第一章③
「――――では、早速会議を始める」
その日の放課後。五畳程度の部室に集まったのは五人の騎士。俺たちが取り囲むのは円卓(定員オーバー)。魔王ノエル=ラ=ヴォーデモンの呼びかけに答えた者たちだ。
ちょっと中二っぽいナレーションを入れてみたが、そうスラスラと出てこないもんだな。ノエルなんかは詠唱魔法の経験からそういうワードはすぐ思いつくのだから、案外凄い特技なのかもしれない。
「おいナオト、我から意識を逸らすとは何事か! きちんと聞いておくのだぞ!」
「サーイエッサー!」
釘を刺され、俺は姿勢を正して聞く意思を表に出す。よろしい、とノエルが満足げに頷いた。
ごほん、とノエルは咳払い一つで注目を集め直し、
「さて……此度皆に集ってもらったのはほかでもない、実は我、絵コンテがまるで進んでおらんのだ」
「理由が致命的過ぎる……。いや後回しにするよりかはマシだけど」
「ナオトらの意見も参考になるべく急いではいるのだが芳しくない。故に今後のスケジュールを変更しようと思う」
今回の映画製作は脚本に時間をかけ過ぎたということもあり、ほとんど絵コンテ作業と同時進行で撮影を進めてきた。当初はいい感じで進んでいたかに見えたが、ここに来て絵コンテに撮影が追いついた――もう撮れるカットが残っていないのである。
本来なら明日には新しいシーンを撮る予定だったのだが、どうにも間に合いそうにない。絵コンテなんて脚本に沿って作ればいいと思いがちだけど、そう単純な作業ではないのである。脚本の修正も兼ねているんだし。
ノエルは最初に謝罪を述べ、なおも続けた。
「ひとまず明日の撮影は延期とする。キャストは乙原を中心に演技を煮詰めていってほしい。野田には作ってほしい小道具が発生したため、追って指示を下す」
ADの野田くん(二年生)が頷いて了承する。彼は寡黙で器用なナイスガイだ。たまに衣装なんかも自作してくれる縁の下の力持ち。ちなみに彼女持ちらしい。
どうやら撮影は三日後に変更するそうだった。それだけの時間があれば何とか絵コンテを上げられるらしい。恐らくまた次のカットで詰まるだろうが……。
各部員に仕事を割り振り、今日の活動は一旦お開きとなった。だとしても一斉に帰宅するわけじゃない。野田くんはこの後共同作業場で小道具作りに向かうだろうし、ノエルは絵コンテ作業に没頭するはずだ。
一方で彼女たちのように突出したスキルを持っていない俺は暇人なのかと問われれば、今回ばかりはそうじゃなかった。部員不足もあってやることは山積みなのだが、俺は登場人物の一人を担っているため演技を磨かなくてはならない。
気合を入れていると背後からポンと肩を叩かれた。
「ようメインキャスト様。早速読み合わせしようぜ」
――――そう。今回の俺は主人公を任されているのである。
具体的に言えば『ヒロインと別れた哀れな高校生』役だ。この場合のヒロインとは無論乙原紫である。普段は端役でしか出演しなかった俺がノエルに指名された時はびっくり仰天したものだ。
そして今俺の肩を叩いたのは親友の北大路蓮だった。奇しくも主人公の親友役として出演している。今風の着崩したファッションセンスに、雑誌を参考にしたような金髪のヘアスタイル。業腹だが外見は俺より上なため、いつもならこいつが主役を張ることが多かった。
そんなわけで分不相応な大役を当てられ、早くも緊張しっ放しの俺に対しさらに追い打ちをかけてきた北大路を一瞥して、
「……もう何度同じこと言ったか分からないんだけどさ、」
「うん」
「役代わってくれ」
舐めるなと吼えることができれば格好いいのだけれど、生憎俺はそこまで強心臓ではない。文化祭の合唱の時でさえ声が裏返ったほどだ。もぅマヂ無理……。
そんな俺の要求に北大路は「やだ」と淡白な返事をした。
「だってもう撮影も三分の一は終わってるし、今更主役の変更は利かないだろ」
「そこはほら、脇役が何か出しゃばって来たみたいな感じにすれば何とか……。前ん時の撮影だって俺のせいで何回カットされたか分かんねえし!」
「お前がそうでも女王様のお許しが出るかどうか。ノエルちゃんの中には確固たる信念があるんだろうし、テコでも揺るがないんじゃねえ?」
だよなあ。それとなく進言したことはあるけど、その度に「これが最高の布陣」と相手にされなかった。
個人的にキャストが最もプロと素人の差が激しい分野だと思っている。世間では馬鹿にされることもあるアイドル俳優でも、ちゃんと演技指導を受けてるんだから雲泥の差だろう。そもそも顔や雰囲気にしても何万分の一という確率で選ばれている人たちなんだから、フツメンの俺が張り合えるわけがない。
せめて目立ちたがりのDNAがあればよかったんだが俺には縁遠い気質だ。それにもう一つ、俺が主役を張りたくない理由がある。
「ほらほら! 話してないでさっさと始めるよー!」
それは俺が、ヒロイン役の乙原と対等な立場にあるということだ。
先述にあったアイドル俳優に関しても、乙原はその条件を満たしていると言っていい。優れた容姿に高い演技力。少なくとも学生映画にほいほい参加するようなレベルじゃない。どちらも大きく劣る俺が、作品内ではヒロインの彼氏役なのだから当然比較されることとなる。
手を叩いて俺と北大路に喝を入れる。普段主役として北大路の演技力も、当初より明らかに成長しているのだ。その点俺は、脇役というぬるま湯に浸かっていただけで少ししか成長していない。こんなことならもっと真剣に取り組んでおくべきだった、と後悔ばかりが募る。
彼女に連れられて部室を後にする。絵コンテに集中しているノエルの前で練習していては邪魔になるだろうという配慮だ。いつもは校舎の裏手辺りで乙原主導のレッスンを受けている。
校舎が陰となって涼やかな環境の中俺たち、もとい乙原の指導は熱を帯びていく。
「はい! もう一度やるよ!」
まるで体育会系のノリである。元役者としての本能か、どうも手を抜けないタチらしい。
俺は自分のセリフ部分を声だけで演じる。
「『それで? いったいその後どうなったんだ?』」
『トモキ』役の北大路が表情筋を動かしながら続ける。
「『彼女のためと思って潔く諦めたとも。……いや、それはあくまで表の話で、陰で散々泣きはらしたけどな。まあでも、今となっては良い塩味さ』」
「お、『俺にはできそうもないな。ユイにフラれたらと思うと精神崩壊しちゃうんじゃないかって』――――」
「はいストップ!」
俺がセリフをトチったところで乙原から制止がかかる。自分でも「やっちまった」って思いました、はい。
脚本は既に何周も読み込み、特に自分のセリフパートは穴が開くほど覚えた。それでも少し通して読むと間違いが出てしまう。演技も込みでやるとなると今よりもっとミスが出るはずだ。
普段は楽観的な俺でもこうもミスが続くと気分が沈んでくる。前途多難なのはノエルだけじゃない。
「――――……って、ナオトくん聞いてる?」
「へ? あ、悪い」
乙原のアドバイスを聞きそびれるくらい、今の俺は落ち込んでいたようだった。彼女は覗き込むようにして俺の顔色を窺ってくる。
小学校時代にあった「やる気がないなら帰れ!」的な発言が投げかけられる、と身を縮めたものの、予想した類の言葉は飛んでこなかった。
代わりに俺が見たのは、顎に手を添えて思慮深く悩む乙原の姿だった。
少しの間考え込んでいた風の彼女は、自分の中で答えを弾き出せたのかうむと頷いて、
「……今日はここまでにしよっか。何だかんだ一時間はやったしね」
「え!? 普段三時間以上みっちりレッスンする紫ちゃんが!?」
予想外の提案に戸惑いを見せる北大路。かく言う俺も驚いていた。演技指導時の彼女はまさしくブラック上司が如く。「何でできないの?」「さっきも言ったよね?」など、怒声でも罵声でもないが『心に来る言葉シリーズ』を散々浴びせられるのが定番だったのに!
本当に帰ったら怒る的な試練でもないようで、北大路が一足先におっかなびっくり帰っていった。俺も戻るか、ととりあえずノエルの様子を見に行こうとしたところへ、
「――――ちょっと待って」
乙原が俺の肩を掴んで引き留めてきた。
ひぃっ! ややややっぱり怒られるんだ! よほどの怒りを露わにするために北大路を先に帰らせたんだ!
助けて! と心の中で念じていると、またもや想像に反して快活な声が耳に届いた。
「ナオトくん。明日、私とデートをしましょう!」
…………………………………………………………………………はい???
そんな彼女の突拍子もない言葉を呑み込むのに、軽く三分以上要したのは言うまでもないだろう。――――マジで?