第三章⑧
取り立てて派手な動きもなく、俺は淡々と作業を続けていた。
使いたい素材を並び替えて、尺を決めて、フォルダーから直接BGMをドラッグしてきて貼り付ける。音量を調節した後はそのシーンを再生して合っているか否かを確かめる。大まかに言えばこれだけ。
俺がキューシート片手に画面を操作して、早五時間が経過していた。無論その間ノエルを一度たりとも起こしたりしていない。……ありていに言えば、俺はノエルに対し嘘を吐いたということである。
あの後ノエルは驚くほどすぐに寝てしまい、今に至るまで起きる気配など微塵もない。つまりそれほど疲れが溜まっていたということで、何だか起こすのが気の毒になってきたのだ。
もっと言えば俺は始めから彼女を起こすつもりなど毛頭なかった。ノエルが寝ている間に俺が完成させてしまえば、これ以上彼女が頑張る必要はなくなると考えたからだ。
十中八九起きた後に叱責させるだろうが、終わらせてしまえばこっちのものだ。
タイムリミットはノエルが目覚めるまで。なんて曖昧なリミットだ。五分後かもしれないし十時間後かもしれない。可能な限り早く仕上げなければ、という考えにせっつかれて、最初は良いペースで進んでいたのだが……。
「ふぁあ~……」
二十分に一回だった欠伸が今では三分に一回ペースに。その都度手の甲を抓るのだが、すぐに効果が切れてしまう。
こんな姿、団塊世代に見せたら「最近の若者は~」と呆れられるだろう。けど仕方ないじゃん? 眠たいものは眠たいんだから。それに俺だってノエルほどじゃないけど最近忙しかったし。山田さんとこの喫茶店にヘルプ入ったり、球技大会の実行委員引き受けちゃったからその仕事で忙しかったり、深夜に一人で演技の確認したりして、多分ここ一週間の合計睡眠時間は十時間くらいだと思います。今からそんな社畜精神を見せてどうする。
けどこういうところで行動してないと、映研の活動に支障が出るからなあ。宿泊届もなかなか認可下りないから、ちゃんと優等生の皮被ってないといけないし。いや根が不良ってわけじゃないよ?
「っぁあ~~~」
なんてとりとめのないことを考えるようにしても、眠気が晴れることはない。次第に瞬きも増えてきた気がする。
だが作業も七割方終わっている。残っているのは後半半分を詰めていく作業のみ。編集は最初に粗編という、文字通りOKカットを荒く繋いだ編集をして、そこからさらに手直しをしていくため、思ったより早く終わる。
俺は襲い来る睡魔に対し目薬、ミントガムなどで応戦する。けれどあまりに敵が強大過ぎて、たちまち侵攻を許してしまう。隊長っ! もうこれ以上戦線維持できませんっ! その脅威は、かつて大陸支配を成し遂げかけたモンゴル帝国もかくやとこそ思われた。
いよいよ本格的に船を漕ぎ始めた俺……。さすが人間の三大欲求に数えられるだけのことはある。言ってみれば俺は一週間オナ禁してるようなもの。精力盛んな高校生にはキツイものがあって当然!
――――危うく寝落ちする直前、俺は握り拳を太ももへと思い切り振り下ろした。ズン、と重い音が鳴り、それとともに鈍痛が右足に走る。
「っ~……!」
寝るな。まだ俺はやり遂げていない。
今以上に誰かの力になりたいと思ったはずだ。
だとしたら今までと同じやり方じゃダメなんだ。誘惑に負けて寝るなんて以ての外。第一俺がノエルをけしかけて撮影が延びたんじゃないか。
俺は今日三本目となる栄養ドリンクに手を伸ばす。それを一気飲み。全身に活力が漲り震えが走る。
「もうひと踏ん張りしろ、俺……!」
もしもこの編集作業をやり遂げることができれば、自分のことを少しは認めてやれるかもしれない。
何の自信もない、何の取り柄もないがらんどうだった俺に、何かが満たされるかもしれない。――それを通じて俺は、何者かになりたいんだ。
パンパンと頬を両手で叩いて気合を入れ直す。
半ば歯を食い縛るようにして、一つ一つ着実に工程を終わらせていく。もはや文面が編集作業のそれじゃない気もするが、気にしたら気が滅入って終わりな気がする。『気』が云々ってドラゴンボールか何かか?
視界が明滅している。思考がグルグルと回転している。
俺は完全に前のめりになって、画面の光を至近距離で浴びながら鈍い動きでマウスを操作する。
もはや考える力なんてまともに残っちゃいない。『こうするべき』という指針に従って身体を動かしているに過ぎなかった。後でリテイク祭りが待っているかもしれないが、俺は今できることをやるだけだ。
かち、かち――――
睡魔に抗い続けてどのくらいが経過したのか、もはや漠然とさえ分からない。
かち……かち……――――
ただ西側の窓から朝日が差し始め、眩しすぎて鬱陶しいと思いながらも、今度は動くのが億劫でカーテンを閉めることもできなかった。
かち…………、かち…………。
クリック音が次第に頻度を落とし始めた。
それは寝落ち直前というだけではなく、編集がエンディングにまで到達していることも要因の一つだった。
終わりよければ全て良し、という言葉で締め括るつもりはないけれど、それでも最後くらいは丁寧に仕上げたかったのだ。特にエンディングに関しては映画作りに関わった全ての人への感謝を込めたい。
「これで――――」
誰がどの役割を担ったか。登場人物を演じたキャスト名。それから今回撮影を手伝ってくれた演劇部や知人らの名前など、一人一人記載忘れのないよう打ち込んでいく。
「――――終わりだ」
エンターキーを押すと同時に、全ての作業が終わったことへの達成感やら解放感やらが波のように押し寄せてくる。
精魂共に枯れ果てた今の俺にそれを受け止める力などあるはずもなく、崩れるようにして床へと寝転がった。
身体を荒っぽく投げ出した衝撃は、意識とともに深い眠りへと落ちていった。