第142話 記憶の敵
本日二話目です。
「ここは……何もない、ですね?」
サーゴがそう言ったが、
「一見そう見えるけど、違うわ。ほら、そこを見なさい」
と私が上の方を見て言うと、
「あっ、これは……なんですかね。どこかの風景?」
そこにはここではない、どこかの風景が窓のように見えていた。
それがどこなのかは、すぐに分かる。
「あれは……ジーク様ですか。戦っておられますね……他にも、イリーナ様も。これは……」
「これはつい先日、私たちが聖国に行った時のことね。向こうの学院で、アンナはジークたちと一緒に迷宮に潜っているわ。その時の記憶でしょうね」
「なるほど。それがこのように見られると……まさに人の心を勝手に見ているわけで、なんだか気が引けるのですが……」
「それについてはアンナに潜る前にある程度、許可は取っているからね。いいでしょう。本当に心から嫌なら、そもそもここには入って来られないし」
「そうなのですか?」
「以前、試しに強力な拒否感情を持ってもらってから、魔導具を起動したことがあるの。実験としてね。その時はクラリスにお願いしたのだけど、全く中に入ることは出来なかったわ。だから、こうして入れている時点で、アンナは心を見てもらって構わない、と考えているの」
「なるほど……でも、扉や魔物がいるのは……」
「その辺りは、人の無意識の防御機構なのよね。意識とは関係ない部分だから、どうしようもないの。ただ、魔物の多い少ないは人によってあるわ。扉の数は、魔導具の仕様で変わらないんだけどね」
「魔物が少ない人はなぜ……」
「まだ被験者が少ないからはっきりしたことは言えないわ。ただ、明け透けな人は少ない傾向があるわね。でも絶対ではないというか……意志薄弱なタイプもその傾向があるかも。人の心って不思議よね……」
「私からすればこんなことが出来る魔導具を作ってしまわれる、エレイン様こそが不思議ですが……」
クラリスがそう言った。
「カンデラリオ様と協力して、だからね。私の力は大したことがないわ。さて、先に進みましょう。ここにはあまり見るべきものはないから」
そして、私たちは進んでいく。
《記憶の小部屋》には、私たちが入ってきた方とは反対側に、奥へと続く扉があった。
そこは次の階層である深層領域へと続いており、そこにはさらに強力な守護者が待っているはずだ。
◆◆◆◆◆
「……なるほど、こう来たのね」
私が、深層領域の《心の扉》の前でそう呟いたのは、そこにいる守護者が意外な存在だったからだ。
それはサーゴとクラリスも同様だった。
「……どう見ても、人間なのですが」
「私にもそう見えます、エレイン様……」
そう、そこには魔物ではなく、一見して人間にしか見えない存在が立っていた。
しかし、これは別におかしいことではない。
「確かに私にもそう見えるわ。そしてこれは珍しいけど、ないことじゃないから安心して」
「そうなのですか?」
「ええ。あくまでも、あれは守護者。扉を守るもの。その心の持ち主が、強いと思っている存在が現れる… …アンナは、好悪の情はともかくとして、あれを強いと思ったのは間違い無いでしょうね……」
私の言い方に引っかかったのか、クラリスが首を傾げて尋ねる。
「あの人をエレイン様はご存知なのですか?」
それに私は頷いて答えた。
「ええ。あれは聖国でちょっとした事件を起こした魔人族よ。リガーラ教官ね……」
そう、そこにいたのは、聖国の迷宮において、アンナを騙して奥地に置き去りにした、魔人族のリガーラだった。
皮肉げな笑みをこちらに向け、見つめている。
アンナ自身は彼についてもはや良い印象を抱いていないだろうが、しかしそれでも、彼の強さは心の奥底に刻み込まれたのだろう。
だから、心を守るための存在の一人として選ばれたのだ。
「あれは、私一人では少し心もとないかもしれないわ。前に戦った時、結構強かったからね。二人とも、一緒に戦ってくれる?」
私がそう言うと、
「もちろんです、奥様」
「当然です、エレイン様」
そう答えた。
「ありがとう、二人とも……あれは、魔人族の中でも強力な種族として知られる、黒魔族よ。身体能力も魔力も、かなりのもの。気をつけて」
◆◆◆◆◆
そして、私たちが近づくと、リガーラの姿が変わっていく。
あの時と同じだ。
蝙蝠のような羽に、曲がりくねった角が伸びていく。
それから、姿がブレた。
「来るぞ!」
サーゴがそう言った瞬間、彼の目の前までリガーラが距離を詰める。
その手には長く伸びた爪が鋭利な刃物のようになっていて、それがそのままサーゴに襲い掛かる。
しかしそれは、サーゴに命中する前に、
──キィン。
と、高い音を立てた。
サーゴの剣はしっかりとリガーラの爪を弾いたのだ。
さらにサーゴはその剣を振るい、リガーラに一撃、与えようとする。
けれど、残念ながらその一撃は避けられてしまった。
「くそっ! だが……これだけじゃないぜ!」
サーゴがそう言うと同時に、不思議なことに、外れた剣の先から妙な力が発せられ、それがリガーラに僅かに触れた。
すると、
「……ッ!?」
と、リガーラが驚いた顔をする。
それも当然のことで、サーゴが放ったあの粘性のあるオーラは、彼の特殊属性魔力の発現だからだ。
つまりは《体力吸収》の力である。
それを剣へと流したもので、あれに触れるだけで相手はその体力をサーゴに奪われてしまうのだ。
その証拠に、リガーラの動きは僅かに速度を下げる。
ただ、あくまでも僅かに、だ。
サーゴの《体力吸収》の力が一度に吸収出来る体力の量はそれほど多くない。
これはサーゴがまだあまり能力を使いこなせていないせいで、ただそれでも、同レベルの剣士を相手にすれば、相手の体力が尽きるまで延々と吸収し続けられはする程度に強力な力だ。
しかし、サーゴとリガーラの力にはそれなりの隔絶がある。
特に、魔力の扱いについては大きく離れていて、リガーラは奪われかかった体力の一部を強引に魔力で引き剥がしたのだ。
「そんなのありかよっ……」
呟いたサーゴを、リガーラは体当たりをして吹き飛ばす。
「サーゴさんっ!」
クラリスが体を張って受け止めることで、途中で止まり、
「悪いな、もう一度行く!」
と、サーゴがすぐに体勢を整えて走り出す。
そこにクラリスが詠唱をして、サーゴに《身体能力強化》の魔術をかけた。
サーゴの動きはそれによって素早さと力強さを増し、
「これなら……!」
と、もう一度リガーラに剣を振るう。
今度は、リガーラが目算を間違えたようだ。
体力が僅かにでも落ち、さらに相手の身体能力が上がったことで、間合いの読み間違えを犯したのである。
サーゴの剣が命中し、リガーラの頬に傷ができる。
リガーラはそれに気づくと、歯を剥き出しにして怒りをあらわにし、サーゴを叩き潰そうと力を入れるが、
「……こっちがお留守ね」
私が背後に回っていたことに気づかなかったのが敗因だった。
その場から私は火炎魔術を放つ。
「……グギャァァァア!!」
と、燃え盛る火炎の直撃を浴び、リガーラは断末魔の悲鳴を上げた。
以前戦ったリガーラ本人だったら、これでもまだ、やられはしなかっただろうが、流石にここにいるのはコピーに過ぎないということだろうか。
炎が燃え尽きるとともに、リガーラの姿も完全に消滅したのだった。