第16話 条件
クレマンとしては、私の話だけならともかくワルターが私の実力について保証していることから、それを深く疑っているということはないようだった。
けれども私がゴブリンの軍団を討伐に行くことについては当然の如く反対した。
曰く、貴婦人の仕事ではないだろう、とのことだった。
……確かに反論し難かった。
しかしながら、私には能力がある。
それをできる能力が。
これは別に能力があるからそれをひけらかしたいとかそういう話ではない。
ゴブリンとはいえ、数千規模の群れともなれば普通に強敵である。
たとえ適正人数の騎士団を派遣したとしても全員が無傷で、なんていう風に行くことはない。
誰かしらが大怪我を負い、また誰かしらが死亡する。
そんなものだ。
それが彼らの仕事だと言われたらそれまでなのだが、ここで先程の話だ。
私にはその怪我人や死者を減らせるだけの能力がある。
だから行くのだ。
それに……。
私が今回の人生でこつこつ善行を積んでいけば、最終的にリリーに殺されるような未来は避けられるかもしれない。
まさかあのリリーだとて、領民のために自らの身を挺して行動した人間を問答無用で殺しに来ることはなかろう、と。
もちろんのこと、私は今回の人生で前回のような国家転覆や王家の挿げ替えなどの騒擾事件を起こす気などないが、それでも他にあの結末に至る可能性を下げるべき行動もしていくつもりだった。
運命というのは怖いから。
ただその辺りの事情は言えないので、クレマンの説得は難航した。
そして、最終的には私がその実力をクレマンの前で披露し、十分だと言えるようならば、という条件に落ち着いたのだった。
◆◆◆◆◆
「……お館さま。どうしてあのような条件を?」
エレインが去った執務室で、ワルターがクレマンに尋ねた。
クレマンは額を抑えつつも、苦笑して答える。
「なぜって。条件を聞いていただろう? いくらなんでも……」
満たすのは無理だろう、と言いたげなクレマンだった。
しかし、ワルターはため息をついて、
「聞きました。ナオス騎士団の詰所において、騎士を使って模擬戦を行うと。そこで奥様が勝利することができれば、認めると……そういうお話でしたな」
「あぁ、そうだ。もちろん、魔術師というものは冒険者みたいに無頼の者でない限りは一人で運用するような存在じゃない。ただ、およそ中級程度の魔術師は通常の騎士十人に匹敵する戦力だと言われる。実際、王都騎士団と魔術師団の合同訓練では騎士五十人に対して騎士三十人と魔術師二人の構成で模擬戦が組まれる。そして概ね勝敗の成績は五分五分だ」
「だから奥様にも同じ条件を課すと? ですが、騎士二十人に対し、騎士十人と奥様一人という構成は……」
ワルターの言葉の先をクレマンが継いで言う。
「……無茶だろうな。王都騎士団と魔術師団の場合、模擬戦を行う場所はかなり広い上、騎士の数は三十人はいるから魔術師が加勢する側も魔術師をかなり後方においておくという戦法が取れる。遠距離から魔術師が放つ魔術は、確かに騎士十人分に相当するだろう。だからこそ、騎士十八人分の人数差があっても十分に互角となる。だけど……」
「ナオスの詰所の訓練場はさほどの広さもなく、また二十人の騎士を十人の騎士で完全に抑え込めるかと言われるとそれはかなり難しい、と。そうおっしゃるのですな?」
「まさにね。だからエレインは勝つことはできない。ワルター、君がいうには今回、かなり活躍したそうだけど……流石にこれは難しいよ。だから、私は安心して騎士団と君をゴブリンの本拠地に送ることができるだろうね……さて。夜も更けてきた。心配事も片付いたことだし、私もそろそろ眠るよ。悪いが、ワルター。書類を片付けておいてくれないか。君がいた時と場所は変わっていないから……」
そう言ってあくびをしながら執務室を出て行ったクレマン。
あの調子からして、クレマンは絶対にエレインに勝ち目はない、と考えていることがよく分かる。
しかし、ワルターは書類をしまいながら、もう一度ため息をついて独りごちた。
「……お館さま。貴方様の奥方は、貴方様が考えていらっしゃる以上に、お強い。私からすれば、たった十人分しかハンデをもらえない騎士二十人の方が、ずっと気の毒なほどに……」
実のところ、ワルターはエレインの勝利をまるで疑っていなかった。
それをクレマンに忠告もしようとしたのだが、先を言う前に言葉を奪われて何も言えずに終わってしまった。
「……ふふ、それに奥様と共にまた戦えると思うと、それも楽しみですし……」
そういう理由で、義務を、ほんの少しだけ怠った部分もある。
だが、今回の場合にミスしたのはクレマンだった。
ワルターはこういうこともあるからと、事実の確認は念入りにすべしと小さな頃から教え込んでいたのだが、どうも長く安定した領政が続いていたので色々と緩んでいるらしい。
「……オルトに、しっかりと言っておかねば。さぁ、それでは私も明日を楽しみに眠るとしますか。お館様の驚きの顔が楽しみですな……」
常人なら一時間はかかるだろう書類の整理と収納をほんの十分ほどで終えた老使用人はそう呟いて部屋の灯りを消し、出ていった。
◆◆◆◆◆
「……なっ……な……!!」
ナオス騎士団詰所、その中の訓練場の端で驚愕の表情で口をあんぐりと開き、声にならない声をあげているのは、騎士団の主であるファーレンス公爵本人であった。
その少し後ろにはワルターと、そして彼とよく似ていながらも、髪も髭も黒く、肌にはシワの少ない壮年の男が控えている。
そして、ファーレンス公爵……クレマンが目を見開いて見つめている対象は、言うまでもなく、自らの妻と騎士団の面々であった。
訓練場の中心、その右側には十人の騎士とエレインが無傷で立っている。
しかしながら、その左側には二十人の騎士が呻き声を上げながら地面でのたうちまわっている。
もちろん、これは先日クレマンがエレインに約束した模擬戦、その結果であり、誰がどう見てもエレインの勝利で間違いがなかった。
「……お館様。結果は出ましたな」
ワルターがかけた言葉にクレマンは貴族にあるまじき感情が発露した顔をいつも通りの冷静なものに戻してから、ささやき声で言う。
「……私の妻は、これほどに強かったのか?」
「ふむ……それは答えるのが難しい質問ですな。今回の模擬戦で、奥様はその場から動いておられませんし、攻撃魔術の類も使用されませんでした」
「だが……」
「ええ、奥様の力で勝ったのは明白でしょう。騎士たちにかけた補助魔術、あれが強力な効果を発揮しました……あれほどの強化率を持つ補助魔術は、この私でも見たことがありませぬ。あれもまた……奥様の……」
発明だろうか、と言いかけたが、そこでクレマンが頭を抱え、しかし諦めたように言った。
「……これでは、参戦を認めないわけにはいかないな。あれがどれほど使えるのかは分からないが、たとえ今回と同じほどの時間、人数程度が限界であっても、騎士たちの損耗を相当減らせるのは間違いない。ただ……エレインが直接襲われた時だけが心配だが……」
ワルターはこれに苦笑しつつ答える。
「……奥様を害するにはゴブリン程度ではいくらいても足りませぬ。その点については全く問題がないと、私が保証いたしましょう」
「……ファーレンス公爵領の《影》を司るお前がそう言うのか……それほどか」
「私はそちらも既に引退しておりますので……」
「あぁ、今はオルトが継いでいるな。それではオルト、これは仮の話だが……もし、エレインを害することとなった場合、お前ならどのように行う?」
クレマンの質問にオルトは頭を深く下げ、
「奥様にそのようなことは、想像の中であっても出来ません」
「……息子の方はどうも頭が硬いな。ではワルターは?」
「私でしたら、影の腕利き十人を投入し、さらに館の人員を全て殺し、結界魔術を構築した上で、自爆覚悟で試みることになるでしょうな」
これに驚いたのは彼の息子であるオルトだった。
オルトにとって、ワルターは今でも越えられない壁である。
それは使用人としてのそれもだし、暗殺者、影としての技術もだ。
しかしそんな彼が手札全てを切ってもなお確実とは言えないと言うのだ。
そこまでの相手は、引退するその瞬間までついぞ聞いたことがなかった。
「お前でも……そうか。ならば……分かった。では今回の討伐、よろしく頼む」
「はい、承知いたしました、お館様」
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なんかクレマンの口調ぶれてるんで帰宅次第直しますね。