第3話 幼なじみ
「……やっぱり、名前はジークハルトに決まったわね……」
寝台の上で上半身だけ起こした形になって横を見ると、そこには赤ん坊用の小さなベッドがあって、そこに私が先日産んだ子供が眠っていた。
名前は、ジークハルトに決まった。
夫であるクレマンと相談の上で、である。
他にも候補は色々あったのだが、話の流れでこれに決まった。
私としては、前世と同じ名前にした方がいいのか、それとも違う名前にした方がいいのか判断がつかなくて、夫から見ればかなり優柔不断な態度に見えたと思う。
けれど、クレマンは穏やかで優しく、そんな私に腹を立てることもなく、ゆっくりと話し合ってくれた。
とても素敵な人だ。
……考えてみれば、こんなこと、前の時は一度も思わずに逝ってしまった気がする。
あの人と、私の関係は……正直なところ、あまり良くはなかった。
愛情がない、というわけではなかったのだが……心が通っていたという感覚はなかった。
その理由のほとんどが私自身にあったのは言うまでもない話なのは、今回、子供のことについてクレマンと話したことで素直に理解できた。
あの人は、前の時も私と話し合おうとしていた気がする。
それを私はずっと、それこそ死ぬまで拒絶していたのだろう……。
今回は、そんなことにならないようにしなければ。
そう深く思った出来事だった。
「……奥様? 何か?」
私の独り言に、赤ん坊……ジークハルトの横に控えていた侍女が私にそう、声をかける。
茶色の髪と、亜麻色の瞳を持った彼女の名前はアマリア。
昔からずっと私についている侍女だ。
どれくらい昔かといえば、私が子供の頃からで、幼なじみのようにして育った、と言えばわかりやすいだろうか。
それだけにかなり気安い仲で、小さな頃はそれこそ言葉遣いも気にすることなくお互いに話していたが、今はそんなことはまずない。
彼女が仕事に対して極めてしっかりとした考えの持ち主であるから、というのももちろんあるが、それ以上に私の性格がひん曲がってしまったから、というのも大きいだろう。
彼女がこちらに向けた顔は、少しばかり硬いから、それが分かる。
「……いいえ。ふと、子供を産むなんて大業を私がこなせたことに驚いてしまって……。その子に……ジークには、変わりない? 何かおかしなところはないかしら……?」
誤魔化すように、しかし少しばかりの本音も入れて私はそう尋ねる。
するとアマリアは少し微笑んで、
「おかしなところなど、ありませんよ、奥様。むしろ……いえ」
そう言って何かを言いかけてやめてアマリアに、私は首を傾げ、
「途中でやめないで。どうしたの?」
「……言っても、お叱りになりませんか?」
「内容によるけれど、よほどおかしなことでなければ怒ったりなんてしないわよ。それで?」
なんだか、アマリアの言い方に、昔、子供の頃の感覚を思い出して少し呆れながら言ってしまった。
嫌な感じに捉えられていないだろうか、と思ったがアマリアの表情は先ほどと比べて少し柔らかくなっていて、
「それですよ、奥様。それ」
「それ、とは?」
「こういう会話を、昔……エストラの地ではよくしていたではありませんか」
エストラ、それは私の生家がある土地のことだ。
エストラ伯爵家の長女、それが私の出自。
アマリアはそこで私付きの侍女として、小さな頃から一緒に育った。
だから、私と彼女の思い出はエストラの地にある。
思い出しながら、私はうなずく。
「そういえば、そうね……こんな会話、何年ぶりかしら。懐かしいわ」
私の感覚で言えば、三十年以上ぶりになる。
この家に嫁いで来て、そこで三十年以上過ごした記憶が私にはあるのだから。
前の時は家を出てから死ぬまで、アマリアとこういう会話をした記憶がなくて、だから……。
「そうでしょう? やっぱり、どこか張り詰めていらしたのでしょうか。それがお子をお産みになられて、抜け落ちたようで……こんな言い方をしては、首になってしまうかもしれませんが、エレイン、昔の貴女に戻ったようで嬉しく思うの」
敬語が抜けた……わけではないだろう。
わざと抜いたのだ。
昔は、こんなふうに話していた。
もちろん、人前では互いに立場を考えた会話をしていたが、二人きりとか、人の目がないところでは普通の友人のようにして過ごした。
今、私の元に、その友人が帰ってきた。
そんな気がして、少し目頭が熱くなる。
「そう……そうね。私も嬉しいわ。貴女とまた、こんな風に話せるなんて……思っても見なかったから」
「あら、エレイン……どうして泣いているのよ。やめて頂戴。そんなんじゃ、他の侍女が入ってきたら、私、叱られてしまうわ」
慌ててそんなことを言うアマリアに私は、
「大丈夫よ。その時は私が何か適当な言い訳をするから」
「貴女は昔からそういうことは上手だったものね……見た目は見るからに深窓の令嬢って感じなのに」
「ふふ」
それからしばらく、アマリアと私は昔のように楽しく会話をして過ごした。
もちろん、その間もジークハルトの世話はかかさずに行った。
本当ならミルクをあげるための乳母もいるのが貴族家の通常なのだが、それについては私が夫であるクレマンに、基本的に自分の手で育てたい、と頼んだ。
クレマンは初め、私の負担になるだろうと遠まわしに拒否したのだが、私の意思が固いと見ると、最終的には許してくれた。
クレマンは……甘いのだ、私に。
考えてみれば、前の時もそうだった。
だからこそ、私はあれほど大それたことをやれてしまったのだとも言える。
もちろん、夫に責任転嫁をするつもりなどなく、全ての責任は私にある。
けれど、夫が、私の頼みならどんなことでも最終的には聞いてくれてしまう、ということはしっかり記憶しておかなければならないな、とふと思った。
そうでなければ、また前のような過ちを繰り返してしまう可能性があるから。
ともあれ、子供を可能な限り自分の手で育てたい、くらいのことは許されるだろう。
当然、どうしても私の手では難しい、と言う時はあるだろう。
私自身が病にかかって、とか、ミルクの出が悪くなって、とか。
しかしそういう時のことも考えて様々な提案を夫に行い、受け入れてもらっているので大丈夫なはずだ。
まずは、子供をしっかりと育てる。
そして……。
アマリアと色々話しながら、私はこれからのことに思いを馳せたのだった。
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