第二章②
「くそっ。面倒臭がらずに傘持ってくりゃよかったぜ……!」
バイト終わり。コンビニから出る直前に雨が降り始め、雨具を用意していなかった俺はダッシュで家路を駆けていた。降水確率六〇パーセントくらいが一番判断に困る。外出前に降っていなければなおさら。かといってコンビニ傘は高いので買いたくない。
そんなこんなで雨に打たれ、家に辿り着いた頃には当然ずぶ濡れになっていた。暖かくなってきたとはいえ、やはり雨に打たれると身体は冷えてしまう。風邪引くかも。
床を濡らさないよう玄関でハンカチを使って身体を拭うも、すぐにベタベタになって効果が薄くなった。靴下が濡れて気持ち悪い……。
「お帰りなさいナオトさん。よろしければこちらのタオルをお使いください。あとお風呂も沸かしておきましたから、冷え切る前にお入りくださいね」
「おおサンキュ!」
悪戦苦闘していると大名寺がバスタオルを持ってやって来た。しかも俺が帰る前にお風呂を焚いてくれてたらしい。めっちゃ気が利く。惚れそう、こいつが元おっさんじゃなければな!
お言葉に甘えて風呂に入ろう。じゃないと風邪引く。俺はその場ですっぽんぽんになり、ダイレクトで脱衣所まで駆けようとするが、大名寺がニコニコとしたまま俺の前から離れてくれない。
「……見られてると脱ぎづらいんだけど?」
「お気になさらず。私、以前は男をやってましたので」
「基本女ロールしてんのにこういう時だけ男に戻るのヤメロ!」
外見美人の大和撫子に見られた状態で脱ぐとか、何の罰ゲームだよ。むしろご褒美かも……。妙に意識しちゃうから下半身もつい反応しそうだわ……。
仕方ないので俺はパンツ一枚になるまで脱ぎ、さらに股間部分に服を押し当てて脱衣所を目指す。
仕事終わりの一杯が格別なように、冷えた身体に温かいシャワーを浴びせるのはかなり気持ちがいい。気分も盛り上がるというものだ。おっ風呂、おっ風呂♪
俺は最後の砦・パンツを脱ぎ捨て、いざ! 一番風呂へ!
「お風呂♪ お風呂♪ アツアツ入れるナーオトさーんも驚いた♪」
耳に残る着物CMメロディーを口ずさみつつ、勢いよく扉を開け放つ。
――――始めに目に入ったのは、金髪を濡らした美少女の顔。
水気のせいで輝きを増した風に見える金髪に、翡翠色の瞳。精巧な人形を思わせる容姿だが、ほんのりと赤みがかった身体は生命の有無を教えてくれる。
――次に見えたのが肩。強く抱きしめれば壊れてしまいそうなほど華奢な体躯。つ、と首筋から水滴が一つ、くっきり美しい鎖骨に伝い落ちた。
その次が露出した胸。謎の光が差しているわけでもなく生まれたままだった。
さらに視線が下っていっておヘソへ。そして――――
時間が止まったように感じていながらも、俺は食い入るように少女の肢体を眺めていた。鑑賞に足る美が備わっていたため、つい見惚れてしまったのだろう。――――ルームシェアの住人、ノエル=ラ=ヴォーデモンに。
しかしそれも目の前の少女と視線が合ったことで、金縛りから解けたように意識を取り戻した。当然今置かれた状況についても瞬時に理解した。
「……」
「……」
唐突な襲来に、珍しくノエルが茫然とした表情を浮かべている。
停滞した空気を打破しようと、ノエルの口が動き――――
「きゃあああああああああああああああああっ!?」
――出すよりも一瞬早く、俺は悲鳴を上げた。
今! 俺の前に! 素っ裸の女の子がいる!! 本来叫ぶのは逆かもしれんが、実際びっくりすれば悲鳴の一つ上げたくもなる。
バタン! と扉を思い切り閉める。壊れるかも、なんて懸念は浮かばなかった。俺は動揺と羞恥で息を荒げ、扉に背を着ける。やべえ心臓バクバク言ってる。
パニック状態の俺に反してノエルは実に落ち着いた声音で扉越しに告げる。
「いきなり飛び込んできたと思えば、今度は反対に閉めるとは。いったい何がしたいのだ?」
「すみませんすみません! ほんっともうすみません!!」
ひたすら謝ることしかできない俺。そんな俺に向けて、廊下からひょこっと顔だけを覗かせた大名寺が言った。
「そうそう、今ノエルちゃんが入っていますから気を付けてくださいネ☆」
「言うのが遅いんだよぉおおおおおおおおおおっ!!」
つーか絶対確信犯だろ! わざとラッキースケベさせたに違いない!
遅れて登場した大名寺をつま先でシッシッと追い払う。すると今度はノエルが引き戸を開けたため、体重を預けていた俺は後ろに引っ張られるようにして体勢を崩す。
――ふにょん。床に倒れ込む代わりに、柔らかな何かに受け止められた。背後に誰がいたかを考えれば、受け止めた正体が何か考えるまでもない。
「うあ、うわぁあああああああああああああああああっっ!?」
本日悲鳴二回目。俺は前方へ転がりながら慌てて距離を取った。
あの「ふにょん」は間違いなくノエルのおっぱいだよな!? いや胸だけで受け止められたんじゃないだろうけど、何かもう、柔らかかった。
女子の身体の柔らかさに感動と興奮を覚える。それを堪能した俺をノエルは咎めることなく、ただ呆れた吐息を漏らした。
「今日はいつになく騒々しいな。どうしたと言うのだ? たかだか我の肢体を見たからと言って、かように驚愕することがあるか?」
「あるんですー! 日本人にはちょっとした肌を見るだけでドキッとする性癖があるんですーっ! スカートとニーソの間のふとももの部分とか! とか!!」
そんなさり気ないことで胸キュンする男子が、全裸を見せつけてられてなお意識を保っているだけで奇跡と言えよう。大げさじゃなくマジで。
そもそも以前から思っていたが、ノエルには裸族の傾向がある。最初の頃なんか風呂上りはしょっちゅう裸でうろついていたし、今だってバスタオル一枚でいることが多い。
「ていうか! そういうの神様は教えてくれなかったんです!? 無闇やたらに肌を見せてはいけないとか、転生前に!」
「うーむ……。覚えとらんなあ」
「情操教育ちゃんと施しとけよ……!」
神様ですらちゃんとできないんじゃあ、その作り物の人間にできるはずないだろ。だからいつまで経っても未成年犯罪がなくならないんだよ!
罰当たりなことを思っている間にも、未だにノエルは素っ裸のままだ。無論俺も。しかもノエルはバスタオルで悠長に身体を拭いている。
「す、すんませんっしたーっ!」
まるで犯罪者になったような気分で、俺はドタバタしながら脱衣所を出て行った。