第三章②
三日後。今日の撮影は六時過ぎまで続き、俺と北大路と乙原の三人は帰りにハンバーガー屋に立ち寄っていた。
疲れた表情のサラリーマンや、俺たちのような学生が店内に溢れ、店員は慌ただしそうに動いている。忙しいと店員は内心『死ね』と思いながら働いているのでこちらも優しく接してあげようネ。
「よーやく終わりが見えてきたなあ」
大きく伸びをしながら、隣に座っている北大路がしみじみ呟いた。
あれだけ悪戦苦闘していた絵コンテ作業もノエルは昨日で全て仕上げ、いよいよ映画製作もラストスパートを迎えていた。面白いくらい次々とカットを撮り終えていく。これなら編集期間を合わせても締め切りギリギリには間に合うはずだ。
シュゴーとシェイクを吸い込みつつ俺もそれに同意する。
「だとしたらそろそろ打ち上げ場所決めなきゃなあ。何か案ある? いつものサイゼでいい?」
「えー? あー私、今度は別のがいいなー」
「たとえば?」
「あ……そだ、学校の近くに美味しい蕎麦屋があってね」
「蕎麦に興味持つ女子高生ってなかなかいないよな」
いかにも女子高生っぽい乙原だが、妙なところで独特なセンスを持っている。蕎麦って。いや美味しいけどね、蕎麦屋のかつ丼とか。
今みたいに終わった先のことを話せるくらいには、映研には余裕が生まれていた。無論最後まで気を抜くつもりはないが、そこまで逼迫した状況じゃないのは確かだ。
「そう言えばさ、ノエルちゃんはどしたん? ノエルちゃんも来ればよかったのに」
……そう、たった一人を除いて、今の映研には余裕があった。
絵コンテ作業を完了し、あとは現場での撮影と詰めの編集作業が主な仕事のはずのノエルは、しかし欠片も緩みを見せていなかった。監督としての責任感故か、と一度は思ったがそれは違う。いつもなら終わりが近付くと彼女も笑顔を取り戻し始めるものの、今回はずっと難しい顔をしているのだ。
乙原が真ん中に置いたポテトをつまみながら、
「ノエルちゃんにはまだ編集作業も残ってるし、そりゃ気も重くなるでしょ。私たちも手伝えればいいんだけど、『これは我の仕事』と譲らないからなー……」
人を観察する力に長けた乙原でさえ、ノエルの悩みの種は分からないらしい。かく言う一つ屋根の下で過ごしている俺も分からず仕舞いなのだから無理もないか。
ノエルは今日もまた家に帰り自室に籠って考え事をしているのだろう。映研の中で誰よりも彼女の傍にいるのは俺なのに、何もできないでいる。情けないったらありゃしない。
つーか俺、今回の撮影を通じてめっちゃ無力感を感じているな……。今までうやむやになってたことが一気に表面化してきたというか……。
二人に悟られないようそっとため息を漏らす。それを誤魔化す意味合いも込めて、俺は努めて明るい声音で話す。
「今回は色々大変だったからな! それ込みで打ち上げはちょっとだけ豪勢にいきたいところだ」
「お、いいねえ。はいはい! じゃあ俺、ユカリちゃんの手料理が食べたい!」
「ええっ私の? うーんどうしよっかなー……」
「おいおい察してやれよ北大路。今の反応、どう見たってメシマズ系のアレだろ」
「だいじょぶ! 俺、可愛い女子からの手料理なら冷凍食品だって許せる男だから!」
「ちょっとちょっと、私がメシマズだってことを前提に話さないでよ。ていうか私、よくお手伝いしてるからそこそこ作れるし!」
「つか料理なら俺ほとんど毎日してるから、俺んちでよくねえ?」
「ばかばかお前、そんなのユカリちゃんとこにお邪魔する口実に決まってんだろ! はー分かってねえなあ」
「失礼な男共だなキサマら」
*
三十分ちょっとハンバーガー屋で時間を潰し、帰宅したときには時計は七時を回ろうとしていた。大名寺は今日飲み会があるとかで晩飯の用意はいらないらしく、俺はさっさと二人分の夕食を作ることにした。
金曜日の献立は魚系と決まっており、今日はカツオのタタキである。俺の中では肉系の匹敵するメニューだ。
「さて……」
今日も今日とて二階の自室から降りてこない様子のノエルのために、ご飯を運んでやろうとお盆に載せたところで、ふと足音が聞こえた。
ひょこっと顔を覗かせたのは当然ノエルだ。彼女は若干眠そうにしながら、未だに制服姿のままでいた。どうやらまだ風呂にも入っていないらしい。
「……ほう。今日はタタキか。良きメニュウだ」
「うん。さっ、食べようぜ」
俺たちは向き合った席に着く。そして両手を合わせて「いただきます」と感謝を捧げる。
……会話がない。普通なら話が途切れることなんてほとんどないのに。大名寺が欠けているせいじゃなくて、何をどう切り出せばいいか困る空気が食卓に漂っていた。
その理由は単純明快。ノエルの意識がここにはないから。黙々と食べ続ける一方で、彼女は別のことをずっと考えてる。
俺だったら自分の悩みを表に出さないよう、努めて明るく振る舞おうとするが、それを他者にまで求めるのはお門違いだろう。そもそもノエルは『人間』となって間もない。俺たち人間とは思考回路がズレているのだ。
ノエルは多分、自分一人で解決すべきことだと思い込んでいる。きっとそれは強さだ。俺たちが音を上げて他人に救いを求めるところでも、彼女は独力で成し遂げようとする。そして最終的にノエルは困難を乗り越える底力を示してくれるはずだ。
俺はそんな彼女の強さに惹かれた。
自分では到底なり得ない在り方に憧れた。
だから俺が余計な手助けをして、彼女の存在に陰りを落とすような真似はしたくない。俺がいなくてもノエルは壁を打破できると信じているから。
「ノエル」
――――だから。
俺はノエルの注目を引き、目を合わせて話しかけた。
「ちょっとだけ『会話』をしようぜ」
「会話……?」
これは断じて手伝いなどではない。
俺はただ彼女の『友人』として悩みを聞くだけだ。道を示すことはしない。本当にただ、聞き手に回るだけ。友達なら至極当たり前のことだ。
俺も彼女も、今は等しく人間なのだから。
「そうだ。お前が今何を考えているのか知りたくてな。……自分の中で考えているだけだと、あんまりまとまらないだろ? ちょっと整理するくらいの気持ちで話してくれよ」
「…………、」
「……駄目?」
「駄目なものか! 少し……驚いていただけだ。我にそんなことを進言する輩、初めてなものでな」
うむ、とノエルは頷き、椅子に深く座り直した。
彼女は指先で唇をなぞり、どう話すべきか考えをまとめている素振りを取った。自然と彼女の唇に視線が吸い寄せられてしまう。うーむ、エロい!
少ししてノエルは静かに口を開いた。
「……このままの結末で良いのか、と此の程悩んでいてな」
「……? それは自分の脚本に不満がある、という意味合いでいいんだよな?」
こくり、と彼女は首を縦に振った。
俺なりにノエルの悩みを考えてみたが、そのどれとも違っていた。何故なら彼女はこれまで脚本の細部を変更することはあっても、大筋まで変えようとしたことはなかったからだ。
それは彼女に確固たる『撮りたいもの』が構築されているからで、まったく揺るぎようもなかった根幹部分だったはずだ。
今回の映画のラストは、『カズヤ』が『ユイ』と別れ、そのまま一言も話すことなく卒業し、『カズヤ』がずっとそのことを引きずって生きる――というのが大まかなエンドだ。あまりパッとしない、所謂バッド気味の終わり方。
しかしそれが彼女の作る映画の魅力であり、俺たちも納得した上で付いてきたしノエルもブレることなく突き進んできた。それが今になって何故? という気持ちであった。
特にラストというのはその作品の方向性を観客に示すものであり、集大成とも言える部分だ。中盤の流れを変えるのとは訳が違う。
ノエル自身も己の変化に疑問を抱いているらしく、首を傾げながら続けた。
「無論、我はクランクイン前には己が脚本に不満など抱いていなかった。でなければクランクインを延期してでも手直ししていただろう。……だが近頃、ふと頭を過ぎるのだ。本当にこのままで良いのか、と」
「……具体的にはどう変えたいんだ?」
ラストだけなら撮影スケジュールを調整すれば捻じ込めるかもしれない。場合によってはこれまでのカットが無駄になるかも、と戦々恐々しながら俺は尋ねた。