第134話 聖女の力
「……《魔塔》って恐ろしいところって聞きましたけど、大丈夫なのでしょうか……?」
馬車の中、シルヴィの娘であるアンナがそう言った。
彼女は今日、初めて《魔塔》に行くことになるので、どんな場所なのか分からず恐ろしいのだろう。
「《魔塔》は様々な国や場所にあるけれど、どこにある《魔塔》も癖が強いというか、恐ろしいと言われるところばかりだものね。強力な魔術師達が、倫理観も持たずに自らの最高の魔術だけを求めて研鑽し続けるところだと」
「そう、その通りです。聖国にも《魔塔》はありましたけれど、私は一度も行ったことがありません……お母様とお祖母様は行くこともあるようだったのですが、私は行かずとも良いと言われて……」
「へぇ、そうだったの……」
あの二人が《魔塔》に、か。
それ自体は別におかしなことではない。
聖国の聖女と元聖女なのだから。
特にアンナの祖母であるオルガは聖女の力についてかなり研究していて、それについて正確な測定をできる器具とか周囲に被害を負わせないような環境……大規模な結界など張ったりなど出来るのは、通常国の設備か《魔塔》くらいのものだろう。
その上、聖国で国の設備と言ったら、通常は教会の所有する設備になってくる。
つまり教会に対してどんな実験をしたとかその結果とかを隠すことができないが、《魔塔》で行うなら話が異なってくる。
《魔塔》は非常に閉鎖的な組織だ。
我が国の《魔塔》は、塔主であるカンデラリオと私が非常に親しくしていたり、市井の職人と協力したり、表向きの社会との関わりが広いために閉鎖的な印象はほとんどないが、これはむしろこっちの方が例外なのだ。
ほとんどの《魔塔》はその研究結果などはもちろんのこと、今、誰が塔主だとか、その程度の情報すら外に漏れないことも普通なのだった。
そんな《魔塔》で実験などをすれば、一体どのようなことが行われたとしても、外には決して漏れないだろう。
もちろん《魔塔》の人間が外で吹聴すればそれで終わりだが、あそこは相互監視などをしたりするなど、情報漏洩には相当気を遣っているのが普通だ。
だから、よっぽどのことがない限り、漏れることはないだろう。
これについてはカンデラリオのところだとて変わるところなく、たとえば《魔術盾》の情報についてもほとんど漏れていない。
あくまでも製造や販売に協力している団体にだけ必要な情報を渡しているだけだ。
「アンナの気持ちもよく分かるけれど、イストワードの《魔塔》は多分、どこの国の《魔塔》よりも開かれた場所よ」
「そうなのですか?」
「ええ。少し前まではそんなことはなかったんだけどね。色々あって、私が出入りするようになってからは向こうも隠すことなどほとんどない、みたいな振る舞いになってきているもの。その代わり、公爵家としても色々協力しないとならない場面は増えているのだけど、持ちつ持たれつよね……って、ちょっとややこしい話だったわ」
子供にするような話ではなかったかもしれない。
そう思ったが、アンナは首を横に振って、
「いいえ、そういうことは聖国でもよくあることでしたから……交渉や取引というものですよね」
「そうね……考えてみれば、貴女は将来そういうことにどっぷり浸からざるをえないんだから、今のうちに教え込んでおいた方がいいのかも。シルヴィに教わったの?」
「はい。お母様が、そういうことだから決して油断してはならない、と……」
「卒のない彼女らしい言い方ね。最近では若干崩れてきている気がしないでもないけれど。昨日も手紙が来たのだけど、アンナのことを心配していたわよ」
「えっ、本当ですか?」
「ええ……ご飯は食べてるの、とか着替えはちゃんとあるの、とか、寂しい思いはしていないかしら、とかそんなことをね……」
いつも冷静で冷たい印象だったシルヴィ。
しかし、今となってはまるでそんなことはない、ただの子煩悩な人でしかない。
それでも聖女として気を張り続けなければならないので実際に顔を突き合わせると昔と同じような雰囲気なのだが、やはり一度目と比べると柔らかなものが感じられるのだった。
「母上! 《魔塔》が見えてきたよ……あっ、扉直ってる!」
今まで、アンナとの会話に口を挟まずに聞いていたジークがそう言った。
アンナの緊張を解すためには、私から詳しい《魔塔》の情報を聞く方がいいと判断してのことだろう。
人間が恐れを抱く理由は、たいていが何も知らないことからくるものだ。
大雑把にでもその存在がどんなものかについて知ってしまえば、意外と恐怖は薄らぐもの。
実際、今のアンナには先ほどまでのような怯えは特に感じられなかった。
しかし……扉か。
ジークが言ったのは、かつて私が破壊した正門のことだろう。
基本的には前から直っていたのだが、かなりの種類の複雑な魔術がかかっていた関係で、完全な修復には時間がかかっていたのだ。
けれど、今日をもって完全に完成したようだ。
馬車の窓から顔を出して見てみると、ついこないだまで崩れていた部分も修復されきっている。
それを見た私が、
「……またぶっ壊してやりたくなるわね」
そう呟くと、
「や、やめてくださいよ!」
と言う声が窓の外から聞こえた。
見てみると、そこには金属製のゴーレム馬に乗った少女が馬車と並走していた。
私はその顔にはしっかり見覚えがあったので、声をかける。
「あら、クラリスじゃない。元気だった?」
「はい!」