08.同世代の剣道部員
昼休み。
オリヴィアに教科書を貸しながらも、俺は余計なことは一切喋らなかった。あいつには俺以外の人間と友達になった方がいい。俺と仲が良いことがばれたら、浮いてしまうかもしれない。
「あのっ、剣聖様……」
「……………悪いけど、学食行くから」
冷たくあしらった後に、オリヴィアの周りに女子が集まる。
休み時間からオリヴィアに話しかける好機を窺っていたが、あまりの綺麗さに怖気づいていた。
だが、俺に話しかけたのを見てあっ、この人喋れる美人だ! と気がついて話かけたってところだろう。それに、俺を罵るっていうかっこうの話題も手に入れたところだしさざかし盛り上がれるだろう。
他人と親密になる近道は後ろ暗い秘密を共有することと言われている。
つまり、他人の悪口を言えばいうほど共犯者として仲良くなれるってことだ。
「大丈夫? オリヴィアさん。ひっどいよねー。黒木くんって。もう会怒らず最悪だよ、あの人。オリヴィアさんって転校生だから知らないかもしれないけど、あの人って怖い人なんだよ。だからあんまり話しかけない方がいいよ」
「えっ、でも」
「そうそう。いつも無愛想なんだから。大変だよね。あんな人と席が隣だなんて。先生ももっと考えればいいのに。あの不良なんかの近くにいたらオリヴィアさん可愛そうだって!」
「…………それは」
オリヴィアは当惑しているようだ。
この国では悪口は挨拶のようなもので、適当に同意しておけばすぐに仲良くなることを知らないらしい。
まっ。俺とは極力関わり合いにならないことを事前に言い含めているから、そもそも話しかけてくるなって感じなんだけどな。様づけで呼ぶし、もっと大きな声で言っていたらお前までこのクラスで浮いてしまう。本当、言葉は話せてもここの流儀が分かっていなさすぎる。
「ねえ、オリヴィアさん。ご飯どうするの? 何か持ってきているの?」
「えっ、と私は何も」
「えっ、じゃあ。購買のパンにする? それとも学食?」
「いえ、私は別にどっちでも」
「えっ、ダイエット? よくないよ! 少しぐらいは食べないと」
「そ、そうですね」
「それじゃあさ! 私達と食べない! 色々この学校のことも教えてあげるからさ!」
教室を出ると、自然とため息がこぼれる。
「…………はあ」
ああ、良かった良かった。
これで、オリヴィアは女子達と仲良くなれたみたいだ。これであいつはバラ色の学校生活が送れる。だから、これで良かった、良かったはずなのに、どうしてかな? 素直に喜べないのは……。心が狭いな、俺は。
「あれ? もしかして、黒木――さん――か?」
しまった。
考え事をしていたせいで、階段を通り越して五組の教室まで歩いていた。こんなところに用事なんてないのに。ずっと避けていたのに。もしも廊下であいつらにすれ違ってもすぐに姿を隠すか、全力で踵を返していた。逃げていた。それなのに、出会ってしまった。
「……福永」
しかも、よりにもよって剣道部でも一番会いたくない福永だった。
後輩らしき奴と一緒にいる。
「誰ですか? 先輩、知り合いですか?」
「馬鹿っ! こいつは、黒木剣聖だよ! 昔剣道部にいた!」
「えっ! じゃあ、この人が『逸話の剣聖』とか『神童』とか言われていた人ですか? うわっ、すげっ! 握手! 握手してください! どうして黒木先輩って剣道部に来ないんですか? 黒木先輩に憧れてこの学校の剣道部に入部した人だっているのに!」
「俺に憧れて?」
考えもしなかった。
俺のせいで誰かの人生を台無しにすることがあるなんて。
俺が途中で逃げ出したせいで、そいつはきっとがっかりしただろうな。俺なんかに憧れたせいで、高校生活どころかその先の未来にも悪影響を及ぼした俺は最悪だ。
「そうですよ! 俺も先輩の噂は聴いていたから楽しみにしていたのに、どうして部活辞めちゃったんですか?」
「いてっ! なにするんですか! 福永先輩!」
「お前はちょっと黙ってろ!」
福永は後輩の頭を手で押さえつけて、無理やり下げさせる。
「すいません! く、黒木さん! ゆ、赦してください! こいつ、新人なんで何も知らないんです! 黒木が、黒木さんがどれだけ強いのか、怖くて容赦がないのかも知らないんです! 勘弁してやってください!」
最早土下座でもするような勢いで、中腰になって謝ってくる。そんなことをすれば当然、周りが騒がしくなる。
福永は俺と同じ学年の二年生。それにもかかわらずこうやって周囲にアピールするように大声で謝罪するあたりさすがとしかいいようがない。どうあっても俺の罪を赦してくれないらしい。
俺は間違っていた。
正しいことをしたつもりで、俺は剣道部に所属していた時に福永に酷いことをしてしまった。
きっとその報復なのだ。
「あれ、何?」
「うわっ、いじめじゃね? あれって、ほら、例の事件の人でしょ」
「うわっ、怖っ。なんであんな不良がこんな進学校にいるんだよ……」
ああ、嫌だ。
あの時のようにわらわらと人が集まってきた。もう勘弁してほしい。あと俺はどれだけ謝れば赦してもらえるんだろう。いや、きっと俺はこの学校にいる限り赦してもらうことなんてないだろう。
「いや、ほんと、いいよ、というか、ごめんな!」
それだけ言うと、俺は逃げ出した。後ろで福永が何かを言っていた気がするが、全部無視する。俺はいつだって逃げることしかできなかった。