクルス。
オクルス伯爵の娘。
年齢はジークより一つ上らしい。
髪と目は、父親から受け継いだらしく、流れるような黒髪と宝石のような碧緑の瞳をしていた。
今はまだ幼いものの、成長すれば絶世の美女になるだろうことが期待される可愛らしい少女だった。
服や髪の毛については、ここには侍女を連れてきていないので私が全て世話をした。
子供とはいえ、男共にはやらせるわけにはいかないし、そもそも貴族の少女が身につけている服を扱えるわけもない。
かなり複雑な作りになっているからだ。
まぁ、厳密なことを言うなら本来、服を着せ替えてもらうばかりの私がそれらの扱いを心得ていること自体、奇妙な話になるのだが、私には前の時の記憶がある。
追手に追われる中、様々なところに隠れる必要があった私は、一通りの役どころを演じられるように技術を身につけたのだ。
特に侍女については身近な実例としてよく観察していたので、公爵夫人でなくなったとしても明日からは侍女として働けるな、なんて思ったくらいだ。
そんな訳で、イリーナの着せ替えは私が担当したわけだが、その時に部屋に二人だけになったので、勝手とは思いつつも体に異常がないかも詳しく見させてもらった。
そして、調べた限り特段どこにも問題なく、前の時のようにどこか不自由、と言うことはなさそうだと分かった。
考えるに、前の時のイリーナの不自由、というのは今回の事故で起こってしまったことなのではないだろうか、というのが私の推測だ。
表舞台にほぼ出てくることもなく、私がオクルス伯爵と正面切って争う必要が出てきた頃には既に亡くなってしまっていた為、あまり詳しいことは分からないが……。
ただ、まだまだ油断は出来ない。
人生には何があるかなんて、その時になってみないと分からないからだ。
少なくとも、彼女が社交の場にデビューするくらいまでは気をつけて見てあげなければ、前の時のようになってしまう可能性は拭えない為、それとなく注意しておくことにしよう、と私は思った。
以前は敵対したとはいえ、今回は全くそんなつもりはなく、それにジークが助けた少女だ。
そうせずとも命は助かったことは分かっているが、やはり今後は放っておく、なんて気にはならない。
「イリーナ! 目が……覚めたか! 体に不調はないか!? 気分が悪かったりはしないか!?」
ベッドの横でずっとイリーナの手を握っていたニコライが、イリーナに脅しているのではないかと尋ねたくなるほどの剣幕でそう聞いた。
これにイリーナは特に怯えることもなく、
「あ……おとうさま。ええと、だいじょうぶ、ですけど……ここは……わたくし、どうして……」
「覚えていないか? お前は船から湖に落ちたのだ。巨大な鬼魚が船に体当たりした時に、大きくバランスを崩してな。俺が伸ばした手も、届かなかった……悪かった……」
「でも、わたくし、いきてます……」
「あぁ、それはな。こちらの方々がお前のことを助けてくれたからだよ。ファーレンス公爵家の……」
と、そこでニコライが私たちの方を振り向いたので、クレマンが、
「私はファーレンス公爵、クレマン・ファーレンスだ。こちらが妻の……」
「エレインです」
それから私がジークに視線を向けると、自己紹介を求められていることを察したらしく、
「ジークハルトだよ! ジークってよんで!」
と可愛らしく言った。
すると、イリーナは身を起こして、私たちに、
「わたくしは、イリーナ・オクルスです。たすけてくれて、ありがとうございます……!」
と頭を下げた。
その姿に私たちは少し慌て、クレマンが、
「いや! まだ体が辛いだろう! 横になったままで大丈夫だよ!」
と言う。
しかしイリーナは、
「たすけてもらったのに、しつれいだとおもって……。おとうさまが、いつも、おまえをたすけてくれたひとには、れいをもってむくいなさいって……」
「それは間違っていないが……とにかく、今はいいんだよ」
クレマンに続いて、ニコライも、
「こういってくださってるんだ。遠慮せず、横になっておけ」
と言うと、イリーナはやっと受け入れて、
「はい……」
と横になったのだった。
どうにも根性がありそうな娘だな、というのと、自己を犠牲にすることも厭わないタイプだ、というのを同時に思った。
このタイプは味方にすると無類の頼りがいを発揮するが、敵にするととにかく面倒くさい。
信じられないほどに諦めが悪く、食らいついてくるからだ。
そういうところは父親に似たのだろうな、と理解し、オクルス家はやはりどうあっても敵に回すべきではないなと私は改めて思った。
それから、横になりつつもイリーナは気になったのか、
「わたくし、みずうみにおちたのですよね?」
「あぁ、そうだが……」
「どうやってたすかったのですか? たすけていただいたのはわかったのですけど……なにかくろくてやわらかいものにつつまれたようなかんじはぼんやりおぼえているのです……」
「それは……ううむ」
ニコライが唸る。
クレマンとの約束上、喋るわけにはいかないからだ。
ニコライはどうすべきか、とクレマンに視線を向け、クレマンが何か言おうとしたが、その前に、
「ぼくがやったんだって!」
と、ジークが無邪気に言った。
イリーナは、
「あなたが……?」
「うん、なんだか、とくしゅまじゅつっていうやつで!」
「とくしゅまじゅつ……ジークさまはそんなことができるんですね。すごい!」
この会話に、大人たちはなんともいえない視線を交わし合ったが、子供のすることだ。
どうしようもない。
ニコライが立ち上がり、クレマンの耳元でヒソヒソと、
「済まん……止めようがなかった」
と言ったので、クレマンは苦笑しつつ言った。
「いや、今回のは家の息子が自分で言っただけだからね。君が謝ることではない。だが、秘密の方は頼むよ」
「そう言ってくれると助かる……勿論、全力で秘密は隠し通すよう誓わせよう」
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それと、本作とは関係ないんですが短編を書いたのでよろしければ読んでいただけると幸いです。
「心ない令嬢と黒公爵」
https://ncode.syosetu.com/n7606gm/
という作品です。
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