第158話 陛下の頼み
本日二話目です。
「それで? 何か話したいことがあるから私たちをここに招いたのでしょう?」
紅茶を飲みながら、私がそう尋ねると、ルーカスは頷いて答える。
「そうなのだ。大きくは二つだな。一つは……貴女方の目的。つまりは……」
「……《聖浄の森》のことだね、ルーカス」
続きを口にしたのは、ルーカスではなく、サロモンだった。
「その通りだ。二人とも、あそこに行くためにここに来たのだろう? それはお前の姉上からも連絡されて分かっていることだが……しかし、通常であれば、我が国の領地を通らずとも、直接《聖浄の森》に行けるだろうに、なぜ今回はこのような行き方をする?」
このルーカスの言葉を私は意外に思った。
というのは、エルフは特定の場所からの《聖浄の森》への直接転移を可能にしている。
このことについてルーカスが知っているというのは、分かる。
だが、ルーカスのこの台詞からは、その直接転移がどういう仕組みなのか、もしくは、その仕組みの根幹にあるものの異変について知らされていないらしい、ということが分かったからだ。
実際、サロモンは言う。
「それについては、僕の口からはなんとも言えることではないね。色々理由はあるんだけど……君が気にするようなことじゃない」
ルーカスに、世界樹の異変について告げるつもりはないらしい。
しかし、ルーカスは、
「ふむ……であれば、俺としても甚だ不本意だが、お前たちを《聖浄の森》へ行かせるわけにはいかんな」
と突然言い出した。
意外な言葉である。
彼に私たちの旅を妨害する理由などないように思えるからだ。
実際、これにはサロモンが目を見開き、
「……一体何を言い出すんだい? 獣王国を通って《聖浄の森》へ向かう通行権は、遥か昔に獣王国とエルフとの間で結ばれた、神聖不可侵な契約だ。それを君は破ると?」
少し怒りの滲んだ口調でそう言った。
サロモンにしろキュレーヌにしろ、割と軽い調子で世界樹が枯れつつあることを私に語っていたが……このことは思っていた以上にエルフにとって重大なことなのかも知れなかった。
そもそも、世界樹が枯れたら世界が滅びるとか言っていたし、あの軽さはあえてというか、私に何か重い責任を背負わせないようにとか、そんな配慮からだったのかも知れない。
サロモンの怒りに触れ、ルーカスも思うところがあったのか、少しため息を吐いて言う。
「……待ってくれ。別に俺はエルフと事を構えようとか、そんな考えで言っているわけではないのだ」
この様子に、サロモンも怒りを引っ込めて尋ねる。
「では、どういうことなのかな?」
「むしろ心配しているのだ。エルフは、一年に一度、我々に世界樹の恵みを与えると約束した。それが先ほどの契約における、通行権の対価だったはず。そうだな?」
「あぁ、それはそうだけど……」
「だが、この間、その期日がやってきても、エルフはその恵みを我が国に与えようとしなかった。それがために、少しピリついているところがあってだな……」
「それは……」
サロモンの表情が曇る。
これは世界樹が枯死しかけているために、その恵みを与えられない状態にあるということだろうか?
とりあえず、おかしな風に推測されない程度に私は尋ねる。
「私は置いてけぼりなのですが、世界樹の恵みとは?」
これにルーカスは、
「あぁ、すまない。国外にはあまり知られぬ話よな……。恵みについてはその時によって様々でな……二十年に一度、《世界樹の枝》を、五年に一度《世界樹の葉》を、そして年に一度、《世界樹の甘露》を獣王国に与えるということになっておるのだ。今年は、《世界樹の枝》が与えられる予定だった」
「なるほど……」
やはり、枯死しかけてるから、枝をとったりは出来ないということかな。
そう思って納得していると、サロモンは言う。
「……細かな事情は言えないが、それはエルフが殊更に約束を破ろうとしているからではないんだ。ただ、難しい問題があってね……」
詳細を話せないために微妙な言い方だが、しかし苦々しい表情から伝わるものがあったらしい。
ルーカスは、
「どうやら、そのようだな……まぁ、俺としてはエルフが獣王国と事を構えようとしているわけではないと分かったから、構わん。だが、《世界樹の枝》について、それが与えられる見通しが立たないことにより、別の問題が生じていてな……それが話したい二つ目のことになるのだが」
一つ目が、《聖浄の森》について。
では、二つ目は……。
「それは?」
サロモンが尋ねる。
「我が国では闘技大会が毎年行われている。それは知っているな?」
「もちろんだとも。商品は、国王に叶えられる限りの望みを言える……まさか」
言いながら、サロモンは何かに気付いたらしい。
目を見開く。
そして、それを見たルーカスも頷いて、
「……そうだとも。その望みは、その時によって様々だが、今年こそが《世界樹の枝》が与えられる年であることは、ある程度の者が知っている。優勝した場合、それを賞品としてくれるように願う者が出るのも想定のうちだ。我が国は、強い者こそが正義、ということを国是にしているからな……それを断ることは難しい。だが、ないものをくれと言われたところで出せんのだ。その場合には、正直に理由を話すことになるが……」
「その時に、エルフに対する獣王国国民の怒りが向いてしまうかもしれないな……」
「おそらくはな。契約を守らなかったのはエルフの方なのだから、こちらも守る必要はないだろうということになる。そうなってしまえば、俺が国王だろうと止められぬよ」
ため息をついたルーカスに私は尋ねる。
「ルーカス様がこの国で最も強い方なのでは? 強い者が正義なのであれば……」
いかようにでも国民に命令を聞かせられるのではないか。
そう思ったが、ルーカスは首を横に振る。
「そんなに簡単なことでもなくてな。確かに、俺は二十年前の闘技大会において、自らの強さを示し、国王の地位についた。だから、名目上、この国で最も強力な戦士は俺だ。そのために国民達は俺に従うが……本当の意味でなんでも話を聞かせられるのは、その闘技大会で優勝したその瞬間だけだ。そこから時間が経てば経つほど、本当に強いのかどうかには疑問が生じ始める。ただ、そうそうコロコロと国王が変わっていては国とての存続に問題があることも国民は理解しているからな。大半の者は、俺を獣王国最強の存在と認めてくれているが……」
「その大半、に属しない者もいるということですか?」
「そうだとも。例えば……お前達も見ただろう。獣騎士団のゼッドなどだな」
その名前は覚えている。
ここに案内してきてくれた、羊人族の官吏も話題にしていたから。
「虎人族の騎士の方ですか?」
すぐにそう尋ねると、ルーカスは頷いて答える。
「その通りだ。獣王国において、虎人族は、種族的に我ら獅子人族に匹敵する戦闘力を持つ種族として、有名だ。他に狼人族もいるが……彼らは自らの群れの方を重視して、国王になろうなどとはあまり考えないので問題はない。ただ、虎人族はな……いつでも国王の椅子を狙っているのだよ。特に、今回の闘技大会は狙い目だと考えている」
「勝てば……国王に?」
「国王が聞く願いの一つに、それはある。国王との一騎打ちだな。それに勝利した場合には、国王の地位は譲られる……が、獅子人族が虎人族に負けたことは今までなかった」
「でしたら今回も心配ないのでは……」
「いや……そうとも言い切れん。正直なところ、俺は老いた。しかし、ゼッドの方は今が最盛期と言っても良いほどの仕上がりだ。今年の闘技大会の優勝は、奴だろうと誰もが予想している……」
「では……」
「そこでな、少し頼みがあるのだよ」
と、ルーカスは少し悪戯っぽい表情を浮かべて、私に言った。
これはあまり聞かない方がいい類の頼みであろうな、というのは簡単に想像がついた。
もちろん、サロモンも隣で微妙な表情をしている。
しかし、国王に対して、聞かなかったことに、とも言いにくい。
とりあえず話くらいは聞かなければならないだろう。
そう思った私は言った。
「……なんでしょう」
「うむ。竜をすら退けたイストワードの英雄、大魔術師にして公爵夫人たるエレイン殿に、今回の闘技大会に出場してもらいたいのだ」
やはり、そういうことか。
そう思った私だった。
◆◆◆◆◆
「……結局、出場を決めてしまわれましたけど、宜しかったのですか?」
帰路の馬車の中で、サロモンが私にそう尋ねる。
「別に正直出たいと思ってはいなかったのだけど……まぁ、あそこまで頼むのだし、出てもいいかなと思って」
「ですけど、虎人族のゼッド殿に勝たなければならないのでしょう? 獣人族は確かに魔術はほとんど使えませんが、その代わり闘気に関しては熟練の戦士ばかりですよ。魔術師であるエレイン様には、色々と厳しいものがあるのではありませんか?」
魔術師と、闘気を主として戦う戦士……つまり《闘士》は、その戦い方に大きな違いがある。
魔術師はもちろんのこと、魔術を主体として戦うため、固定砲台的な戦い方を主とすることが多いが、闘士は言わずもがな、武術を主体として戦う。
これの何がまずいかといえば、試合直後に速攻で攻撃されれば、そこで試合終了となってしまう可能性が高いということだろう。
大抵の魔術師は、接近戦に弱いのである。
これは、身体強化系を身につけていてもだ。
魔術師の修行というのは《魔塔》の魔術師達を見てもわかるように、勉強や研究……つまりは座学が大半になる。
そのため、体を動かすというのが得意でない者が多いのだ。
副塔主トビアスのように、己の拳で戦おうとする魔術師は完全に異端なのであった。
そういう常識からすれば、今回の獣王国の闘技大会に私が出るなど、無謀としか言えない。
けれど……。
「サロモン、私は確かに魔術師だけど、武術もそれなりに学んできたから、心配はいらないわ」
「それは知っていますが……」
「いいえ、貴方は知らないわよ。私が本気で戦ったところ、見たことないでしょう?」
「そうなのですか? 以前、私はエレイン様にボコボコにされた記憶がありますが」
「その時は魔術師同士、魔術で戦ったじゃない」
「短剣も使っておられましたけど……」
「最後の最後に少しだけ、でしょう。まぁでも、いくら言葉で言ったところで信じられないでしょうから、当日をお楽しみに、よ。ほら、馬車も宿に着いたわ」
「そうですね……」
そして、サロモンが馬車を降り、手を差し出す。
私はその手をとって降り、そのまま宿に戻ったのだった。
◆◆◆◆◆
「さて、今日は楽しむわよ!」
と、私が気合いを入れたのは、今日は獣王国王都エターナを存分に散策するつもりだからだった。
闘技大会まではまだ日にちがある。
というか、すでに予選は行われていて、今も続いているらしいが、私はそれに出る必要はない。
本戦に国王推薦枠として出場することが決まっているからだった。
ちなみに、本戦は予選で勝ち抜いた十五人と、国王推薦枠が一人、の十六人で争われることになるらしい。
普段であればこの推薦枠というのは、獣騎士団の中でも国王がこれはと考える者に与えられる枠らしく、大体においては獣騎士団団長が選ばれるというが、その団長であるゼッドは国王と敵対しているような関係にある。
そのため、ゼッド自身が自ら、推薦枠ではなく、予選から勝ち上がる方を最初から選んだようで、推薦枠が宙に浮いていたようだ。
そこにたまたま押し込めそうな私が来たので、これ幸いと嵌め込んだというのが実態のようだった。
全く騙し討ちのようなものだが、別に死ぬわけでもないし、いいかと思っている。
実際には、闘技大会ではそれなりに死者も出るようだが、魔物相手の戦いとか戦争とかと比べれば事故でしかないので、気にはしない。
一度目の時にそれこそ殺せ殺せと騎士や兵士や果ては国民にまで追われた私のメンタルは強靭この上なく鍛えられているのだった。