第147話 クラリスとトビアス
本日四話目です。今日はここまで。
また明日四話くらい更新します。
「しかし、あの公爵夫人に元々《聖女》の素質があったとはねぇ……驚きだよ。《悪女》の間違いじゃねぇのか?」
《魔塔》の副塔主である、トビアス様が、地下室のモニターに流れる文字列を見つめながらそう言った。
私、クラリス・ルグランはそんなトビアス様のお手伝いをしながら言う。
「エレイン様はとてもお優しいですし、どのような分野においても功績を残されてきた万能の天才でいらっしゃいます。そんな方に《聖女》の資質があることは、むしろ自然なことのように思えますけど……」
しかし、そんな私の意見にトビアス様は呆れた表情で、
「お前、あの公爵夫人に以前、《魔塔》の正門をぶっ壊されたのを忘れたのか? その後だって、うちの魔術師たちをのしてくれて……今時、敵対組織だってその身一つでそんなことはやったりしねぇぞ」
過去のエレイン様の所業を思い起こされるような遠い目をしながら、ため息をついてそんなことを言った。
確かに気持ちは分かる。
私もあの場にいたし、あの時はもうダメかと思った。
しかし、後になって話を聞けば、納得できることばかりだったように思う。
「あれは色々と考えがあってなされたこととおっしゃっておられたではないですか。正門だって、通れるのであれば壊しても別に構わないというのは《魔塔》の伝統ですし」
「まぁ、それはそうなんだが……それにしても今回のことも含めて、あの公爵夫人はいつも《魔塔》に厄介ごとを運んでくれるな……」
少し考え込んだトビアス様。
今回のこと、つまりは《聖女》関連の色々だ。
私はそれについて、
「ええと……今回のことは厄介ごとなのでしょうか?」
と尋ねる。
「当たり前だろう。聖国の《聖女》が、まともでない手段でもってその地位に就いてる、なんて事実、一つの《魔塔》が抱え込むような秘密じゃねぇぞ。クラリス、お前も絶対にそれについてはあの場にいた連中以外には口にするなよ? 身の危険じゃ済まされねぇからな」
意外な気遣いの言葉に私は、やはりこの方は見かけの振る舞いよりもずっと優しい方だ、と思いながら言う。
「……ご心配いただきありがとうございます」
「あぁ!? 心配なんて……いや、まぁ、心配っちゃ心配か。お前も《魔塔》の一員だからな。それに今となっちゃ、お前の実力はかなりのもんだ。俺と戦っても……まぁ、いいところまでやれる程度にはな」
突然口にされた意外な評価に、私は驚く。
「えぇっ!? そんな、勝負なんて……」
どう考えても私が勝てるとも思えない。
それどころか、勝負になるかどうかすらも疑問だ。
そんな私にトビアス様は、
「当然、俺が勝つぞ? 俺には切り札があるからな」
と口にする。
「あの雷の魔術……」
トビアス様は、自らの身に雷属性を纏い、まるで光の如き速度で動くことが出来るという恐ろしい魔術がある。
あれは彼が、自分一人で開発した、まさに固有魔術に他ならないものだ。
魔術の開発というのは非常に難しく、しかもあれだけ有用な魔術を一人で開発できるなど、一流の魔術師以外には不可能である。
トビアス様は、間違いなくその一流の一人なのだと感じさせられるものだ。
「あぁ、そうだ。しかも以前、あの公爵夫人に指摘された構成の荒さを修正して、今じゃ負担はほぼゼロになってるからな……今ならあの公爵夫人だって、俺はやれるぜ……多分」
途中までは獰猛な、好戦的な表情で話していたが、だんだんと自信なさげになり、最後に多分、と付けることになった副塔主に私は可愛さを感じて笑ってしまう。
「ふふっ」
「あぁ? なんだお前、笑いやがったな?」
他の人が見れば、そう言ったトビアス様の表情は怒っているように感じられただろうが……私にとってはもう、今となっては、よく見る表情でしかない。
トビアス様は、世の中で評価されているよりも、ずっと優しい人だ。
以前、エレイン様がやってくる前に私が他の《魔塔》の魔術師にお荷物扱いされていた時、確かにトビアス様も私のことを邪険にすることが多かった。
だが、本当のところは、そういった《魔塔》の魔術師に対して、私のような者も《魔塔》の一員なのだから、無意味な構い立てをするな、と言い続けていてくれていたらしいのだ。
今でも本人に確認したところで、そんなこと言った記憶はねぇな、の一点張りだが、彼の側近と言われる魔術師たちなどに聞いてみると、全員が口をそろえてそんな話をした。
そして、今までの私に対する扱いや態度を謝罪している。
これは、私の力……特殊属性が世の中に浸透してきたことと、私個人が使えるその属性が、非常に強力であり、もはや彼らでは相手にならないところまで来ていることも理由の一つだ。
ただ、それだけではなく、彼らの意識も今では大幅に変わっているのも事実だった。
エレイン様がこの《魔塔》を何度となく訪ね、新しい魔術や魔導具、技術や理論を持ち込むたびに、《魔塔》の魔術師たちの意識や《魔塔》自体の風通しがどんどん良くなっていったのだ。
本来であれば、魔術について、あらゆる方面で実績を重ねていくエレイン様に嫉妬や怒りをぶつける人間もいてもおかしくないのだが、彼女の身分の高さはもちろん、そのバイタリティや、自らに課している過酷な修行などを見ると、あのような方に追いつくことなど余程の覚悟がなければ出来ないと諦めてしまう。
そして、そのような無意味な感情に身を任せるよりも、エレイン様のもたらしてくれるものを土台として、魔術を発展させることが《魔塔》の使命なのだと、そう思った魔術師が多かったのだ。
もちろん、そんな変わっていく《魔塔》の雰囲気に馴染めない人というのはいたが、そういった者たちの大半は結局、《魔塔》を去っていった。
今、《魔塔》に残っている者たちの中に、私に対して酷いことを言ったりやったりするような人はもう、いない。
昔の私のように、低い立場に置かれている者は今でも確かに存在しているけれど、それでも彼らはあくまでも助手とかそういう存在であって、人間としての価値を低く見られるということはもはやなかった。
そんなことを考えつつ、私はトビアス様に言う。
「いえ、なんだか、こんな風にトビアス様と話せる日が来るなんて、以前は考えてもみなかったな、と思ってしまいまして……」
別にトビアス様を馬鹿にしたわけではない。
今でも、私にはトビアス様を馬鹿にすることなどできようはずもないことだ。
彼は、私にとって、尊敬すべき魔術師であるのだから。
そんなことが伝わったのか、トビアス様は表情を緩めて言う。
「……確かにな。それは俺もそうだ。全く、それもこれも、あのジジイが分かりにくいことばっかりやってるからだぜ。初めから全部説明してくれりゃあ、俺だってよ……」
少し口を尖らせているのは、塔主であるカンデラリオ様が、トビアス様に話していないことが色々あったことが寂しかったからかもしれない。
けれど……。
「……最近は塔主様も昔より秘密主義ではなくなってきていますよね」
私のそんな言葉に、トビアス様は笑顔になって言う。
「おう、公爵夫人に影響されたようだな。以前は、自らの研究は人に明かさずに、一人の手で行うべき、という魔術師の伝統に正直だったらしいが、あの公爵夫人はそういうのがないからな。むしろ全部明かした上で、自分がやる必要がないところとか、手伝いが必要な場合には、他人に大胆に丸投げする。その方が効率的だって言ってな。あれは見習うべき姿勢だよな……あの公爵夫人が大量の実績を残しているのは、全てをたった一人の手で行っていないからだ」
エレイン様がどれだけ有能な方であったとしても、物理的な限界というのは存在する。
しかし、あの方が発表されているものの量は、その物理的限界を超えているのだ。
その理由は、その他人に大胆に任せられる性質に基づいている、と言っているのだ。
事実、それは正しいと私も思う。
だから私はトビアス様に同意して言った。
「画期的というか、今までの魔術師なら、まず、やらなかったやり方ですよね……」
「魔術師ってのは、自分一人だけのために魔術を使おうとする自己中心的な人間ばかりだからな。まぁ、全てがそうだってわけじゃないが。誰でも使えるようにしてしまうと、非常に危険極まりない魔術ってのがこの世には確かに存在する。いわゆる禁術とされてるようなものがそれだ。そういうものが人の手に渡らないように、そしてこれから生み出されるかもしれない魔術が、そのようなものだった場合には、その魔術師一人だけの頭の中に秘めてればそれで問題の芽を摘み取れるようにするために、魔術師は新たな魔術は一人で研究すべきだ、と考えるところもある」
「禁術ですか……私は具体的にそのようなものについて聞いたことがないのですけど……」
ふと触れられた単語に、私は反応する。
確かにこの世に、禁術、というものがある、ということは私も知っている。
それこそ魔術を学ぶものは、その存在について早い時期に教えられるくらいだからだ。
しかし、それは大いに使えということではない。
むしろ、決して使ってはならない魔術として教わる。
なぜなら、使えば世界が変わってしまうと言われているからだ。
どうしようもないほどに、完全に。
だから禁術は、禁じられた術なのだと言われるのだが、しかし、どんな魔術がそれに該当するのかを、具体的に説明されたことは一度もない。
そんなことをトビアス様に言えば、彼は皮肉げに笑って、
「そりゃそうだろうさ」
と言った。
私は、
「え?」
と面食らう。
そんな私にトビアス様は説明する。
「内容を教えちまったら、実際にそれが出来るのかと再発明しようとする奴が出るだろう? だから、禁術については基本、具体的には教えないんだよ」
それは納得出来る理由だ。
魔術師は大体が探究心の塊で、自分が知らないが、確かにこの世に存在することがわかる魔術があると知れば、それを再現しようとする者も出るだろう。
それがために、内容については教えない、と。
「な、なるほど……」
「まぁ、そうは言っても、一度作られちまったものをこの世から完全に消滅させることなんて出来ねぇからな……《魔塔》でも副塔主と塔主には、口伝でその内容が伝わっている」
「えっ……と、ということは、トビアス様やカンデラリオ様は禁術をお使いになれると……?」
「いや……俺は無理だな。禁術はそう呼ばれるだけあって、強力無比だったり、この世の法則すらひっくり返しかねないようなものが存在するが……いずれも技術的に極めて難解かつ複雑なものばかりだ。少なくとも、俺程度の技術じゃ、どうあっても無理だろう。ジジイは……一つ二つなら無理じゃねぇんじゃねぇかな? でも命を賭けた大魔術になるだろう。そんなものさ」
「トビアス様やカンデラリオ様ですら……」
「ま、それだけのもんだからこそ、封じられるわけだが。お前も使うんじゃねぇぞ?」
「使うも何も、どういうものかすら知らないのに使えるわけないじゃないですか……」
「確かにな……だが、お前は特殊属性を扱える。しかも《増幅》と《減衰》だ。その力は非常に使い勝手がいい。特に、魔術の研究をする場合や、複雑な儀式魔術なんかを扱う場合にはな」
「それは私も感じます。魔法陣を書いて、どこかに魔力が流れすぎ、とか少なすぎ、とか思った時も、この力を使うとちょうどいいところに制御するのが楽なんですよね」
「だろう? そしてそれは禁術を使おうとした場合にも役に立ってしまうだろうからなぁ……」
「い、言われてみると……」
「まぁ、俺の目の黒いうちにはそんなことはさせねぇけどな。お前は俺の下にずっとついてればいいんだよ」
「使ったりしませんよ……でも、トビアス様にはついていきます」
「おぉ? 意外な言葉だな。お前は俺を嫌っていると思っていたが」
「昔は、苦手でしたけど……今のトビアス様は、なんだか昔と違って雰囲気も接しやすくなったというか……こういう時も、しっかりと説明してくれますし。いい上司だと思います」
「俺は丸くなったってか?」
「い、いえ、そんな……」
「まぁ確かにそれは俺も感じるけどな」
「え?」
「あの公爵夫人に影響されたのは、ジジイだけじゃねぇってことだよ。以前の俺は……正直、あまり周りが見えてなかったからな。それこそ一人で全部やろうとしてた。だが今はそれが無理だってよくわかってる。ジジイにも頼るし……クラリス、お前にも頼らせてもらう時もあるだろう」
「え……」
「その時は、よろしくな」
「は、はい!」
「ともあれ、差し当たりは、あの公爵夫人の秘密を守ることだな」
「はい……あの、エレイン様は今後、どうされるつもりなのだと思われますか?」
「ん、聖国に対してか?」
「それもありますし、アンナ様についてとか……」
「多分、これ以上は何もする気がないだろうな」
「そうなんですか? 確かにそんなことをおっしゃってましたけど……」
「この件はあまりにも面倒臭すぎる。もしも何かするとしても、時間が必要になってくるだろう。今の聖女とは友人だとも言っていたし、アンナについてもよく面倒を見ているようだったからな……問題は、全ての大元だろうが、それこそな……」
「聖国のオルガ様ですか」
「あぁ。あのババアは……以前からイストワードまで聞こえてくるような権力者だったが……」
「私は聞いたことがないのですけど……」
「《魔塔》の塔主、副塔主なら、と留保をつけておこう。聖国は《魔塔》とはあまり仲が良くないんでな」
聖国は聖女を一番上に置き、《浄化》は魔術ではなく祝福や加護の類と理解している。
《魔塔》側は、公言しないものの、《浄化》もまた魔術の一種であると理解してるために、昔から仲が悪いらしい。
「知らなかったです……」
「公言するとそれこそ面倒くさい話だからな。水面下では、というくらいの話だ。しかし、今回のことで、少なくとも俺たちは《浄化》が魔術、それもお前のと同じような特殊属性の一種に過ぎないと知ってしまった。これはやばい話だ」
「意味がわかってきました……」
バレれば、暗殺者などを差し向けられるような話だと。
「だが、あの公爵夫人は聖国と、少なくとも今は揉める気がないようだからな。俺たちも黙っておくのが賢明だ。いつか、聖国が荒れる日が来ることは間違いなさそうだが、それは今じゃないからな」
今ではない、ということは……。
「聖国に、《浄化》持ちがいなくなった時……?」
「そうなるだろう。だが、アンナは《浄化》を《強奪》によって手に入れてる。本当にしばらくの間は大丈夫だろう。出来れば、俺が死ぬまでこのままであってほしいもんだが……それは流石に期待できねぇかもな」
「どうしてですか?」
「お前、あの公爵夫人が今後、一切問題を持ってこないと確信できるのか? いずれ確実に何かが起こるだろうよ。だからお前はその時までに、自分の力をしっかり研鑽しておけ。俺もそうするからな」
「……肝に銘じます」
「よし。あぁ、そうだ。そういえば今度、《魔塔》からの使いとしてあの公爵夫人の家に行くんだが、お前、助手としてついてこい。あの家にいる特殊属性持ちとの模擬戦を予定してるんだが、同じく特殊属性持ちのお前もいた方が、色々話も弾むだろう」
「え?」
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