教訓 01″ 何処へ誰といつ帰るかを確認すること。
「お母さん、お外で遊んできてもいい?」
「お外?こんなに早くからか?」
新聞の上からひょいと顔がのぞく。
まだ朝食も食べていないのに元気なことだ。現在6時53分。この時間から遊ぶとして…一体何時間遊ぶつもりなのだろう。だがそれも、普段を考えれば何らおかしいことはない。
彼女の遊び相手は、7歳年上12歳のコリン・キャンベル、16歳の日樫善、17歳のニーナ・バグジョアなどである。5歳の彼女と比較すれば、第二次成長期を経た彼らとの体格、体力差は明らかだろう。
だがいつもへとへとで魂に抜けた顔をしているのは彼らの方である。ロワによく鍛えられているようで大変結構。
ロワは椅子の上に立って、体を揺らしながら新聞越しに抗議してくる。
「…こら、危ないだろう」
止めなさい、までは言わなかった。そこまで言わなければ分からないほど、彼女は馬鹿じゃない。椅子は座るものだ。自分がやっているリスクも理解しているだろう。
何事もなかったかのように、ロワはすとんと腰を下ろした。むくれた様子もなく、大人しく座ったのを見て頭を撫でる。
すると、途端にきらきらとした眼差しで訴えてくる。いや、まだいいと言ったわけでは…。
ロワの目を避けるように席を立ち、新聞をラックに戻す。夏に向かう暑い日差しが肌を焼いて、何気なく外を見た。
だだっ広い丘陵に、雲一つない快晴。手入れされた花壇が遠くに見える。いつか、こんな絵画を見たことを思い出した。
…なるほど、確かに今日はいい天気だ。
こんな日に家から出ないというのは、子供にとってはなかなか苦痛だろう。
だがしかし、どうしたものか。彼女がわざわざお伺いを立てるときは、少し遠出をしたいという合図なのだ。着ているワンピースも、リボンのついたお気に入りである。
振り返ると、様子を伺っていたらしいロワがピシッと背筋を伸ばした。
ふ、と口の端に笑みが溢れる。
「今日はやけに準備万端だな。昨日なにか約束でもしてきたのかい?」
「ううん。でも、もう一度会いたいなぁって!だから、今日も行ってみるの!」
「うん?新しい友達か?」
「うん!」
新しい友達…と言うと今度は何だ?
村に新顔は来ていないし、街には出ていないから、新しい友達が増えるはずもない。
…となると、新しい友達というのは動植物だろうな。
ため息をグッと堪え、目頭を抑える。何であれ覚悟はしておかないといけない。酷いときは魔獣化途中のイヌワシや、ウツボカズラを連れて帰ってきたのだから、何が起こっても不思議じゃない。
…いや、ウツボカズラはもはや魔獣だったな。「どこにいるでしょーか!」なんて捕食袋の中でかくれんぼをされた日にはこの世に神はいないと本気で思った。
それに加え遠出となると…何が起こるやら。生憎今日は機材のメンテナンスがあってついて行けない。
「…今日じゃなきゃダメなのかい」
「一期一会!思い立ったが吉日!」
「ふむ…一理ある」
相手が野生動物なら尚更、今日行かねば二度と会えないということも…はぁ、仕方ない。
渋々、くるりと彼女に背を向かせて寝癖のついた髪に手を通す。普段は緩くウェーブを描いている銀髪は、どうやったらこうなるのか、ボサボサだ。
絡まった髪を解しながら、痛くならないように櫛を通す。
「…何処まで行く気なんだ?」
「えへへ、庭の丘の向こうまで!きっとお母さんも気にいるはずだよ!」
「そうか、それは楽しみだな。…待て、それ絶対危ないだろう。くれぐれも危険なことはしないように。ただでさえあそこは森の境に近いんだから!」
私が気にいると言うことはつまり、研究対象になり得ると言うことでは??
並みの動植物の生態は調査し終えた。私が今興味をそそられるのは、ランクの高い魔物か新種だけだ。それを理解しているかは…しているだろうな。
駄目だ、悪い方ばかりに想像が働いてしまう。
でも実際、一昨日は飛ばされた帽子を追って崖に飛び込んでしまうし。
(これは私も悪かった。子供の帽子にはゴムを付けた方がいいのだと、ばあさんに教えてもらった)
一週間前には大蛇の寝ぐらで昼寝をしているし。
(確かに休むときは日陰に入りなさいとは言ったが!わざわざ木の虚に入り込むなんて誰が思う⁈)
一ヶ月前なんて何処を探しても見つからなくて、森にまで探しに入った。結局見つけて家に戻ったときには、夜が明けていた。
母の日だからと、森にある珍しい花を摘みたかったらしい。だが!稀少な花というのは得てして花自体が凶暴であるか、採集するのが困難な場所に生息するかの二択である。
そんな危険を冒してまでプレゼントが欲しいと思う親がいるだろうか?いや、いない!
ぴょこんと主張の激しい寝癖に指を絡める。
…直らないな、いっそ結ってしまうか。
「森には入るんじゃないぞ、何が出るか分からないからな。空の縁が暗くなる前には帰って来なさい。いくら村のヤツらが送ってくれると言ってもダメだぞ。…誰と遊ぶなとは言わないが、危ないことはしないこと。スパッツは履いたか?…履きなさい、短いのでいいから!あのマセガキどう考えても君を狙ってるんだからな‼︎」
髪を上の方で纏め、しっかりとお団子を作る。
もう一度念を押そうと口を開きかけたが、嬉しそうに鏡に走って行くのを見て何だか気が削がれてしまった。
「…取り敢えずご飯を食べよう。お弁当もいるんだろう?」
「うん!ありがとう‼︎」
ロワの最近のお気に入りはホットサンドだ。機械にパンやチーズ、卵を乗せて焼くだけなので、手軽でとても助かっている。
いくつか作って、残った分を弁当に詰めよう。代わり映えはしないが、おやつにロワと一緒に量産したマフィンとジャムの小瓶を付ければ十分足りるだろう。五歳児にしては、彼女は大食いである。
トマトジュースもしっかりと飲み干すと、ロワはすぐにポシェットを取りに走る。それをひょいと捕まえて膝の上に乗せた。
不満の声は、頬にキスの一つでも落とせば嬉しそうな笑い声に変わる。ぎゅーは?と聞かれたのですぐさま強く抱きしめた。親バカだと言うのは自覚している。
「食後は消化のために内臓に血液が集中する。このとき運動を始めてしまうと消化を促す血液が胃に回らなくなり、腹痛や吐き気など消化不良の症状を引き起こしてしまう。わかりやすく言うと、ロワの中の働き虫さんがだな_____」
食後の運動は控えた方がいいという話を、擬人化を用いたりして長々と話して聞かせる。
うんうんと頭をひねりながら話を聞くロワ。
「いっぱい遊んじゃうと、働き虫さんがお仕事できなくて、ロワの元気もなくなっちゃうの?えーと、それじゃあ…」
「食後最低30分は運動を控えたほうがいい。よし、30分経ったな」
腕時計をロワに見せて、30分経ったことを一緒に確認する。ぱぁっと輝くように笑ったのを
ポシェットに弁当を入れて、水筒を持たせる。
どうも嫌な予感がするが…その嬉しそうな顔を見ていると、今更止められない。
「…何かあったら大きな声で叫ぶんだぞ。村の奴らは耳がいい、きっと駆け付けてくれる」
「はぁい、気をつけるね!行って来まーす‼︎」
「行ってらっしゃい…何もなくても呼んだらいいからな!」
なだらかな丘の向こうに、姿が見えなくなるまで見送った。立ち止まって何度も手を振ってくれる姿に、きゅうと心臓が締め付けられる。
「メンテナンスを、しなければ」
しなければと、思うのだが。
一抹の不安を胸に残して、重い足を研究室へと動かした。
「遅いな…」
いや、まだ3時過ぎではあるのだが。
おやつも持たせたのだから帰ってくるのは早くて4時前後だろう。別に友達と居てくれるなら何の問題も無いが。
迷った挙句に、村に電話をかけることにした。誰にかけるか…情報通はじいさんばあさんだが、今知りたいのは現況である。素早く、そして確実な情報が欲しい。となると、
ガチャ
『はい、こちらレオ・ガートン。新鮮で珍しい肉をいつでもどうぞ!魔女様、今日は何の肉がご入用ですか?』
「そうだな、豚肉をまた入荷しておいて貰えるか。今度買いに行こう。それで、今朝ロワがそっちを通っただろう。今誰と一緒にいるかわかるか?」
『承りました!おーい、チビども‼︎』
レオ・ガートンは村に住み着いた古参の一人である。ふわふわと頼りないように見えて仕事のデキる、憎めない男だ。
馬鹿なところが曲者揃いの村人たちにはウケているらしい。まあ、20人もいない本当に小さな村なのだが。
『チビたちは全員村にいますね。どうやらお嬢さんは一人でお出かけしてるようです』
「___は?」
『っ…ひぇ』
電話口から間抜けな声が聞こえる。それにも思わずイラッとしたが、落ち着け。これは誰も悪くない。強いて言うなら、"何処へ誰と何時帰る"の"誰と"の部分を聞き忘れた私が悪い。
「いいか、よく聞け。家を出た時間から行動を仮定し推測するに、ロワは今村の近くにいるだろう。手伝う分は支払う、ニーナにもそう言って手伝わせろ」
『そ、そこまでする程ですかぁ?』
「する程だ‼︎この前あのマセガキが言いに来なければ、マンションの10階に相当する高さから落ちていたかもしれないんだぞ!!!!」
『分かりました…伝えておきます』
「ああ、頼んだ」
嫌な予感が的中した。勘という第六感的なものを信じるとは科学者としてどうなのかと自分でも思うが、最近は因果律の発生を知覚する超感覚的機関が脳のどこかにあるのではと考えている。
だから、超感覚的知覚というのは脳の機関に基づいた人間の基礎能力の一つであり、決して超能力などという曖昧な定義のものではないと___
ああ違う!そんなことではなくて‼︎
扉の横のカバーを外し、パネルをタッチする。外観形成を解除、警備Lv.1を起動。
作動したのを確認すると、ポーチを引っ掴んで走り出した。
「じゃあな!留守を頼む‼︎」
『Yes, boss.』
ロックが解かれた家は、巨木へと成り果てた。元々は、この巨木を外観形成で家の形へと圧縮していたのだ。帰るときはいい目印になるだろう。
警備Lv.1は、家人の生体認証がないと入れない。勿論、常人では破れない仕様だ。
じりじりと太陽が照りつける。ああもう、全く!
「科学者を走らせるんじゃあない!」