第46話 ウェンズ商会
馬車がゆっくりと止まる。
扉が開き、使用人の手を取って、私は馬車を降りた。
目の前にあるのは大きな店舗で、この店の主はウェンズ商会。
先日、セリーヌに紹介してもらった商会だ。
今はせいぜいがこのイストワード王国において比較的大きい、くらいの中規模商会に過ぎない。
それもそのはず、この商会が作られたのはほんの十年ほど前であり、新興の商会なのだから。
それでいてたった十年でこれほどの規模にまでしたその手腕は考えてみれば恐ろしいものがある。
実際、最終的にはその力は国内のみならず国外においてもいくつもの支店を築き上げ、その経済力は小国の主に匹敵するとまで言われるほどの規模になることを私は知っている。
前の時に、セリーヌを最後まで支え続けたのがこの商会だった。
今にして思えばなぜこの商会がこれだけ巨大になれたのか、理解できる。
セリーヌの《予言》の力だ。
彼女がどこまでこの商会に肩入れしていたのかは最後まではっきりとはしなかったが、商品となりうるものの価値の上下が数年分分かるだけでも商人にとっては万金に値する情報である。
そんな力を持っているセリーヌのことを絶対に失うわけにはいかなかったからこそ、ウェンズ商会とセリーヌは固い協力関係で結ばれていたのだと思っている。
ちなみに、商会の方の利益は単純に経済的なものに集約されるが、セリーヌの方が得ていたのは情報であった。
ウェンズ商会は通常、商人として活動している集団ではあったが、様々な国に従業員を派遣し、貴族平民問わず多くの顧客を世界各地に抱えていたため、そこから吸い上げる情報は並々ならぬものがあった。
それをそのままセリーヌが得ていた、ということで、なるほどファーレンス公爵家を支える《影》との間の諜報戦争を対等にやり合ってくれたのはここに源泉があったのかという納得の感がある。
出来れば味方にしたいところだが、前の時もそうだったがセリーヌが亡くなってからもウェンズ商会は私の軍門に降ることはなかった。
だからウェンズ商会とセリーヌの関係の底には、単純な利益の共有以外のものもきっとあるのかもしれない。
まぁ、それこそただ単に私のことが嫌いだっただけかもしれないが。
それだけのことをやったからね……前の時は。
けれど、今の私であれば話を聞いてもらうことくらいは出来るだろう。
そもそもがセリーヌからの紹介であるし、誰かに心底嫌われるようなことはまだほとんどやっていない。
せいぜいが、この間の《魔塔》での戦闘くらいだが、あれはお互いの力試しのようなものであって憎しみが生じるものではなかったはずだから。
そこまで考えて私が商会店舗の方に近づくと、中からきっちりと整えられた店員が現れて、
「お待ちしておりました、奥様。さ、どうぞこちらへ。会頭がお待ちしております。本来であればこちらから出向くのが礼儀であるのに、こうしてわざわざ店舗に足を運んでいただいて……我々従業員一同も大変感激しております」
そう言って中へと招く。
私の使用人に対する態度も丁寧であり、なるほどよく教育された店員たちばかりだと納得させられた。
中規模程度の商会、それも新興のところは貴族自体には敬意を払った行動をしても、使用人についてはぞんざいに扱うような場合も少なくないからだ。
しかし、実際のところ貴族の使用人に対してそのような態度で振る舞うのはあまりいい手ではない。
なぜなら、そういった、一緒に買い物に行く、などという場合に貴族が連れていく使用人というのは、家の中での地位自体については高くなくても、幼少期から共に育ってきた人、とか、歳が近いからほとんど友人だと思っている、などということが少なくないからだ。
そして、そんな者であるのにぞんざいに扱われていい気分がする者などいない。
古くからある大店などはそういった細かい事情も含めてよく知っているが、新興の商会がそういった内実を知ることは難しい。
実際にそういう応対をしてしまった時でも、貴族令嬢などは全く顔に出さない。
連れられてきた使用人も何も言わない。
しかし二度と使われない上に、社交界にあの店は分かっていない、とか、貴族社会には不要である、ということを遠回しに噂話として流される。
そして気づかぬうちに商売が成り立たなくなっていき、潰れる、というのがよくあるシナリオだ。
何が悪かったのか最後まで分からないから、仮に再起してもう一度同じことをやったとしてもまた繰り返す可能性まである。
だから、中規模商会から一皮剥けるのは、恐ろしいほどに難しい。
ただ、ウェンズ商会にはそういった心配は要らなそうだった。
そもそも、前の時にしっかりと成功しているところを見ているわけだし、もともと心配などないけれど。
仮に失敗しても私としては何となく溜飲が下がったような気持ちになるかもしれないくらいだ。
セリーヌが懇意にしている商会だから、そうなるように手を回したり、なんてことはしないけれど。
店舗の中を歩いていくと、並んでいる品々にかなりのセンスを感じる。
さりげなく並べられた調度の類も、パッと見ではどこにでもありそうな品に見え、平民がこの店に入っても気圧されることはないだろうが、私たちのような者の目から見れば、それらが非常に高価で手に入りにくい品々だということがよく分かるような絶妙な選び方をしている。
また商品についても、商品選びから陳列、包装まで全てが行き届いており、店員のよく教育された態度は表面上のものだけではなく、中身もまたよく躾けられていることが分かる。
セリーヌの《予言》の力頼りで成り上がった商会だ、という感覚がどこかにあったが、これはもうそれだけではなさそうだ、ということが伝わってくる。
これから会う会頭も、やはり一筋縄ではいかないだろう。
そもそも、私はその人の名前も顔も知っている。
性格についても……まぁ、知ってはいるが、それはあくまでも未来のものだ。
今この時点で、どんな性格なのかは正直わからない。
トビアスの例もある。
しばらく進んで、とうとうそこにたどり着く。
会頭の執務室だ。
先導してくれていた店員が、その扉を軽く叩くと、中から、
「どうぞお入りください」
という丁寧な返答が返ってきて、店員が扉を開き、把持したまま、中へ入るように促してきた。
私は頷いて、静かにその中に入っていく……。
読んでいただきありがとうございます。
今日は時間通り!
もし少しでも面白い、面白くなりそうと思われましたら、下の方にスクロールして☆を押していただけるとありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。
ブクマ・感想もお待ちしております。