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第153話 お茶会と不穏な予知

本日二話目です。

「……フッ!」


 剣を、振る。

 出産からしばらく経って、だいぶ体力も回復してきたので私は訓練を開始した。

 妊娠中は仕事もほとんどしていなかったので、色々な意味で体が鈍っている。

 魔術学院も今は名誉教授、という形で籍を置いているだけという感じにしてもらい、やらなければならない授業とかは私にはない。

 たまに学院長であるキュレーヌに頼まれて、誰かの代わりに授業をしたり、特殊魔術関係での講義を年に何度か行ったりとか、その程度だ。

 そのため、今の私の生活は割とのんびりしたもので、一度目の時にはまるで考えられないような穏やかな時間の進み方をしている。


 とはいえ、この気楽さが永遠に続くわけもないことはわかっている。

 一度目の時にそうだったが、別に私が国家転覆など狙わなくても、世界は戦火の渦に包まれ、イストワードも例外なく巻き込まれるからだ。

 魔人族の治める、魔物の国、魔国。

 彼らとの戦争によって、である。

 ただ、その時までにはまだ、時間はある。

 あれは私が四十代半ばになってから起こったことで、まだ十年以上時間があるのだから。

 だからその時まで、私はひたすらに鍛えなければならない。

 リリーの代わりになれるくらいに、強くならなければ。


 今回、リリーは前の時よりも遅く産んでいる。

 前の時はもう五年は早く産んでいて、戦争の時にはすでに十四、五歳にはなっていた。

 今回は、時期が同じなのであれば、十歳くらいの時に戦争になるだろう。

 なぜそうしたかといえば、単純に私が忙しかったというのもあるが、それ以上にリリーを戦争に行かせたくなかったからだ。

 リリーがあれだけ荒んでしまった原因は、もちろん、私というひどい母親の責任が一番だが、それ以外にも戦争に参戦したから、というのも大きいと思っている。

 戦争に出る前のリリーは、あそこまで濁った目をしていなかったし、穏やかで優しいところもかなりあった。

 あの頃に私に育てられたにも関わらず。

 しかし、戦争で英雄と呼ばれるほどの戦果を出した後には、もはやその頃の面影などなくなってしまっていた。

 敵に対する容赦などしては、とてもではないが生き残れないような、そんな場所だっただろうから、当然といえば当然だろう。

 私はそのことを、リリーは英雄として成長したのだと喜んでいたが……愚かだったと、今では思っている。

 あの子は、ただただ心を削り取られてああなってしまったに過ぎず、成長したとかそういうことではなかったのだと。

 だから今回はそんな目に合わせたくなくて、戦争などには決して呼ばれないような年齢に、その時にはしておこうと思った。

 もちろん、産まないという選択肢はなかったから、あくまでも遅らせるだけで。

 だから、今回、リリーは戦争には参戦しないはずだ……十歳であっても、今、あれだけの力があったらその頃には十分に活躍できる実力にはなっていそうだが、たとえ国王陛下に命令されても年齢を理由にいくらでも断れる。

 十歳というのはそういう歳であるのだから。


「……精が出ますな、奥様」


 中庭で剣を振るい続ける私にそう言ったのは、我が家の前家宰であるワルターであった。

 彼は以前は隠居の身だったが、今ではほとんど私付きの執事として、ここで働いている。

 彼の息子であるオルトが家宰としての立場を引き継いでクレマンに付いているが、私はワルターを独り占めしていいのだろうか、と結構頻繁に思う。

 ワルターはかなりの年齢だが、その動きは矍鑠としているどころか、いまだに大抵の魔物を自らの腕で屠れるくらいに強いという稀有な人物だ。

 その内実は、ファーレンス侯爵家の《影》として長年、勤め上げた凄腕の諜報員であり、そのために特別な技能を持っているのだった。

 私はその技術の一部を、ワルターから学んでいて、彼は私の師匠の一人、とも言える。


「……妊娠している間に、だいぶ体が鈍ってしまったからね。今のうちから少しずつ慣らしていかないと、全く体が動かなくなってしまいそうで」


「四人目の子供を産んで一月も経っていない貴婦人の言葉とも思えませんが……しかし、戦士としては見上げた心意気です。少しですが、お相手しましょうか?」


「いいの? ここには人の目があるけれど……」


 彼の技術は《影》としてのもので、可能な限り他人に晒したくないものだ。

 もちろん、普通に技術のみで戦うことも可能だろうが、それだと今の私にはそこまで相手にならなくなっている。

 それもこれも、長く鍛え続けた成果だ。

 だから必然的に、彼は特別な技術で戦うことになるのだが……。


「問題ありません。オルトに指示して、周囲の使用人は引かせましたので」


「……なるほど。確かに気配がないわ」


 訓練に夢中で周囲の警戒が疎かだったことを理解する。

 やっぱり、そういう勘もだいぶ鈍ってしまっているようだ。

 出産というのは本当に一大事だから、それ以外に集中力を割けないようになっているのだろう。


「まぁ、最悪、誰かが来たとしても私と奥様との手合わせから何かを見抜けるとも思えません。最近のジーク坊っちゃまなら分かりませんが……」


「あの子、だいぶ強くなってきているものね」


「影魔術ありならば、私も、もはや勝てません。武術だけならまだまだ負けませんが……」


「あの子の魔術は、結構反則的なところがあるものね。影が出来ないところなんて、まずないわ。夜ならほぼ無敵だしね」


「流石はファーレンス公爵家の継嗣でいらっしゃいます。公爵家も、安泰ですな……」


「嬉しいことよ……で、そろそろやりましょうか?」


「……はい、血の気の多いことで。では、参りますよ?」


 ワルターが中庭の端から、短剣型の木剣を手に取って構える。

 その瞬間、穏やかで品のいい老齢の使用人から、恐ろしいまでに研ぎ澄まされた《影》の使い手へと空気を変える。

 本来ならこの気配すら、全く消してしまえるのだろうが……今はその必要がないため、真正面から気迫をぶつけてくる。

 そして、ワルターが地面を踏み切る。

 私はそれに応戦すべく、剣を強く握った。

 開始の合図がないのは、ワルターと戦う時の私たちのルールだった。

 彼曰く、ワルターのような《刺客》との戦いにおいては、開始の合図などあろうはずもないからだ、ということだった。

 いつであっても、どんなタイミングで襲われても対応できるように、それに慣れるように訓練をすべきだと。

 本当に最初の方は面食らったが、今ではもう慣れてしまった。

 ワルターもそれを分かってか、かなり分かりにくい動きで攻めてくるようになっている。

 今、彼は私の眼の前からまっすぐに襲いかかってきているように感じられるのだが……。


「……違うわね、後ろッ!」


 と、私は長剣を前にいるワルターにではなく、誰もいないはずの後ろに向かって振るった。

 すると、


 ──コォン。


 と、木と木がぶつかった時、特有の高い音が中庭に響く。

 振り返ってみれば、そこには私に向かって短剣型の木剣を刺し込もうとするワルターの姿があった。

 ニヤリと彼は笑って、


「……よく気づかれましたな」


 そう言いながら少し下がって距離をとる。

 正面に軽く視線を向ければ、そこにあったはずのワルターの姿はなかった。

 先ほどの真正面からのワルターは、おそらく幻影だろう。


「ワルターも魔術をかなり小器用に使うようになったわよね」


「奥様の薫陶を受けたお陰です。私もこの歳でまだ成長できるとは思ってもみませんでしたよ」


 ワルターがそう答えたのには理由があって、彼が先ほど作り出した幻影は魔術によるものだからだ。

 それも、私が教えた魔術である。

 私はワルターから技術を教えてもらう代わりに、彼にも私の知る魔術をいくつも教え込んだのだ。

 私の魔術は、特殊属性系ではなく、一般的な魔術が基本であり、それらは魔術を使える者なら努力をすれば誰でも身につけられるものばかりだ。

 しかし、未来の、というか一度目に私が個人的に開発したものや、今から未来に作られる理論や技法に基づいたものが多く、それらは現代人にとってはかなり先進的なものも少なくない。

 また難易度についても、努力すれば誰でも身につけられるのは間違いないが、その努力が、才能によっては人生を一生費やす、とかそんなことになってしまうようなものもたくさんある。

 なので、私は当初、ワルターにはそこまで難しくないものを教えていっていたのだが、ワルターは不断の努力を積み重ねることにより、私が考えていたよりも多くの、そして複雑な魔術をいくつも収めていったのだ。

 今では、戦士として以外に魔術師としてもかなりの実力者となっていて、全く油断ならない存在である。


「さぁ、まだまだ行きますよ!」


「望むところよ……!」


 それからしばらくの間、私はワルターとの模擬戦を続けた。

 最終的には立ち上がれなくなるほど疲労困憊の状態になってしまったが、だいぶ有意義な訓練になったのは間違いない。


「……それなのに、ワルターは全く普段と変わらないの、体力とかどうなってるのよ……」


 やっと起き上がれるようになったが、まだ息が整っていない私がそう言ったのは、もちろんワルターに対してだ。

 彼は今はよく出来た執事然とした雰囲気で背筋を伸ばして立っていて、息は一切上がっていない。

 私と同じだけ動いたように思っていたが……。


「身体強化系の魔術も奥様より学んでおりますからな、そのせいでしょう」


「私も同じものが使えるのだけど」


「奥様は、戦士としての経験が私よりもずっと少ないです。身体強化は人体の構造をよく知り、また自分の動きをしっかりと把握しながら扱うことで、その効果を何倍にも高めることが出来る……奥様が教えてくださったことですぞ」


「確かに教えたけど、ここまで差が出るのは意外だったわ……」


 私は戦士としての技術は、一度目の時はそこまで鍛えてはいなかった。

 と言っても、戦場に立つのに必要な鍛え方はしていたし、その辺の騎士程度には十分に相手になるくらいにはなっていたと思う。

 しかし、その程度ではワルターと比べれば大した経験ではなかった、ということだろう。

 これについても、まだまだ鍛える余地はあるということが分かっただけ、良かったと考えておこう。


「さて、奥様。そろそろ息は整いましたかな?」


「それはまたどうして……あぁ、そういうことね」


 尋ねておいて、私は途中で気づく。

 中庭に続く回廊の方から、人の気配が近づいてきていることに。

 その気配の主は……。


「……あっ、お母様!」


「ノエル。どうしたの?」


 そこにいたのは、私の娘、長女であるノエルだった。

 今の年齢は十一歳。

 魔術学院の中等部に通っているが、今は休暇中でファーレンス館に来ていた。

 ジークとは休暇の時期がずれているが、それはジークがもう受けるべき授業はほとんど全て終えて、あとは籍だけ置いて好きにしていられるような状態になっているからで、ノエルはそうではないからだ。

 休暇の期間もノエルは短いというか、通常の学院生徒と同じだけしか休めないため、こうして顔を合わせられるのが嬉しい。

 そんな彼女が、私に言う。


「あのね、明日のお茶会があるでしょう? 着ていくドレスを一緒に選んで欲しくて……」


「なるほどね」


 ノエルも、もう十一歳である。

 これは平民であればそこまで意識しなくてもいいというか、まだ子供として振る舞っていられる年齢だろう。

 しかし貴族ともなれば、そろそろ夜会などでの振る舞いとか、貴族社会での泳ぎ方を知らなければならない時期になってくる。

 一番身近なのは、ノエルが言ったお茶会ということになるだろう。

 まぁ、これについては五、六歳くらいのころから徐々に同年代の子供たちとやって慣らしてきているのだが、明日のそれは少しばかり毛色が違っている。

 というのは……。


「イリーナお姉様がご招待してくれたお茶会だから、粗相のないように気をつけたくて……。それに、セリーヌ様やベルタ様もいらっしゃるんでしょう? ポーラお姉様も……」


 ポーラとは、セリーヌの娘だ。

 ジークが生まれた二年後に生まれたので、十三歳。

 セリーヌにはもう一人子供がいて、長男は十一歳である。

 ポーラもまた、魔術学院の生徒であり、ノエルの先輩に当たる。


「それほど緊張する必要もないと思うけれどね。みんな、顔見知りでしょう? 失敗しても仕方がない、くらいに挑んでもバチは当たらないわ」


 つまるところ、出席者は私の友人と、その娘たちになるわけで、気心知れた仲なのだ。

 多少の失敗くらい、全員が笑って許すと思うが……。


「……だめ。だって、セリーヌ様は貴族令嬢たちみんなが憧れの貴婦人だし、ベルタ様は社交界の主とも言われるほどの方だもの。それにイリーナお姉様とポーラお姉様だって、学院だとみんなの憧れで……」


「緊張しすぎると逆に失敗してしまうわよ、ノエル」


「……うーん、そうなのかな……」


「まぁ、いいわ。とりあえずドレスを選びましょうか。あ、ワルター。ごめんなさい。放っておいてしまったわ。今日のところは訓練、これで終わりでいいかしら?」


「もちろんでございます。奥様。では後ほど、メイドにノエル様のお部屋に何かお飲み物とお菓子を運ばせますので、私はこれで」


 そしてワルターは音もなく去っていく。


「じゃあ行きましょうか、ノエル」


「うん……」

 

 ◆◆◆◆◆


「こ、これはどうかな……」


 ノエルが、ドレスを自分に当てながら私に聞いてくる。


「悪くはないけど……地味じゃない?」


 いや、はっきりと地味だ。

 最近の流行りでもない。

 加えて、ノエルの好みでもなかった。

 なぜそれを選んだのか、と聞きたくなるが、聞かずとも理由はなんとなく察せられた。


「でも……私が一番年下だし、目立ちすぎるものは良くないかなって……」


「確かにそういう場面がこれから先ないとは言えないけれどね。でも今回はそうじゃないわよ。そもそも、ノエル。貴女は公爵家の令嬢なの。今回のお茶会で、私の次に身分が高い存在になる。それなのにあまり遠慮しすぎた色合いのドレスを選んでしまうと、それは逆に他のみんなに気を遣わせてしまうことになりかねないわ」


 まぁ、私としては今回来るメンバーについて、身分がどうとか細かいことを気にしすぎたことはない。

 ただ、それはこうすべきとかああすべきとか、貴族社会で言われている常識というものを十分に理解した上で、あえてやっていることだ。

 ノエルはまず、そこを実践で学んでいかないといけない。

 彼女は私の言葉に、そういえばそうだった、という顔をする。

 身分にこだわりがないのは別に必ずしも悪いことではない、と私は思っている。 

 それは、相手がどんな身分の者であっても尊重することの出来る資質でもあると思うから。

 実際、私があまり身分を気にしないのは、一度目の時、多くの者に追われていた最後の方に、身分が低い平民や農民たちに随分助けられた経験に基づく。

 それまでは結構、身分というものに対する強い偏見というものを持っていた。

 しかし、その時の経験から、私は身分というのは、あくまでも社会における役割の分担に過ぎず、人間としての価値の高低を意味しないのだということを深く知ったのだ。

 ノエルにも、そのことについては理解していてほしい。

 ただ、その役割の分担が必要な場面もしっかりあり、それに見合った振る舞いを出来るようになってほしいとも思っていた。

 そうでなければ、いつか誰かに付け入れられる機会も来てしまう。

 公爵家の令嬢がそれでは、幸福な未来など望めないのだから……。

 私の言葉にノエルはハッとして、再度、クローゼットに並んだドレスを見て悩み始める。

 そして、今度こそ、という感じで選んだドレスを自分に当てて、私に尋ねた。


「……これは、どうかな。ちょっと派手な気もするんだけど……」


 確かに、先ほどのものと比べたら派手だろう。

 しかし、同時に、私には懐かしさが感じられる色合いだった。

 というのは、一度目の時、ノエルはよく、こんな色のドレスを着ていたから。

 薔薇のように真っ赤な、下手をすると品を損なってしまうように見える色合いのドレスを。

 けれど、一度目のノエルは、それを着こなして社交界を歩いたのだ。

 堂々とした、女王然とした態度で。

 私はそれを見て、この子はいずれどこかの王家の婚約者になるのだ、と確信していたものだが……。

 今となっては浅ましい願いだったな、と思う。

 そんなものを求めて、どこまでノエルが幸せになったのかも疑問だ。

 ただ、あの頃のノエルと私というのは非常に性格が似ていたので、結構気があったものだが。

 しかし、今回のノエルは、あんな感じには決してなりそうもないな、というのは感じている。

 どちらかというとだいぶ引っ込み思案に育っているから……。

 だけど、この色のドレスを選べるなら、きっと大丈夫というか、一度目の時ほどにはならないにしても、公爵家の令嬢として、しっかりと成長するだろうと思えた。

 そこまで考えて、私はノエルに言った。


「うん、いいわね。それにしたらどうかしら」


 するとノエルは頷いて、


「そうする!」


 そう言ったのだった。

 

 ◆◆◆◆◆


「ほほほ、本日はお招きいただき、誠に恐悦至極に存じ……」


「……ノエル……緊張しすぎよ……」


 私は少し額に手を当てた。

 オクルス辺境伯の館に馬車で乗り付けると、玄関にてオクルス辺境伯の娘のイリーナと妻のベルタが待っていた。

 ノエルはイリーナに招待のお礼と挨拶を述べたわけだが、だいぶカミカミである。

 別に滑舌の悪い子でもないのだが、イリーナ相手だとそんなに緊張するのだろうか?

 まぁ確かに十六になったイリーナの存在感は結構なものだった。

 少女と女性の間にいる女にしか持てない絶妙な美しさと、それを意識的にコントロールする女帝のような雰囲気が同時にある。

 ただし、その表情は優しく、噛んでいるノエルに対しても可愛い妹を見る目だ。


「ノエル、そんなに慌てることはないのよ。今日は知り合いしかいないのだもの。本当にただの練習だと思って。そのために開いたお茶会なのだから」


「で、でも、お姉様……」


「ほら、また硬くなってる」


「あだっ」


 額をぴん、と人差し指で弾かれるノエル。

 本来なら貴族令嬢はなかなかしない行為だが、これでノエルも緊張がほぐれたのか、


「お姉様、痛いですぅ……」


 とちょっと涙目で言った。


「よし、そのくらいでいいのよ。さて、エレイン様、ようこそいらっしゃいました。本日は私などのお茶会にご出席くださり、本当にありがたく存じます……」


 私に向き直ってそんなことを言うイリーナ。


「今度はイリーナ、貴女が硬いわね……」


 私がそう言うと、


「だって、公爵夫人で、私の恩師で、母上の親友で、ノエルとジークのお母様なんですもの。敬わずにはいられないではないですか……」


 そう返してきた。

 これにはベルタが、


「……多分、イリーナにとって最も重要なのは、ジークのお母様、の部分ね」


 と私の耳元で言ってくる。

 それについては私も気づいているというか、正直時間の問題だろうなという気はしている。

 イリーナはその教養と美貌、それに魔術の腕でもって、イストワード国内において、同年代の少年たちからは婚約者候補として高い評価を受けている。

 夜会に参加すれば月に群がる蛾のような勢いで少年たちに囲まれてしまうほどであるのだが、イリーナはその全てについて素気無い返答しかしないことでも知られている。

 まぁ、流石に主催者とかその息子とかにダンスに誘われれば一曲踊るくらいの社交辞令は行うのだが、せいぜいそれくらいで。

 そんな彼女が一体誰を婚約者とするかについては、噂で持ちきりだ。

 しかし、私やベルタにとって、その相手というのは、ほぼ自明である。

 それはジークだ。

 ジークはかつて、イリーナを死の危険から救ったことがある。

 その時以来、イリーナの心の一部はジークが持っているのだ。

 ジーク自身はそのことについて無頓着というか、少年らしい鈍感さであまり意識している節はないのだが、イリーナは完全に一途である。

 あからさまではないものの、貴族令嬢が相手に興味を持っていることを遠回しに伝える方法として知られるものは概ね、ジークに対してやっているくらいには。

 それでもさっぱり気づかないジークには母親である私としても、ヤキモキさせられるので、正直さっさと婚約をさせてしまえばいいのではないかとすら思っている。

 ジークも気づかないだけで、イリーナを婚約者にと言われても断りはしないだろう。

 特に他に好きな相手がいるとかそういう感じでもないし。

 そもそも、公爵家の長男としては、そろそろ婚約者というのは固めておくべきでもあった。

 ファーレンス公爵家は言わずと知れたイストワード貴族の筆頭であり、そんな家に娘を婚約者として送り込みたい家は数えきれないほどある。

 釣り書きもかなりの数送られてきていて、ジークはある意味よりどりみどりの状況なのであった。

 いずれについても今のところクレマンがのらりくらりとかわしている。

 しかし、それもそろそろ厳しいところだ。

 十五歳は、婚約者がいて当然と言ってもいい年齢。

 流石にこれ以上決めないと、いくら公爵家とはいえ、文句を言われる可能性もある。

 言われたところで誰も逆らえはしないというのが正直なところなのだが、不要な諍いを抱えるのは本意ではない。

 だからイリーナを……と思うのだが。


「……ベルタ、オクルス辺境伯をなんとか説得してもらえないかしら?」


「あの人は……イリーナはどこにもやらんの一点張りだから……」


「どこまで本気なのかしら?」


「流石に本当にいつまでも嫁にやらない、なんてつもりは……ないと信じたいわ」


「……前途多難ね……」


「ま、そろそろ本気でなんとかしてみるとするわ。あの人も、それはわかっていると思うから」


 ◆◆◆◆◆


 そのまま、私たちはお茶会の会場へと向かった。

 オクルス辺境伯家の館、その庭は美しいローズガーデンになっていて、開けた場所にテーブルが設置してあり、そこが会場になっていた。

 すでに食器類は使用人たちの手によって並べられていて、十分な準備がなされていることがわかる。


「さぁ、どうぞ」


 と席を勧められ、座る。

 まずは私から。

 身分が最も高いので、私が座らないと他の人間は座れないのだ。

 もう少し無礼講のお茶会なら別にそこまで気にしないのだが、今回は正式な作法に則って行う建前のお茶会なのでこうなる。

 ノエルもそれを理解して、しっかりと頭の中で身分的順位を考えながら、正しい順番で着席した。

 やりながら、あぁ、面倒臭いものだな、と私は思ってしまったが、こういう形式というのは守った方が都合のいい場面というのが少なくないから、そう馬鹿にしたものでもないのはわかっている。

 ノエルにはそれをしっかり学んでほしいと思う。

 全員が着席した後、しばらくして、セリーヌとポーラがやってくる。

 遅刻したわけではなく、あえてのことだ。

 後から人が来た場合には、どう動くべきか、という訓練のために。

 作法は色々あるが、大体こういう場合は、最も身分が高い人間がどうするかで決まってくる。

 つまり私次第だ。

 私が立ち上がった場合は、他の皆も立ち上がらないとならないとか、そういうことだ。

 けれど、今回は私が着席したままでいたので、セリーヌとポーラはそれを認識して、すんなりと開いている席に腰掛けたのだった。


「さて、これで全員ですね。皆様、今日はようこそおいでくださいました……」


 イリーナがそう言って挨拶をし、今回のお茶会の趣旨を少し話して、それぞれに紅茶を注いでいく。

 それから使用人がお菓子を持ってきて配膳し、そこからはお茶とお菓子を楽しみながら会話が始まった。

 ここまで来れば、流石にノエルも緊張した様子はもう、ない。


「はぁ……なんとか、私、失敗しないで出来ましたか……?」


 それでも、気になるものは気になるらしい。

 みんなに尋ねたノエルに、ポーラが言う。


「あぁ、問題ないのではないかな。母様もそう思うだろう?」


 ポーラ・ブラストリーは母譲りの美貌を持つ少女だが、どことなく凛々しい雰囲気も持っていて、将来の夢は騎士なのだという。

 女騎士、と言う存在はそれなりにいるし、ブラストリー伯爵家は長男のルーが継ぐだろうから問題ないと言えばないのだが、珍しいことも間違いない。

 一般的な貴族家なら、特に伯爵家ほどの家格であれば、娘を騎士になどしない、というところが大半だろう。

 武門の家柄だ、と言うのであればあり得ない話ではないが、ブラストリー伯爵家はそうではない。

 けれど、ブラストリー伯爵も、セリーヌも、ポーラのその夢を決して否定しない。

 理由は簡単で、セリーヌにはその未来が朧げに見えているからだ。

 彼女の力についてはブラストリー伯爵も知っていて、どのように足掻いてもそうなってしまうのであれば、最初から素直に許可を出しておいた方がいいだろうという判断らしかった。

 セリーヌはそもそも予知などなくとも、娘の選択を歓迎するだろうけれど。

 そんなセリーヌは、ポーラの言葉に頷いて、


「ええ、私も大丈夫だと思ったわ。ノエルちゃんは正式なお茶会は今回が初めてなんでしょう? なら、なおさら素晴らしいわ。それにそのドレスもとってもよく似合ってる」


「ほ、本当ですか!? よかった……」


「だから言ったじゃない。それで大丈夫って」


 私がそう言うと、


「私はお母様みたいにいつでも堂々とはなかなか出来ないから……」


「これからなっていけばいいのよ」


「なれるのかなぁ……」


 首を傾げるノエルだが、間違いなくなれるだろう。

 何せ、一度目の時は実際になった。

 なんなら、私より堂々としていたくらいである。

 まぁ流石にあそこまでになれとは思わないが、王族相手に全く緊張せずに振る舞えるくらいにはなって欲しいものだと思った。


「そういえば、エレイン。夫のことなのだけど」


 ベルタがふと思い出したようにそう言ったので、


「ご主人?」


「ええ、私が寂しく思ってるって、伝えてくれたみたいで。ありがとう」


「あぁ……私がというより、夫から伝えてもらっただけだけれど、意味はあったかしら?」


「ええ。以前よりも早く館に戻ってきてくれるようになったの。泊まり込みも減らしてくれて」


「それは良かったわ……南方の様子も落ち着いたのかしら?」


 そうであって欲しいな、と思っての言葉だったが、これにベルタは首を横に振って、


「どうもそうではないみたいね。南方についての基本的な体制が整ったから少しだけ楽になった、というだけで、緊張状態にあるのは変わらないみたい」


 ため息をついたベルタ。

 どうやらこれからも近衛騎士団長の激務は変わらないらしい。

 そんな中、セリーヌが、


「……南方はこれから、揉めるわよ」


 と呟く。

 私はこの言葉の意味を理解し、尋ねようとした。


「……それは」


 しかしここで、


「三人は、一旦席を外してくれる?」


 とベルタが子供三人に言った。

 あまり聞かせるべき話ではないだろうという判断だ。

 確かにそれもそうだなと思った私とセリーヌも、ノエルとポーラに視線を合わせて頷く。

 すると三人とも席を立ち、少し離れた位置にあるテーブルに移った。

 こう言う時のために、テーブルが複数用意されているお茶会も珍しくない。

 声も向こうに聞こえない程度の距離がある。


「さて、これで気兼ねなく話せるかしら」


 ベルタがそう言ったので、


「気を遣わせて悪かったわね」


 と私が言うと、


「ううん。子供たちに聞かせたくないというか、聞いても退屈な話かもと思っただけだから」


「それは確かにそうかもね……イリーナはともかく、他の二人には」


 ポーラは騎士に興味があっても、戦争に興味があるわけではないし、ノエルはそもそもそういう争いごとは好きなタイプではない。

 だから外してもらった方が彼女たちのためにもなるだろうということだ。

 いずれは貴族令嬢として、そういったことについても学んで意見を持っていかなければならないと思うが、それは今すぐでなくてもいい。

 そもそも貴族令嬢はそのようなことを知らなくてもいい、と言い切る貴族もそれなりにいるけれど、ここにいる三人はそこまでは思っていない。


「で、話の続きだけど、セリーヌ。さっきのはやっぱり、予知の結果よね?」


 私が尋ねると、セリーヌは頷いた。


「ええ。別に南方について見るつもりはなかったのだけれどね。眠ったらふと、南方の様子が頭に浮かんでしまって」


「それって……どんな? 主人が出陣している様子かしら?」


 ベルタが尋ねるが、セリーヌは首を横に振った。


「いいえ。近衛騎士団はいたのだけれど、辺境伯様のお姿はなかったわ。でも……」


「でも?」


「なぜかエレインがいたのよね……」


「えっ!?」


 驚くベルタ。

 私もまた同様に驚いていたが、南方には絶対に行かないとは思っていなかったのか、そのようなこともあるのかもしれないと思い、尋ねる。


「なんで私がいたのかしら……って言っても、分からないわよね。でも何か手がかりとかないかしら」


「パッと見えただけだからなんとも。でも一人じゃなかったわ。なんだか大剣を持った人と一緒に行動していたわよ。あれは……多分傭兵稼業の人間だと思うのだけれど、知り合いとか、いる?」


「……大剣を持った、傭兵……」


 一度目の時だったら、そういう知り合いは一杯いたのだが、こうして戻ってからの私にそういった知り合いはいない。

 いや、これから知り合うのだろうな。

 となれば、多分、一度目の記憶や経験を頼りにそういう人間を探すのだろうから……南方にいる、大剣持ちの傭兵、か。

 そういえば、一度目の時は、バルトロメオに武術を教えるための師匠を探すために、南方にも行った記憶が……大剣使い……あっ。


「……何か、ピンとくるものでもあったの?」


 セリーヌが尋ねて来たので、私は頷く。


「ええ、まぁ。多分あの人だと思うのだけれど……どうやって会ったのかは正直謎ね」


「誰なの?」


 ベルタも気になったのだろう。

 尋ねて来たので、私は答えた。


「……無頼の剣神ジャック。ジャック・スレイバールよ」


「ジャック・スレイバールって……《魔竜殺しのジャック》!?」


「そう、そのジャックよ」


 一度目における、バルトロメオの師匠の一人だ。

 傭兵ではあるのだが、金に靡くかといえばそうではなく、珍しい古酒を求めて来たのでそれでバルトロメオの師匠になってもらった覚えがある。

 今回でもいつか見える時が来るかと思って、古酒については収集しているので今回も会えばなんとかなるとは思うのだが……。


「でも《魔竜殺しのジャック》って、神出鬼没で、普通に探してもまず会えないって聞いたことあるわ。イストワードの貴族でも召し抱えようとして探した人は何人もいるけど、いずれも空振りに終わったって話ばかり……」


 ベルタは流石に貴族事情に詳しいらしく、そのような話もいくつも知っているらしかった。

 大体そう言うことについては隠す貴族の方が多いと思うのだが、貴婦人たちの間をひたすらに泳ぎ続けるベルタにとっては簡単に手に入れられる話、と言うことなのかもしれない。


「私にも、会う方法はそうそう思い浮かばないわね……でも、セリーヌの予知は、滅多に外れない。ということは、そのうち会うことになるんでしょうけど……南方に私が行く理由ってなんなのかしら……」


 まずそもそも、今の段階で南方に行きたいとは思わない。

 かなりの危険地帯であり、情勢も不安定すぎるからだ。

 行ったところで死にはしないだろうという自信はあるのだが、だからと言ってわざわざ行きたい理由があるわけでもない。

 ジャックに確実に会えると言うのなら、いずれ今回もバルトロメオの師匠となってもらう約束を結びに行ってもいいのだが……。

 セリーヌの予知では会えているのだから、行けば会えるのだし、行こうか?

 ……あぁ、もしかしてこの予知を聞いたから、私に行く気が起こったとか?

 いや、流石にそれは……鶏が先か卵が先かみたいな話になってしまうし。

 でもセリーヌも、予知されたことを避けようとした場合とか、逆に予知通りに行動しようとした場合に、予知通りになったとして、それが当たったと言えるかどうかは正直なところ分からない、みたいなことを言っていたので、そのような話なのかもしれない、とも思う。


「……エレイン、南方に、行くの?」


 ベルタが心配気にそう尋ねてくる。

 夫から、南方の詳しい情勢を聞いていて、そこが相当な危険地帯であることを知っているからだろう。

 私はそんなベルタに言う。


「……行くつもりはないのだけれど、この感じなら行くのでしょうね。その準備だけはとりあえずしておこうと思うわ」


「何か力になれることがあったら、私に行ってね。夫からももっとしっかり情報を仕入れておくから」


「そうしてもらえるとありがたいわ」


 続けてセリーヌも、


「私も、もう少し詳しいところが分からないか、予知してみるわね……正直、エレインの未来って凄く見づらいから、出来るかどうか微妙なんだけど……」


 そう言った。

 というか、これは初めて聞いたな。


「私の未来って、見づらいの?」


「ええ。前はそうでもなかったのだけれど、今はね。いくつもの運命が複雑に重なっていて、どれを選んで見るべきか分からないというか……」


「それは……」


 私がこうして戻ってきて、多くの行動を一回目と違うことをしているから発生している現象なのではないか。

 そんな気がした。


「まぁ、自分自身の未来とかは完全に見えないから、それと比べるとマシなのだけれどね。それに、南方にいたエレインを見た時みたいに、ふっと突然、私の意思とは関係なく見える時は、高い確率で当たるのよ」


「南方には確実に行くと思っておいた方がいい、ということね……」


「ええ」


 はっきりと頷くセリーヌの表情に、私は心の準備もしっかりしておかなければ、と深く思ったのだった。

 それから、お茶会はお開きにして、家に戻った。

 私にしてみると、非常に不安になる話を聞くことになってしまったお茶会だったが、ノエルにとってはとても楽しい会になったらしい。

 セリーヌたちとの会話が終わった後は、普通にノエルたちも席に戻ってもらって、当たり障りのない話をしばらくしたから、楽しかっただろうなと思う。


「また、イリーナお姉様たちとお茶会できたらいいなぁ」


 そんなことを言うノエルに、


「それなら、今度はノエルが主催しなさいな」


 と言うと、慌てた様子で、


「えっ、そ、そんなの無理だよ」


 そう言った。

 けれど……。


「ノエル、お茶会は、主催する方も学ばないとならないのよ。というか、今までだって何回か非公式なものなら主催しているでしょ。それと同じなんだから出来るわよ」


「段取りは大丈夫だと思うけど、メンバーが豪華過ぎるんだよ……」


「それも今日慣れたじゃない。頑張って」


「うぅ……うん……考えてみる……」


 なんだかんだ言って、やる気にはなっているあたり、一度目の時のノエルの片鱗は見えるなと思う。

 常に堂々としてはいたが、本質的には臆病なタイプだったから。

 ただ腹が決まると何事にも真っ直ぐに取り組む子なだけで。

 もしかしたら、他の子達にも、一度目のあの子たちのどこかが宿っている。

 そんな気が、少しだけした私だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 投稿お疲れ様です。楽しみにしていましたので、とても嬉しいです! 書籍もすぐ予約して買いました! それで、ちょっと気になる箇所がありまして…。ベルタの台詞で、「何か力になれることがあったら、…
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