02.幸せな重い想い
逸話ゴールデングランドホテル。
駅近くにそびえ立つ摩天楼。
俺達はここの最上階で、夕食を喰うためだけにこのホテルへとやってきた。ホテルには泊まる以外に用途があることを初めて知った。バイキング方式ではあるのだが、値段は普通のバイキングよりも一桁違う。
注文すればシェフが目の前で、すぐに高級肉を焼いてくれる。出来立てを喰えるおかげか、ほっぺたが落ちるほどにうまい。だが、俺はあまり味わえなかった。
「なあ、本当にここで良かったのか?」
「いいじゃないですか! もちろん私がここは支払いますから安心してください」
「あのなあ。さっきの観覧車の時もお前が払っただろ? 少しは俺にも払わせろって」
別に遊園地に行ったのではない。逸話駅には観覧車が設置してあってそれに乗ってきたのだ。ビル群が一望できて綺麗だったが、愛音がどうしても俺にお金を払わせてくれなかった。
「賢兄様のお財布事情は分かっていますから、気にしないでください。私にとって賢兄様と一緒にいるこの時間こそが値千金ですから」
「……せめて、割り勘な。ほら、そっちの方がもっと愛音と遊べるだろ?」
「デートです、デート。でも、愛音は嬉しいです。えへへっ」
うーん、照れている愛音は世界一可愛い――なんてこんなことを思う俺も相当シスコンかもしれない。距離の詰め方に恐怖すら覚えることもあるが、こんなに慕ってくれる奴をむげにはできない。
「……だから今度は牛丼屋とかラーメン屋とかにしような。いや、ほんと、まじで、お願いします」
このホテルの料理うまいんだけど、俺にも奢れるようなところがいいな。さすがにこの店だと俺が奢るよ! といえるほど俺の財布は重くない。
「――分かりました。できればデートはドラマチックな方がいいんですが、珍しく賢兄様が次のデートを快諾してくださったので妥協してあげます」
快諾はしていないけどな……。
「――ああ、良かった……。さっきのことはすっかり忘れてくれたみたいだな」
「聴こえていますよ」
「いっ――」
超小声の独り言だったのにしっかり拾われていく。
「忘れていませんよ、賢兄様の挙動がおかしかったことは。……私が引いたのはちゃんと理由がありますよ」
「えっ? なに、どういうこと?」
「だって、玄関に賢兄様以外の靴がなかったんですもん。あの一瞬で賢兄様が他の方の靴を隠せるような時間なんてなかったですし、蹴飛ばすような音も聴こえなかった。だから賢兄様はシロです。もっとも、賢兄様が浮気なんてするはずがないことは私が知っていますけどね」
「あ、あははは」
なるほど。
全裸にメリットなんてないと思ったが、靴を履いてなかったことで愛音の追及を逃れることができたのか。全裸でよかったな、うん。眼福だったし。
「賢兄様、そのだらしない顔……なにかいやらしいことを考えていませんか?」
「は? い、いや、そんなことないし!?」
「随分、動揺されていますね」
す、鋭い。愛音の前で隠し事するのは至難の業だ。さっさと家に戻って、あの異世界剣士のことをどうにかしないとまずいな……。
「――賢兄様、家にお戻りにならないのですか?」
「戻らないよ」
即答だった。
今の自宅ではなく、実家に戻れという意味なのはすぐに分かった。俺が露骨に嫌な顔をするので、この話題は最近しなかったのだが我慢できなかったようだ。
「一人暮らしするための金は全部自分でやっているんだ。文句は言わせない」
「家賃光熱費は確かにそうですけど、学費までは払えていないんじゃないですか?」
「――っ! そ、それは、そうだけど、もっとバイトのシフト増やして払えるようにするから!」
「……そんなに、私達と一緒が嫌なんですか?」
「嫌じゃないよ。真さんや、響さんもいい人だよ」
「だったら――」
「ごめん。それでも、俺は幸せになりたくないし、幸せにはなれないんだ」
「賢兄様……」
両親がいなくなってから、親戚でもない黒木の家に世話になった。昔からの知り合いだという家庭に俺は呼ばれ、何の苦労もなく俺を迎えてくれた。
でも、怖い。
幸せすぎて、また失うのが怖かった。
みんないい人過ぎて、俺には耐えられなかった。
俺には幸せが重すぎて、誰かと一緒にいるのは不幸でしかない。
だから逃げたのだ。
こんな気持ち、誰とも共有できないし、共感もされないだろう。
それ故に、俺はきっとこのままずっと一人ぼっちでいつづける。
でも、それで、いい。それでいいんだ。
だって独りは不幸で――だからこそ――俺は幸せから逃げ続ける限り、不幸にも幸せなんだから。