第42話 魔術師トビアス・アンゾルゲ
俺、トビアス・アンゾルゲが《魔塔》、その中心部に立つ塔、その中の《塔主》の執務室の前で待っていると、
「……それでは、そろそろ失礼いたしますわ、カンデラリオ様。本日は実りある良いお話が出来ました。今後のことについては、連絡を密にし、お互いに繁栄できますよう、持ちつ持たれつでやっていきましょう」
執務室の中から、そんな声が聞こえてきた。
先ほどまでは内部の音は一切漏れ聞こえてこなかったことから、十分な防音の魔術を張っていたのだろうが、話し合いが終わったのだろう。
残すは最後の挨拶だけ、ということで魔術を解いたのだと思われた。
その証拠に、声が聞こえた数秒の後、扉が開いて中から貴婦人が現れる。
二十歳ほどの美しく品のある、そして年齢に見合わない妙な覇気を放つ凄みすら感じられる女性だ。
彼女とは何故か本気で交戦する羽目になったが、実のところファーレンス公爵夫人であり、正真正銘の貴婦人であることが明らかになった段階で俺の頭はパニックを起こしきりだった。
今だって、ここで待っていたのはそれを整理したかったからなのか、彼女に何か言いたかったからなのか、判然としないくらいだ。
そんな俺の心を知ってか知らずか、ファーレンス公爵夫人、エレイン・ファーレンスは俺の顔を見て、
「……あら。トビアス様。もしかしてカンデラリオ様に何か御用でしたか? 随分とお待たせしてしまって申し訳ないです」
と言ってきた。
それを聞いて、どうやら俺の名前くらいは覚えてくれたらしい、と妙にほっとする。
というのも、彼女からしてみれば俺など、あの正門での戦いにおいて他の中級魔術師とほとんど変わらずに敗北を喫したいわゆる”弱い”魔術師でしかないだろう、とどこかで思っていたからだ。
魔術師というのは、自らより力を持つ者を尊敬する。
逆に、持たない者については見下す傾向が強い。
だからこそ、この貴婦人は俺の名前など覚える価値もないものとして捉えたのではないかと思っていた。
だがそうではなかったようだ。
俺は少しばかり機嫌が良くなって、エレインに言う。
「いいや、大して待ったわけじゃない。それに、重要な話をしていたんだろう? だから構わんさ。まぁ、内容についてはできれば俺も教えて欲しいところだが……」
「そうでしたか? なら良いのですが……ええと、カンデラリオ様と相談した内容については、後々トビアス様も関わってくることもあると思いますので、カンデラリオ様本人からお話があるかと……そうですわね、カンデラリオ様?」
振り返ってジジイの顔を見たエレイン。
ジジイはその言葉に頷いて、
「そうですな。まぁ、最終的には《魔塔》の人間全員に周知することになることじゃが……トビアスには先んじて話しておく必要もあろう」
「へぇ。じゃあこの後聞かせてくれよ」
「うむ。じゃがその前に、エレイン殿の見送りをせねば……」
「いえ、それには及びませんわ」
「しかし、ここは《魔塔》ですぞ。かなり変わった性格の者も多く、貴婦人にとって安全とは言い難いのですが」
「この《魔塔》に、私に危害を加えられるような魔術師がカンデラリオ様とトビアス様の他にどれくらいいらっしゃいますか?」
凍りつくような微笑みを浮かべながら言われたその言葉に、俺もジジイも絶句する。
俺については実際に数人がかりで挑んで完膚なきまでに敗北したし、ジジイにしても気圧される部分があるのだろう。
そんな俺たちの反応を一通り楽しんでから、この恐ろしい貴婦人はふっと緊張を解いて言った。
「……なんて。冗談です。でも、ここから正門までは一直線ですし、大丈夫だと思います。少し一人で《魔塔》の敷地を観察してみたくもありますし……だめ、でしょうか?」
先ほどまでの堂々とした態度とは異なり、どこか庇護欲を誘うような瞳でそう尋ねるエレインに、ジジイはため息を吐いて、
「……わかりました。では、どうぞお帰りください。敷地内の見学も許可いたしますが、くれぐれもお気をつけを」
「ええ。ではまた。トビアス様。カンデラリオ様」
そう言って鼻歌を歌いながらエレインは去っていく。
その様は夢見がちで世間知らずな若い貴婦人にしか見えなかったが、実際は羊の皮を被ったドラゴンでしかないということを俺もジジイも理解していた。
それから、俺はジジイの招きにしたがって、ジジイの執務室に入った。
扉が閉じると同時に、ジジイの惚れ惚れするような魔術によって、部屋に完全防音の結界が張られる。
これを崩せ、と言われても出来る魔術師は滅多にいないだろう。
俺には出来るだろうが、それにはそこそこの時間が必要だろうし、ジジイに全く気づかれずにやることはまず不可能だ。
ただ、あの貴婦人はどうだろうか、とふと考える。
それこそ鼻唄混じりでやってしまいそうだ、という結論に達しかけて、いやいやと首を横に振った。
「トビアス、どうした?」
「いや……あの貴婦人のとんでもなさに改めて驚きをな」
「おぉ、正門ではこてんぱんにやられていたものな」
「なっ! そんなことは……ねぇ、とは言えねぇか……」
事実、奥の手まで使って負けた。
しかも、その魔術の欠点まで見抜かれた上でだ。
対して、エレインの方はまるで底を見せることはなかった。
紛うことなき、完全敗北としか言いようがない。
素直に認めた俺に、ジジイは意外そうな顔で、
「ほう、しっかりと受け入れたのか。負けを。傲慢さがだいぶ抜けたようじゃな」
「いくら俺でも、あれで負けてないと言い張れるほど面の皮は厚くねぇよ」
「以前のお主なら言っていたであろうよ。ふむ。こんなことなら、一度お主と真面目に一騎打ちでもして負かせればよかったのう。今まで、《魔塔》の高位魔術師同士が戦うのは良くなかろうと思って避けてきたのが間違いじゃったわ」
「ジジイ、そんな理由で模擬戦を逃げてたのか?」
《魔塔》は魔術を探求する集団だ。
したがって、お互いの技術を磨くために、戦闘系の魔術師が模擬戦を行うことは普通にある。
ただし、幹部クラス以上になってくると別だ。
ただの勝った負けたで終わらず、《魔塔》内の勢力争いの端緒になるからだ。
ジジイの言っていることはそういうことだろうが、俺は特段、公開などをしないただの一騎討ちをジジイに何度か求めていた。
それすらも、バランスを考えて避けていたということだろう。
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