第6話 働く公爵夫人
『うーむ……』
真夜中、夫……クレマンの執務室の前を通ると、中から悩ましげな声が聞こえたので気になって扉を叩く。
『誰だ?』
「あなた。私です。エレインです」
『あぁ……そうだったか。入ってくれ』
そう促されて中に入ると、まず目に入ったのは執務机に山と積まれた書類と、そして少しばかり目に隈ができている夫、クレマンの姿だった。
「あなた……お仕事?」
「あぁ、そうだ。すまないな、お前と、ジークハルトとの時間もここのところあまりとってやれずに。どうもここのところ、領内の村々の農作物の収穫量が落ちているようでな。その対策にかかりきりで……」
この場合の対策、とは他の多くの悪どい貴族とは異なり、どうやってその状態で税収を搾り取ってやろうか、というような話ではないだろう。
クレマンはそういうタイプではない。
そうではなく、収穫量が落ちた領民の生活の保護などを考えているのだろう。
領民、特に農村の民の生活の質は農作物の収穫量とほぼ直結しているため、目に見えてそれが落ちるようだといずれは飢饉という形で問題となって現れる。
前の時も何度かあった。
そういう場合、クレマンは補助金を出したり、食糧支援などを行っていたが、官吏などの中抜きの危険性を考えてそのチェックには相当な労力をかけていた覚えがある。
今も山積する書類の数々は、本来彼自身が見るというより部下に任せるべき類のものだろう。
しかし、いかんせん、完全に信用できる部下というのは多くない。
クレマンも数人の信頼できる部下には任せているだろうが、それでもなお、彼自身でチェックしなければならないものがこれだけある、ということだ。
「……本当に、お仕事お疲れ様。そうね……ちょっと、こっちの書類、もらうわね」
「ん? あっ、おい……エレイン。それは君が見てもすぐに分かるようなものじゃ……」
クレマンはそう言ったが、これは別に私の能力を疑ってのものでは無い。
どちらかというと私の怠慢のゆえ、というのが大きいだろう。
魔法学院を卒業し、クレマンと結婚してから、私はこういった事務仕事に能力を発揮したことが全くなかった。
加えて魔法学院にいたときの成績はクレマンも知っているから、ある程度の事務能力があることも理解しているだろうが、領地経営というのはセンスの問題もあるから、いきなり書類を見たところでなにができるというわけでも無い。
しかし、私には前の時の経験があった。
前の時は……途中まではさして領地経営に関わらなかったのだが、王家の挿げ替えの計画を立て始めたところで、どうしてもそう言った方面の努力が必要であることを理解した。
その時点から少しずつ学び、領地経営のノウハウを身につけたのだが、その時の経験が今、生きるだろう。
書類を丁寧に、しかし速度を維持して処理していく。
クレマンから奪った書類の数は十枚ほどで大した量では無いが、その全てを処理したところで、クレマンに手渡した。
「どうかしら。問題点と解決法を洗い出してみたのだけど……担当者にも分かりやすいように注釈も入れておいたわ。貴方の指示の出し方と可能な限り同じようにしておいたつもりなのだけど……」
前の時にクレマンのやり方はよくわかっている。
だからそれもまた容易なことだった。
クレマンは初め、疑わしそうな顔をしていたが、書類を一枚一枚見ていく中で、その表情が変わっていく。
そして最後まで見たところで、
「……エレイン。頼みがあるんだが」
そう言い出した。
私は彼に、
「なにかしら? 貴方」
そういうと、クレマンは言った。
「……この書類の半分……いや、三分の一でいい。手伝ってくれないか……?」
「ふふ。貴方は私の夫よ。手伝えと命令してくれてもいいの」
「いや、私は君とは対等でいたい。対外的には私が公爵家の総領だから、そうあるとはいえないが、家の中では」
「嬉しい言葉ね。私は貴方のそういうところが、好きだわ……半分、書類もらっていくわね。できるだけ早く終わらせましょう。じゃないと、素敵なそのお顔が全て隈で覆われてしまうわ」
冗談まじりに言ったその言葉に、クレマンは机の中から手鏡を取り出して自分の顔を観察し、私の言葉が冗談ばかりでも無いと気づいたようだ。
首を横に振りながら、
「……流石にそれでは使用人たちからも魔物と勘違いされかねない。公爵が使用人に討伐されては笑い話だ。睡眠時間をできるだけ早く確保できるよう、頑張ろう」
そう言ったのだった。
◆◆◆◆◆
「……ふう、なんとか終わったわね」
外から朝日が差し込んでくる時間になって、書類の処理が全て終わった。
私とほぼ同時にクレマンも仕事を終えたようで、
「……エレイン、君がいなければ、今日の夜までかかっていたと思うとゾッとするよ」
本当に怯えたような口調でそう言ったものだから、少し笑ってしまう。
「もう少し信頼できる部下を増やすか、スケジュールを考えるべきね」
「私もそれはわかっているのだが、スケジュールの方は少し難しいな。特に今回の場合は緊急を要する村もいくつかあった」
「それは……確かにそうね。ただの不作なら補助金や食糧支援でどうにかなるでしょうけど、魔物の被害に遭っているところは放置できないわ」
「やはり君もそう思うか。村から上がってくる報告の中には魔物のことについて触れられていたものは少なかったが……」
「村人たちも気づいていないところがいくつかあるわね。単なる獣の被害だと思っているようで。ただ緊急と言っても今日明日の話では無いでしょうけど、一月放置しては危険という感じかしら。どこがそうなのかこうして早めにわかったのはよかったわ」
「あぁ。ただ思った以上に数が多い。農村近くに出現するような魔物の繁殖期には少し早いはずだが……」
「それは私も気になったわね。実際に見にいく必要があると思う」
「そうだろうとも。ただ、騎士団の人員にも限りがあるからな……人手が足りん。緊急度が高いところから割り振っていくしかないか……」
「そうね……貴方、騎士団の方はそれでいいとして、私に一つ提案があるのだけれど」
「ん? なんだ」
「私も農村の見回りに行こうと思うの」
クレマンが目を見開いた。
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