06.生活基盤
翌日になると、オリヴィアの風邪は嘘みたいに治っていた。元気になったその身体で、まず向かった先は市役所。この世界で生きていく上では、戸籍は絶対に必要だ。その他もろもろの手続きを、オリヴィアは半日もかけずに終えてしまった。
この前日本語を翻訳した指輪とは違う種類の指輪を用いて、職員の常識を改変した。オリヴィアの注文する無理難題を、当然だと思うようにしたらしい。
お互いに座った状態で、なおかつ、オリヴィアの主であるらしい俺や、少しでもスキルの心得があるものには効かない――という前提条件があるらしいが、恐ろしい効果だ。
その後も必要と重い銀行開設し、スマホを購入した。金がかかりすぎるということでオリヴィアは断ったのだが、昨日の件もあり強く俺が勧めた。俺が学校へ行く時など、オリヴィアをこれからも留守番させることが多いはず。緊急時に連絡をとれるスマホは絶対に必要だからだ。
その他の生活用品などはオリヴィアがスキルで自前で用意できるからいいとして、このとんとん拍子に事が進んでいくのに、俺は恐怖しかない。
「なあ、これって結構やばいんじゃないんですかね?」
「なにがですか?」
「いや、いいや、あんまり気にしないことにしよう」
罪滅ぼしの気持ちもあってオリヴィアのやることに口出しはしなかったが、もう後戻りはできない。ここまでやってしまったら、オリヴィアと共にいつづけるしかなくなった。本当にあんなことしてしまってよかったのだろうか……。大事にならなきゃいいけど。
「あれ、なんですか?」
「食べてみるか?」
「いえ、いいです!」
「まあまあ、食べてみようか」
市役所近くの公園を連れ立って歩いていたら、そこにはクレープ屋さん。
お値段はクレープにしては高いが、オリヴィアに食べさせたくなったので店員さんオススメのチョコバナナクレープを注文する。
「お、おいしいですっ! 甘くて、とろけそうです」
「あっ、そう?」
「そうですよ! こんなおいしいもの初めてです!」
「ふーん。ただのクレープがねえ。だったら、何度でも作ればいいんじゃないのか? オリヴィアのスキルって、本当に何でも作れるって昨日言っていたよな?」
「一度食したものじゃないと再現できないんですよ。しかも完全再現っていうわけにもいかないんですよね。どうしても記憶の齟齬で劣化したものができあがるんです。私が完全再現できるのは、武器ぐらいなものですね」
「そうか……。本当に戦闘特化のスキルなんだな……」
可愛そうと思ってしまう俺は、何様なんだろう。
俺に同情されることははた迷惑にしか思えないだろう。
現に。オリヴィアは幸せそうなのだ。
おいしーです、と独り言を呟くオリヴィアを見やって、俺まで幸せな気分になってしまう。愛音と一緒に行ったホテルの食事よりも美味しく感じる。こんな風に気楽に、誰かと並んで、そして、食事をするなんていつぶりだろう。
このまま時間が止まってくれればいい――そんな風に浸っていたら、オリヴィアが男の人にぶつかられた。
「おい、てめー、なにしてくれてんだよ!」
「す、すいません」
ぶつかってきたガラの悪い男のシャツには、ベットリとクレープのクリームがついている。
ぶつかってきた男には仲間がいて、四人組。
どいつもこいつも喧嘩する気満々で、取り囲むような動きをする。
年齢は同じぐらいで不良もどきと言った感じ。公園の他の人達は不穏な空気を悟って、目を逸らし始める。
俺もできることなら、こいつらの相手なんかしたくない。
「――ったくよお、俺の一張羅が台無しじゃねえーか! どう責任とってくれんだよお! おおっ!」
「申し訳ありません、クリーニング代は支払いますので……」
オリヴィアが固まっているので代わりに謝罪する。
「申し訳ありませんじゃねぇだろ! おっ! てめえよ、謝って済む問題でも金で済む問題でもねえんだよ!」
「すいません」
「すいませんじゃねえよ! バーカ! それしかねぇのかよ! おっ!」
オットセイみたいに『おっ!』を連発する男に肩を強めに叩かれる。
ここが道場だったら面打ちして頭をスイカみたいにかち割りたいところだが、こういう時は反撃してはいけない。手を出したら俺も同罪になってしまう。どうせ周りの人は報復を恐れてちゃんと警察に証言なんてしてくれないだろう。ここはグッと我慢だ。
屈辱感を味わいながら、ブチ切れた顔を見せないよう下げた頭はそのままだ。
今は俺一人じゃない。
オリヴィアもいるのだ。
相手の顔を立てるようにしていれば、相手も満足するはずだ。
「おっ、そうだ、金はもちろんもらう。クリーニング代に俺らのせっかくの休日を潰された慰謝料もたんまりとな。それと、そこの女の子、どう? そこのすぐ頭下げるようなだせぇ奴なんてほっといてさ、俺達と一緒にカラオケとか行こうよ」
「カラオケ、ですか?」
「おっ。興味ある? そうそう。カラオケ。個室だし邪魔も入らないから、楽しいよ? 俺達の友達がバイトしているカラオケだったら色々サービスもしてもらえるからよ!」
下卑た笑いを男達がして、
「カラオケよりも棺桶用意してやるから、あの世へ行ってくれませんか? カス共」
ピタリ、と止む。
ん? 俺の心の声が漏れてしまったのかと思ったけど、そうではない。
オリヴィアが、俺なんかよりもよっぽどキレていた。
おお、怖い。
顔が整っている奴が激怒すると、こんなに怖く見えるのか。
今にもこいつらに斬りかかりそうなぐらいに目がつり上がっている。
「視界からさっさと消えてくれません? ぶつかったのはわざとですよね? チラチラこちらを気にしながら、せーのでぶつかってきたぐらい私でも分かりましたよ?」
「ふっ――ざけんじゃねえ! こっちが穏便に済ませてやろうとしてんのに、なんだその態度は! 証拠でもあんのか!」
「……しょ、証拠?」
ああ、これはもうだめだ。
俺が謝罪しただけじゃ収拾がつかない。
こうなったら論破するしかないな。
「証拠ね。証拠ならあるけど。そこのオットセイ男のバックの隙間からシャツがでているだろ。シミつきの。それってクレープのクリームのシミだよな。チョコもついているし。常習犯なんじゃないか? 今日何回も人にわざとぶつかって小遣い稼ぎしているんじゃないのか?」
「う、うるせー!」
図星を突かれたオットセイが、俺の頬をぶん殴る。
避けようと思えば避けられたが、俺は避けなかった。
「こ、こいつ――」
オリヴィアが不良達に襲い掛かろうとするが、腕を上げて止める。
「どうして?」
大丈夫。
暴力を振るった時点でこいつらの負けだ。
お、おい! 殴るのは――と仲間である他の男が止める。よし、これで冷静になったはずだ。あいつらも警察沙汰になって困るのは確か。服を捨てるのがもったいなかったのか、証拠だって間抜けにも残している。どっちが今不利なのか。引き際はいつなのか。そんなこと馬鹿じゃない限り分かりきっているはずだ。
「調子乗ってんじゃねぇぞ! 彼女の前だからって恰好つけてんのか? おっ! ほんとうはびびってんだろうが!」
「すいませんでした」
「はあ?」
「すいませんでした、調子に乗ってごめんなさい、もうやりません、ごめんなさい、すいません」
ガンつけながら、額と額を合わせるぐらいに近づく。
手は後ろに回す。
また殴る度胸があるならやってみろ。
「う、うぜえんだよ!」
鬱陶しそうに俺のことをオットセイが振り払うと、
「けっ、根性なしが!」
ぺっ、と俺の足元に唾を吐く。
「行くぞ! クソみたいな連中の相手なんてもう、してらんねーぜ!」
それから不良たちは捨て台詞を言うと、どこかへ行ってくれる。これで万事関係するは――はずだったのに、オットセイが何もないところで躓く。
「ぐへぇ!」
「おい! 何して――うおっ!」
「げっ!」
どいつもこいつも面白いように転がる。
「な、なんだ? 草が靴ひもに引っかかって? とれない? お、おかしいだろ? これえ? ありえないだろ!」
ありえないのも当たり前だ。
オリヴィアが密かにスキルを使って、草を創造したのだ。不良たちの靴ひもを絡みとるような、小学生がやるような罠を。
クスクス。ださいよねー、なにあれ? と、不良たちを怖がっていた周りにいる人たちが失笑し始める。
「見てんじゃねぇ! てめーら、ぶっ殺すぞ!」
「逃げるぞ」
「えっ、はい!」
オリヴィアの腕をつかんで逃げる。
ふざけんな、逃げんな! とか情けない言葉も聴こえてくるが、そんなものは無視。逃げます! あそこにい続けたらさらに巻き込まれる。
「はあはあ」
後ろから追いかけてくる奴はいない。
どうやら逃げ切れたようだ。
「オリヴィア、いいか。今後一切スキルは人前で使うなよ」
「で、ですが、あいつらは剣聖様を馬鹿にしたんですよ!」
「それでも、だ。必要な時しか使っちゃだめだ。もしも秘密がバレたら、精神科の病院か、警察か、研究機関とかにお前が送り込まれることになる。だから、誰にも秘密だ」
「わ、分かりました……」
シュン、となったオリヴィアを見やって、俺はフッと微苦笑する。
「でも、ありがとな。スッキリしたよ」
「剣聖様……」
オリヴィアは俺のためにスキルを使ってくれたのだ。嬉しくない訳がない。
「借りができてばっかりだな。何か俺に返せるかな。返せるものがあれば、なんでもするよ、俺」
「なんでも、ですか?」
「ああ。なんでも!」
今までのことを考えれば、どんなことだってやってやる。
この意志はダイヤモンドよりも硬い!
「それじゃあ、私、剣聖様の通っている高校へ行きたいです」
ああ。
なんだ、そんなことか。
「ごめん、それ無理」
ダイヤモンドは脆くも砕け散った。