第118話 模擬戦
本日四話目です。
だだっ広い訓練場の静けさの中。青年が剣を構える。
といっても、その構えた剣は実剣ではなく、木製の剣……木剣であり、普通に打ち合う程度であればたとえ怪我をしたとしても、打撲程度で済むようなものに過ぎない。
けれど、今回に関しては軽傷で済むとはあまり期待すべきではないかもしれなかった。
というのは、私の対面で構える青年の構えはかなり堂に入っているというか、相当にこなれた剣士のそれで、嘗めてかかれば大怪我をするであろう事が一目で理解できるようなものだったからだ。
私としても、前の時から幾度となく、様々なタイプの戦士や魔術師たちと戦ってきたが、その記憶に照らし合わせてみても、青年はその中でもそれなりの腕をしている方だと言えるだろう。
それなり、と言ったが私の言うそれなり、というのは大したことがないとか言うことでは全くなく、かなり上の方だ。
何せ、前の時に私が直接戦わなければならなかったような相手というのはつまり、私を守っていた手勢をきっちりと抜いてくるだけの者たちに限られていたのだから。
今でこそ、ゴブリンだろうとオークだろうと、領内にそういった魔物が出たら、ほいほいと退治しに出かける私であるけれど、前の時はそんなことはほとんどなかった。
なにせ、権力闘争にその時間のほとんどをかけていたから、領民のことなど、まともに考える時間などまず取れなかったからだ。
つまり、私がわざわざ戦いに出るのは、最後の一手を打つときであり、それはつまり敵の総大将を、自らの手で滅ぼすような、そんなときに限られていた。
そういった戦場で、私の眼前に現れる敵というのは当然、強力な戦士たちであり、そして今目の前にいるこの青年は、まさにそういう者たちに匹敵するだけの威圧感を持っているのだった。
「……普通の職員や教官だと思っていたけれど、随分と……腕に覚えがあるようね?」
私もまた、木剣を構えながらそう尋ねると、青年は微笑んで答えた。
「そういう者も普段ならいるんだけど、今は微妙な時間帯だからね。こんな時間帯、いつもなら彼らの仕事はまずないから、常駐してないんだよ。で、それでも君のような人がやってきた場合は、僕にお鉢が回ってくるわけだ。僕はこれくらいの時間帯は大体いるからね」
「……そう。私としては普通の教官が相手の方が楽だったのだけれど」
「そうかい? 僕の方がきっと君に実力を出し切ってもらえると思うんだけどな?」
「言うわね? でもそれは私にとってもありがたいわ」
これは嘘ではない。
普通の教官が相手の方がよかった、という部分については少し嘘が入っている。
私は実のところ、この人に相手をしてもらえたら、と思って今の時間帯に来たところがあるからだ。
そう、私はこの人が誰なのかを知っている。
だから狙ってこの時間帯に来たのだ。
まぁ、絶対に会えるとまでは考えていなかった。
その場合は少しばかり、目的のためには時間がかかるだろうと思っていたけれど、どうやら運が良かったようだ。
そんなことを考えている私の言葉に、青年は不思議そうに尋ねてくる。
「それはどうしてだい?」
「あんまり低い級から始めることになったら、上に上がるのは面倒だからよ」
今となっては級の高い低いはどうでも良い方に入る。
ただ、今後のことを考えると高い方が都合良くはある。
「ふむ……? 嘘ではなさそうだけど、何か含むところもありそうだ。後で教えてもらえるのかな?」
「そうね。気が向いたら話すかも知れない」
そんな私の言葉に、青年は呆れたように首を横に振った。
これ以上問い詰めたところで無駄だと悟ったのだろう。
そして、そうなればやることは一つだ。
「……分かったよ、じゃあ、やろうか」
「ええ……行くわよ!」
そして、私は木剣を握る手に力を入れた。
それを向こうも感じ取り、緩んでいた空気が緊張に満ちた。
私は地面を踏み切り、剣を振りかぶって、青年に襲いかかる。
とりあえずは、身体強化などかけない、素の一撃だった。
様子見であるが、別に手加減をしている、というわけではない。
私がどんな風に戦うか、初めから全て見せてしまうと対応も取りやすくなるだろうから、それをさせないためというのがまず一つ。
そしてそれに加えて、私の持つ技術を確認できるように見せていった方が、評価も上がるだろうという下心もあった。
そんな考えを持っているとは知らない青年は、私の攻撃に少し残念そうな表情をしたが、まだこれは始まりに過ぎない。
私の斬撃は当然のごとく、青年に弾かれるが、そこで青年は少し目を見開いた。
「……思ったよりも鋭い、かな?」
身体強化を使っていない、それも女の一撃だから、と甘く見たのかも知れなかった。
「油断してくれても良いのよ?」
「馬鹿な。これくらいの一撃を放てるなら、戦士としてもそれなりだ。油断などしてられないよ」
その言葉通り、というべきか、青年は受けだけに専念すべきではないと考えたようで、足を動かし始める。
先ほどまではその場で受け続けようと考えていたのだろう。
しかし、それは難しいという判断をしたらしかった。
とはいえ、青年の放つ攻撃もまた、身体強化などは施されていないものだった。
打ち込んでくる場所も、基本的なところ……つまりは、頭や腹部など、代表的な急所やいわゆる命中しやすい部分から始まった。
戦士がまずそこを狙えと初めに習う部分である。
私はそれを一つずつ弾き、また避けていく。
そんなことをせずに、すぐに攻勢へと切り替えても良かったのだが、私としても青年の力の程は一応、見ておきたかった。
それによって、私が見せるべき力の程も変わってくるからだ。
その気になれば私には冒険者組合ごと破壊できる魔術を使うことは出来るが、いきなりそんな、この青年が理解できないような力を使っても意味がない。
またそんな魔術は実力を見る、くらいの試験で使うべきものでもない。
だからこその、様子見だった。
そして青年の攻撃をしばらく受けて分かったのは、やはりまだまだ、この青年は手加減をしている、ということだった。
それに青年の体内には魔力の気配が十分に感じられた。
つまりは、身体強化も使える可能性が高いということだ。
身体強化はもちろん、魔力を持つ者なら大抵身につけるが、それを正しく扱うためにはセンスがいる。
魔術師を名乗る者も、多くがそれを使うが、主に他人にかけるような場面が多く、自分に使うときは持久力の確保などが主で、自らの攻撃力増加のために扱うことは稀だ。
というのは、下手に身体強化を使うと、自分の体にどれくらいの力がかかっているのか感覚的に分からずに、力をこめすぎたり、緩めすぎたりして、体を痛めることが少なくないからだ。
けれど、普段から近接戦闘を生業とする者たち……いわゆる戦士系の者たちは、そういった加減が本能的に分かっていて、そうそう体を痛めたりはしない。
だから、魔力を持っていて、魔術を使えるというのは直接には自らに身体強化をかけた戦いが出来ることを意味しないのだが……目の前の青年は、十分に戦士としての力を持っている以上、さらに魔力を持っているのだから、自分に身体強化をかけられる、と考えるべきだ。
そうであるのなら、私の方も使って良いだろう。
私の身体強化は、前のときにしっかりと鍛え上げたので、通常のそれとは強化率が大分異なる。
また、今回こうしてやり直している中でも、かなり多用している魔術でもあるので、得意魔術と言っても過言ではない。
だからこそ、対抗できる力がない者に使うと、いくら木剣とはいえ大怪我をさせてしまう可能性もあった。
青年についても少しばかりそんなことについて心配していたのだが、余計なことだっただろう。
そもそも、冒険者、などという者たちは戦いを生業とする関係で、魔術による身体強化が出来ずとも、天然の身体強化魔術とも呼ぶべき、闘気を使える者も多いのだから。
私はそろそろ、と思って静かに唱える。
「……身体強化・暁」
これは私が普段から使う、基本的な身体強化だった。
唱えると同時に、腕力や耐久力が上昇したのを感じる。
今なら石ころであっても握りつぶせるほどに。
あまり大きな声ではないとは言え、詠唱の声が聞こえたのだろう。
青年は、
「……やっぱり使えるんだね、身体強化」
そう言ってきたので、私も尋ねる。
「貴方も使えるでしょう?」
「おや、ばれていたか……身体強化」
青年もまた、詠唱した。
そちらは現代において一般に使われているもので、私のそれとは強化率が異なる。
それでも素の身体能力がやはり、男女差というものがあるので、十分に打ち合えるだけのものはあるはずだ。
油断は出来ない……。
私は青年がしっかりと構える前に、地面を蹴って襲いかかる。
待っても良かったのだが、戦いの基本というのはいかに相手の意識の外側から攻撃を加えるかである、とはワルターの言だ。
私は数年前の、あのゴブリンの軍団の討伐のあと、彼から彼の技術を教わってきたのだが、ワルターの戦闘技術はその大半が隠密系のそれであり、だからこそ、そんな思想が基礎にあるものばかりだった。
真正面からどのように戦えるか、はもうすでに青年に見せたので、次はそうではない戦いについても見せようと思っての動きだった。
私の動きの質が変わったことに青年は驚いたようで、
「……へぇ、そんな戦い方も出来るんだね? その動きなら、斥候系の役割も担えそうだな……おっと! 中々に危ないね……」
剣の軌道を途中で変えてみたのだが、青年は口ではそんなことを言いながらも危なげなく避けていく。
やはり、かなりの実力を持っているのは間違いない。
このままだと勝負が決まらなそうに思え、私としてはもうこの際であるから、《崩炎隕滅》を放ちたくなってきたのだが、あれは広範囲殲滅魔術であり、こんな街中の、しかも建物の中で使うようなものではない。
そもそも使ってしまったら、建物が破壊されるから私も生き埋めになってしまう。
魔術盾があるからそのまま死亡することにはならないだろうが、それでも無駄な話であった。
ではこれ以上どうするか、と言われると、この訓練場ではこれ以上出来ることはなさそうに思えた。
その結論に、青年もまた到達したようで、
「……まぁ、こんなもんでいいかな……あぁ、そうだ、最後に一撃!」
そんなことを言いながら、今までとは動きのレベルを二段階ほど上げて、私の首筋を狙って剣を振るってきた。
しかし、その攻撃は私の魔術盾によって弾かれる。
それを見て青年は納得したように頷き、
「……うん、防御の方も良さそうだね。隙がない、良い冒険者になれるだろう」
そう言って、武器を降ろした。
私はそれを見て尋ねる。
「……私は合格と思って良いのかしら?」
青年は、
「勿論だよ。そもそも、冒険者としてはガーズを倒した時点で十分だったんだからね。それに、これだけ戦える君を落としたら、この冒険者組合には誰も所属できなくなってしまうよ」
肩を竦めてそう言った。
「そうかしら?」
「そうだとも。君は……あれだな。少しばかり常識を身につけた方が良さそうだね」
「……最近、よくそんなことを言われるの。常識はあると思うのだけれど」
「認識を改めることをお勧めするよ……おっと、そうだった。今更だけど、自己紹介をしようか。僕の名前は、トリスタン・セイムという。君は……確かエレインだったよね?」
私の名前を彼……トリスタンが知っているのは、私が職員に渡した書類を見たからだろう。 私は頷いて、
「ええ、その通りよ」
「……家名はないのかい?」
意味ありげに、トリスタンがそう尋ねてきたので、私は首を横に振って、
「ないことにしたわね」
「……なるほど。まぁ、構わないよ。冒険者組合というのは荒くれ者が最後に辿り着くようなところでもある。脛に傷のある人間の数には困らないほどだ。今更君のような、おかしな人が増えたところで問題はないさ」
「本当に?」
「本当に。冒険者組合が求めるのは、ただ一つだけだよ。それは、依頼をこなせること。それが出来る人材は、誰であろうと歓迎するさ。流石にあからさまな犯罪者は困るけど……指名手配とかされてないよね?」
冗談めかしてそう言われたので、私は笑って答える。
「幸い、今のところはね」
「なら、問題はない」
「ところで……」
「何かな?」
「トリスタン・セイムの名前に、私は聞き覚えがあるのだけど、あのトリスタン・セイム、ということでいいのかしら?」
「あれ? まだ僕、言ってなかった?」
「言ってなかったわね……やっぱり正しいのね?」
「そうだね……君が言うのが、僕がウトピアール冒険者組合の組合長であることを指しているのなら、その通りだと言っておこうか」
そう、トリスタン・セイム、彼こそが、このウトピアール冒険者組合の組合長その人であり、私が会いたかった人その人でもあった。
◆◆◆◆◆
実のところ、私はこのトリスタンの顔と名前は、大体知っていた。
というのは、前の時に、かなり年を取ってからのことだが、一応会っているからだ。
あの頃の彼の面影が、今の彼にはちゃんとある。
前の時では、そんな風に私とは面識がある程度だが、リリーと非常に親しかったはずである。
それでもリリーは例の魔杖を手に入れるためにはほとんど何の力も借りなかったようだが、まぁ、それがリリーの出鱈目さの出鱈目な所以であって、私には流石にそれを真似することは出来ない。
だからこそ、私はこのトリスタンに、協力を求めたかった。
「……さて、これで君の登録は終わったけど……何か相談があるって?」
登録手続きが終わった後、私はトリスタンに少し話を聞いてもらえないか、頼んでみた。
通常なら、冒険者組合に登録をしたばかりの新人が、冒険者組合長にそう簡単に話など聞いてもらえるはずなどないのだが、私の場合、彼と闘ってそれなりに親しくなったこともあって、少しなら、と執務室に案内してもらえたのだ。
まぁ、私の正体も若干推測していて、それだからこそ、というのもあるかもしれない。
冒険者組合の情報収集能力というのはかなり高く、つい最近、他国から留学生を連れてきた公爵夫人のことくらい、既に調べはついている、というのは十分にありうる。
そもそも、私はこの国に来たことを全く隠していないのだから、簡単にそれについては調べられることだろう。
あとは、私の技能とか噂とかと照らし合わせて、先ほどの戦いの内容などを考えれば、まぁ、答えに辿り着くのはそう難しい話ではないだろう、という感じだった。
「ええ、大したことではないのだけど……もしも、新しい迷宮がこの聖国に見つかったとして、そこを探索するために秘密裏に腕利きの冒険者を何人か雇いたい、と言ったら便宜を図ってくれたりしないかしら?」
だからこそ私はかなりはっきりと、何も隠すことなく、素直にそう尋ねた。
これには流石のトリスタンも驚いたようで、目を見開き、それからおそるおそる、と言った様子で私に尋ねてくる。
「……ええと、ちょっと待ってくれないかな。聞き間違いかもしれないから……もう一度言ってくれる?」
「構わないわよ。新しい迷宮が見つかったら、腕利きの冒険者その他の便宜を図ってくれたりしないかしらって言ったの」
「……どこから尋ねれば良いのか……」
私の言葉に、トリスタンは頭を抱え、それから、部屋の隅にある魔道具に近づき、それのスイッチらしきものを入れた。
その瞬間、執務室全体を、魔力のフィールドが包み込む。
おそらくは、盗聴防止や防音の効果のある魔道具だろう。
詳しく魔道具を見ないとわからないが、感覚的に理解できる部分もあるので、間違いないと思う。
実際、トリスタンは言った。
「聞かれると大分まずい話のようだからね……防音の魔道具を使わせてもらった。ご婦人にはいささか不快かも知れないけど、他意はないから気にしないでもらいたい」
「特に気にはしないわ」
いざとなればどうとでも逃げられるからこその台詞だった。
通常の婦人なら気にするだろう。
特にそれが貴婦人ならなおさら。
「そうかい? まぁ、そうか。新しい迷宮とか言い始める人だもんね……で、どこまで本気で言っているのかな?」
「全て、本気よ」
そう、何もかも本気だ。
私はそのためにこの冒険者組合にやってきたのだから。
冒険者になって、腕利きの冒険者を雇い、迷宮に潜るために。
普通に依頼をしたのでは色々と問題が出るため、こうして自ら冒険者になり、そして冒険者組合の組合長と直接話すことで、諸々の問題についてをどうにか解決しようと思ったのだ。
実際、こうして会えたし、後はトリスタンとの話し合い次第である。
私の言葉にトリスタンは首を横に振って言う。
「……まぁ、君が本気なのは分かった。けれど、新しい迷宮と気軽に言うが、そんなに簡単に見つかるものではないよ? もちろん、世界中に存在すると言われるものだし、実際、色々なところで発見されてる。毎年、一つか二つは見つかるし、未発表のものも含めれば、数倍に上っている可能性もある。けれど、そういったものは今まで未踏とされてきた地域を、それこそ腕利きの冒険者たちが命がけで探索して、やっと見つけるものだ。もしくは、かなりの幸運に恵まれたりとか、ね。それなのに、そんなものを、君はこの国でこれから見つけるというのかい? そもそも、君がこの国に来たのはつい数日前のことだろう? 流石にそんな状態では……」
無理だ、と言いたいようだった。
というか、やはりトリスタンは私の正体を理解しているようだ。
まぁ、名前も隠すことなく、エレインと名乗っているわけだし、彼には容易に分かったのだろう。
職員は流石に分かってはいなかったようだが。
エレインという名前はこの国にも沢山いる名前なので、仕方がない話である。
私はトリスタンに言う。
「私は別にこれから探す、なんて言っていないわよ?」
これにトリスタンの表情が固まった。
私の言葉の意味を、すぐに理解したからだろう。
そして、喉から絞り出すように、彼は私に言った。
「ま、さか……君は……すでに、見つけた、とでも言うのかい? 新しい迷宮を……」
「そうだと言ったら?」
「……すぐに届け出て、公表を……」
「したくないのよ。だから、ここに来て、こうして貴方と相談が出来るようにしたの。どうにかならないかしら」
「……何故だ。迷宮を見つけることは名誉だよ? それに、かなりの権益も得られる。まぁ、君は他国の人間だから、直接なにかの権利を主張するのは難しいだろうけれど、それにしたって政府と相談すればかなりのものを得られるはずだ。それなのに……」
「私はその迷宮を、誰にも知られずに踏破してしまいたいのよ。だから、発表なんてしたくないの」
「……ここまで突拍子もないことを言われるとは思ってもみなかったな。一体何のために? 新しい迷宮なんだ。そこに何があるとも知れないところだよ。どれだけ深いのかも、危険性も、そしてどれほど有用かも、すべてが分からない。そんなところをどうして」
これはトリスタンならずとも、抱く疑問だろう。
私の行動は、端から見ると余りにもそれこそ突拍子がなさ過ぎるから。
けれど、私からすれば極めて明快であり、理由もはっきりしている。
リリーがいつか見つけ出す強力な武器を、彼女の手から先んじて奪っておきたい。
それがある場所はまさにその件の迷宮であり、どれくらいの深さかも、どのくらいの相手がいるのかも、大まかになら彼女から聞いて知っている。
だから、ある程度の対策を練りつつ、十分に踏破できるものだと最初から分かっている。
それだけのことだ。
しかしこんな話を、いきなり信じてくれる人間など、まずいないことも私だって分かっている。
いるとしたら、一人だけだ。
セリーヌ。彼女だけ。
そして、彼女の存在が、今この場でトリスタンに私が一体何を言うべきかを教えてくれるのだった。
私はトリスタンに言う。
「……トリスタン、貴方は、《予言》の力をご存じかしら?」
「《予言》? いや……おとぎ話に出てくるようなことくらいしか知らないが、それが?」
今のこの時代、まだセリーヌはそれについて公表はしていない。
前の時だとすでに公表していたのだが、今回はまだ控えている。
というのは、彼女が力を行使することによって、私の覚えている未来と大幅にずれてしまうことを懸念しているためだ。
私としては、もう色々と前の時とは異なってきているから、いつでも好きなタイミングで世間に公表してもらって構わないのだが、セリーヌは、まだ信用できる人間にのみ、伝えるだけに留めている。
広めれば多くの貴族との繋がりが持てる、非常に有用な力なので私としてはもったいない、と思ってしまうのだが……これは良くない思考だろうなとも思う。
私は前の時、そういう考えで動いて、色々と失敗したのだから。
強い力は強い闇をも引き寄せる。
扱いは慎重にすべきだ、ということをセリーヌは私よりもずっとよく理解しているのだろう。
にもかかわらず、前の時は早めに公表したのは、それこそ私の動きを牽制するためだろう。
お前がおかしなことをすれば、私が先にそれを潰すぞ、ということを行動で示していたわけだ。
まぁ、セリーヌの性格的には、エレイン、お願いだからおかしな方向に進まないで、というくらいの穏やかな感覚だったのだろうが。
あの頃の私にはだいぶ攻撃的な理解しか出来なかった。
本当に愚かだったな、と思う。
ともあれ、そんなセリーヌの予言の力については、現代ではまだ知られておらず、だからこそ、トリスタンはおとぎ話に出てくるそれしか分かっていないわけだ。
ただ、そのおとぎ話というのは一抹の真実を含んでいる、という話は、ある程度広まっている。
だからそこから話が出来る。
私はトリスタンに言う。
「そのおとぎ話に出てくる力を、実際に持っている人が私の知り合いにいるの。その人に言われたのよ。この聖国において、とある場所にある迷宮を踏破するように、と。その最深部にて、あるものを手に入れるように、ともね」
「……馬鹿馬鹿しい。そんなことが本当であるわけが……」
「ないと思う? でも、それだったら迷宮も見つからないってことよね?」
「……まぁ、そういうことになる、のかな。君が迷宮を見つけたというのが、その予言によるのだというのならね」
「私はまさしく、そうだと言っているわ」
すると、トリスタンはあからさまにほっとしたような表情で、
「なんだ……。じゃあ、迷宮はないんだね。じゃあ、この話はここで……」
「終わりにされると困るから、その前に一つだけお願いを聞いてほしいの。そして約束を」
「何かな?」
「お願いは簡単。私が、予言の人物に教えてもらった迷宮の場所、そこに人をやってほしい。そうすれば、私の言っていることが真実だと分かるはずよ」
「……まぁ、それくらいなら、依頼として受けられるよ。《ただのエレイン》さんからの、少し特別な依頼として配慮することもね」
「ありがたいわ」
「それで? 約束って?」
「もしも、それで迷宮が見つかったら、そこを私と一緒に探索する冒険者を都合して欲しいの」
「……君は本当にその予言を信じているんだね」
呆れた表情のトリスタンだが、その気持ちは理解できる。
でも、何があってもこれは聞いてもらわなければならない話だ。
私がそう思って強く彼を見つめていると、最後には、
「……はぁ。まぁ、いいだろう。本当に迷宮が見つかったら、そのようにする、と約束するくらいのことはね。だって、見つかるはずがないのだから。ただの妄想だよ」
「そう思っているのなら、少しだけ付け足しても?」
「……この際だ、聞こうか?」
「迷宮が見つかっても、どこにも報告しないで欲しいのよ」
「あぁ、国にも教会にもって事だね? 本当ならまずいんだけどね……」
「見つかるって信じてないなら約束したって構わないでしょ?」
「……分かった分かった。じゃあ、その通りにしよう。でも、逆にもし見つからなかったら……」
「見つからなかったら?」
「例の《魔術盾》を少し融通してくれないかな? あれ、聖国には全く出回らなくてね。取引相手、かなり絞ってるだろう?」
それでトリスタンが私の正体を知っていることがはっきりとした。
提案の内容は、勿論私にとってかなり厳しいものである。
というのは、あの《魔術盾》は軍事物資であり、他国には容易に流せないものだからだ。
もちろん、魔塔が売り出す関係上、他国でも流通してはいるが、イストワードの軍や騎士団が持つものよりも性能の低いものを流通させている。
トリスタンが言っているのは、この性能の低いもの、ではなく本来の性能のもののことだろう。
そしてそんなものを流せ、という提案など、普通は受け入れない。
だからこそ言ったのだろうが、私としては構わない。
流すのが、ではなく、この約束をするのがだ。
何せ、迷宮は絶対にある。
私は知っている。
だから、トリスタンの提案が現実化することなど、有り得ないのだ。
私は言った。
「分かったわ」
「……えっ?」
「分かったと言ったの。それで私の話も受け入れてくれるのよね?」
私のあまりの自信にトリスタンは一瞬、声を失ったが、しかしそれでも、私の与太話が実現するとは思わなかったようで、最後には、
「……いいだろう。君の提案を、すべて受け入れる。それでいいね?」
「ありがとう、トリスタン。これで安心して帰れるわ」
そうして、冒険者組合での話し合いは終わったのだった。