18.そして誰もいなくなった
試合なんて真っ当な勝負、部長が受けるわけがなかった。手合せして数分で自分が劣勢なのを感じ取ると、部長はすぐに他の上級生に助けを呼んだ。
「てめえら! 何やってんだ! さっさと囲んでこのムカついた餓鬼をブッ倒せ!」
袋叩きに合うのが必然だったが、俺は壁を背にしながら二年生、三年生全員を相手にした。そしてその全員を俺は打ちのめした。あっちは剣道なんてスタイルを捨て、竹刀を投げたり、蹴りを使ったりしてきたが、俺はただ忠実に剣道をこなした。
「な、なんだよ、お前はあ! 気持ち悪いんだよお! くそっ、誰のせいだ、こんなことになったのはあ!」
血走った眼で部長は辺りを見渡す。
ヒヒッと狂ったような笑い声を歯の間から漏らすと、まだ倒れ伏していた福永に視線を固定する。
「そうだ、元はといえばお前のせいだ、お前が俺を睨んだからあああああああああああ!」
福永は防具をつけていない。
最早正常な判断を下せない部長は、面をつけていない脳天めがけて竹刀を振り下ろす。
「全部、お前のせいだろ!」
振り下ろされた竹刀が福永に当たる直前で、横から払うことに成功した。
「ひっ」
「お前、いい加減にしろよ」
俺は部長に痛烈な連打を叩き込む。面とか小手とか関係ない。とにかく隙だらけな肉体に竹刀で攻撃していく。もう少しで福永は大怪我を負うところだった。そう思うと、手が止まらなかった。
「うぎぃ! すまない。もう俺達は部活を止めるから頼む、もうやめてくれ!」
「俺達は、福永は、何度も止めてくれって頼んだよなあ! でも、お前はどうした? 止めてくれたか?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「おらっ、おらっ!」
ぼろ雑巾のようになった部長は、小動物のように身体を丸めながらプルプルと震えていた。まだまだ俺達が受けた傷には遠く及ばないが、少しは気が晴れた。
「よし。これでもいいだろ。大丈夫か、福永?」
かわいそうに。福永はまだ恐怖におびえているようだった。大丈夫。もうそんな瞳をする必要はない。もう、脅威は去ったのだ。全身に傷みが走っている。腫れて赤い。骨がギシギシ軋む。だが、これは名誉の勲章だ。もう怯えることはない。俺達は圧政にうち勝ったんだ。自由を取り戻したんだ。人権なき生活から解放されたのだ。これで二年生、三年生は少なくとも俺の前ではでかい顔なんてできない。いや、俺がさせない。みんなのことは俺が守ったし、そして、これからも俺が守ってみせる。だから、これで良かったのだ。
「触るな!」
気遣って伸ばしたその手を、助けたはずの相手に振り払われた。
「……お前、何をしでかしたか分かってんのか! わかってんのかよ!」
「え? 福永、どうしたんだよ」
「お前が先輩たちを倒したせいで、報復されるって思われなかったのかよ! 狙われるのは、俺達なんだ! お前はいいよな! 強くて! 俺達は弱いんだよ! 絶対俺達先輩に今まで以上にきつくしごかれるぞ! 責任とれんのかよ!」
ああ、そうか。そうだった。
俺が先輩たちに襲われている時、誰も助太刀に来なかった。一年生はみんなじっと眺めているだけだった。華麗に無傷で俺は勝ったのではない。死角から何度も竹刀を打ちつけられたし、背中にもみみず腫れができているだろう。
それなのに、みんな知らん顔だった。
まるで部外者。
勝手にやってくれといわんばかりだった。
先輩たちがやられていく様を見て、ハハッと痛快そうに笑っていた奴もいたけど、今は気まずそうに眼を付している。なかったことにしようとしている。
反逆することが何を意味するのか俺にだって分かっていた。どうせ教師は二年生、三年生達を信じる。みんなが口を合わせれば、俺を悪人に仕立て上げるなど容易なことだ。どうせ一年生は恐怖に支配されてまともな証言なんてできない。
だけど、それでも。
暴力行為が起こったことは分かるはずだ。包帯を巻く剣道部員の多さや、雰囲気で、普通聖職者ならば察することができるはず。だが、そんないじめの問題を学校側が認めるはずがない。大事になるまで世間に公表するはずもない。暴露されたとしても、謝罪会見を開いてちょっと頭を下げて終わりだ。独りを切り捨てることで、学校の評判が保てるならばきっと、教師陣は喜んでするだろう。
きっと、俺はもう公式の試合に出ることはできない。
部活を止めさせるか、もっと悪ければ停学、退学処分になってしまう。
俺に全ての罪を背負わせようとするだろう。
だから、みんな手出しできなかったのだ。手出しすれば俺と同罪になってしまうから。
でも、それでも。
傷だらけになってでも俺が戦ったのは、みんなのためだった。親友の福永の涙を止めるためだったのだ。
「だってお前が俺に助けを求めて――」
「そんなこといつ言ったんだよ! ええっ!? ふざけんなよ! お、俺のせいにするんじゃねぇよ! 全部お前が勝手にやったことだからな! 俺はしらねえからな! おい、みんな行こうぜ!」
必死だった。
自分だって助けて欲しいと懇願したはずなのに、それが周りにばれないように焦っている福永を見て、俺は絶望した。俺は、こんな奴と親友だったのか? こんな奴のために進路を変えてまでここに入学してきたのかと。
「お、おい、何言ってんだよ、福永……」
俺の言葉を虚しく体育館に響いただけだった。
「なに、あいつ。超怖いんだけど……。俺達何もしてないよな? あいつのせいでむちゃくちゃだぜ」
「強すぎだろ。そんなに自分の強さをひけらかしたかったのかな。引くわあ。一年が二、三年に逆らってどうなるかわからねえのかよ」
「関わりあいたくねえ。とりあえず、先生呼んでくるか?」
みんな、俺を置いてどこかへ行ってしまった。
みんなのためにやったのに、俺は誰からも感謝されなかった。それどころか疎まれた。そして、その日。俺が自分の居場所を探し求めるように家に帰ると、そこには誰もいなかった。
先輩たちに没収されていたスマホをつけると着信がたくさん入っていて、それに出ると知らされたのは、両親と妹が死んだこと。交通事故で即死だったらしい。その日、俺は全てを失った。




