14.最強の刺客
最近楽しい。
朝起きれば剣聖様がいる。内緒にしているが、じっと寝顔を見続けるのが好きだ。いつまでも見続けられる。飽きない。剣聖様が目を覚ますまでずっと眺めている。起きたら一緒にご飯を食べて学校へ行って、戦いのない日々。自分が血みどろの世界で生きてきた殺戮者だったとは思えないほどに、今、私は幸せなのだ。
放課後。
学校に通ってまだ数日。
慣れないことも多いが、周囲の人間は優しい。まだ剣聖様が強引に私につきまとっていると勘違いされていて心配されているみたいだが、きっといつか誤解は解けるはずだ。
なぜなら、教室での剣聖様は眉間に皺を寄せて誰も近づくなオーラを放っていたが、今日は違っていた。周りから、特に女子から話しかけられるようになった。恋愛トークはこの世界の女子でも好きなのだ。私達の関係について根掘り葉掘り訊かれていた。
複数の女子からちょっかいをかけられてまんざらでもなかったので、私が助け船を出した。決して嫉妬したから割って入ったわけではない。剣聖様が困っていたから心配したからだ。そう、嫉妬なんてしてはいけない。そんな感情、剣聖様に知られてはいけない。迷惑をかけるだけだ。
剣聖様が少なからず周りの人と話せるようになって嬉しくもあり、寂しくもあった。
剣聖様を独り占めできなくなってしまったのだから。
なんて。
そんな風に独占欲を剥き出しにしてしまう私は、いやしいだろうか。いやらしいだろうか。どちらにしろ、私が口に出すことは一生ないだろう。
「あれ?」
シーン、という擬音が聴こえそうなほどに、静寂に包まれている。さっきまでグラウンドには吹奏楽とか陸上部とかの部活動の音がしていた。それなのに、今はまるでこの場に私しかいないような気がしてくる。
周りを見渡しても人っ子一人いない。この現象、このスキル、私は知っている。
「まさか、これって……『色欲』の……」
ザッ、と土を蹴った音がした。振り返るよりも前に、
「隙だらけだな」
横一閃。
私のスキル『想像創造』で咄嗟に剣を生成して剣の一閃を受け止める――が、勢いを殺し切れない。
「うあああああああああああ!」
まるでピンボールみたいに私の身体は吹き飛ばされる。
受け身も取れずに、私は校舎の壁に亀裂を入れながらもようやく止めることができた。
「そんな……」
痛みに苦しみながら半眼を抉じ開けると、そこにいたのはよりにもよって『最強』だった。
「そんな、だと? まるで想定もしていなかったような口ぶりだな。やはり、お前は戦士としての才能なんて欠片も持ち合わせていないな、オリヴィア」
追手が来るのは覚悟していた。
だが、こっちだって『七罪剣』。
ある程度の追手ならば返り討ちできる自信があった。
しかし、よりにもよって追手が同じ『七罪剣』で、同時に二人も? しかもその片方は『七罪剣』の中でも『最強』の名を冠する騎士がこんな辺境の異世界まで来るなんて……。
ありえない。
普通追手というのはもっと下っ端の弱い奴が来るはずだ。裏仕事は表舞台でスポットライトを浴びるような人間がやるようなことではない。だめだ。私の見通しが甘かった。勝てるわけがない。実力差がありすぎて逃げることさえもできない。
「……どうして」
銀髪を靡かせながらたたずむ姿はまさに強者。竹刀袋を投げ捨てると、自然体の構えになる。持っている剣はもちろん真剣。彼女の構え方は特徴がない故に、攻めづらい。どんな斬り方でくるかも予想しづらい。
「どうして、だと? 分かるだろ? 敵前逃亡は重罪。万死に値する。それが我ら『七罪剣』の鉄の掟だ。貴様も騎士の端くれなら潔く死ね」
「くっ――」
唐突に始まってしまった。
戦いではない。これは、一方的な嬲り殺しだ。
まるで流水のような剣筋に、私は防戦一方だった。縦横斜め。縦横無尽の剣戟に、私は合わせるだけ。自分から攻勢に出られるほど、私の剣は早くない。ガキィン、ガキィン、という金属音を響かせながら、どんどん私は下がっていく。後ろは壁で逃げ場がない。後ろ足がとうとう壁についたことを利用して、ロケットスタートするみたいに勢いをつけた刺突技を繰り出す。
が、それを読んでいた最強の騎士の剣の柄が、カウンターで腹に深く突き刺さる。
「――かっ」
私が怯んだ隙に鞘で横っ面を殴打してくる。
「あああああああああっ!」
地面をバウンドしながら、私は無様に転がった。
ダメージが甚大ですぐには立てなかった。だが、追い打ちはかけてこない。最強の騎士は私が立ち上がるのを睥睨しながら剣を構えてただ待ちかまえていた。
ここが戦場ならば、トドメを刺されて間違いなく私は殺されていた。
そうしないのは、ひとえに彼女が戦いを楽しむ性格だからだ。戦いが好きで、強者を愛しているのだ。だから私のような弱者との戦いはわざと力を抜いて少しでも戦いを長引かせようとする。……もっとも、彼女が本気になれるような相手がそうそういるとは思えないが。
「まさか、こんな私相手に『七罪剣』が一度に二人も?」
「安心しろ。貴様の相手はこの私一人だ。複数で弱い者いじめするなど私の性に合わん。『色欲』の奴はあくまで人避けのために駆り出したに過ぎん」
「そう、ですか……」
宮廷騎士『七罪剣』の筆頭。
『暴食』のインフィア。
身体能力がずば抜けていて、普通に戦ってもまず勝てない。だが、恐ろしいのはインフィアのスキルだった。彼女はまだ一度たりともスキルを使っていない。
「うっ」
「いいぞ。立ち上がってこい。そうじゃなきゃ面白くないからな」
剣を杖代わりに立ち上がる。
「……うあああああ!」
私は突進しながら、スキルで新たな剣を生成する。いつもの剣よりも長めのものであれば、一太刀ぐらいは身体に届くかもしれない。不意打ちになる。そう思って剣の長さを伸ばしたのに、あっさりと横にいなされる。慌てて引き戻そうとするが、間に合わない。インフィアの鞘が顎をかちあげる。
「がっ!」
「……使い慣れていない剣で向かってきても逆効果だ。それに、突っ込んでくるならもっと長いものか、もっと短いものの方がいい。お前はいつも中途半端だな」
身体を斜めに袈裟切りにされる。強制的に頭を上向きにされていたせいで、見えなかった。防ぐことすらできなかった。長い剣は遠くに飛ばされ墓標のように地面に突き刺さっていた。
「くっ!」
新しい剣を生み出して何とか一太刀だけでも浴びせようとするが、焦り過ぎて大振り。それを見逃すはずもなく、返す刀で私の身体には大きな亀裂が入る。
「うあっ」
膝から崩れ落ちる。
だめ、だ。傷が深い。血がドクドクと冗談みたいに流れる。私はここで死んでしまう。
「やはりなまくらになっていたか。戦争どころかモンスター討伐すら逃げ出す貴様が『七罪剣』の名を語ること自体が間違っているのだ」
瞳に涙が溜まる。
痛みのあまり流した涙じゃない。
何もできない自分を恥じたからだ。
「そんなの分かっています……。だけど、私は戦うのが嫌だったからだけじゃない。居場所がないことが嫌で逃げたんです。『七罪剣』には居場所がなくて、私はずっと独りだった。だから私は異世界であるここまで逃げてきたんです」
「居場所は自分の力で手に入れるものだ。それができないってことは、お前は力がないってことだ。弱いってことだ。強くなることを怠った。怠惰であることを甘受し、弱いままであり続けるお前なんかに自分の居場所なんてあると思うか? 弱い。それがお前の最大の罪だ」
私の瞳から涙が落ちるのと同時に、インフィアの剣が振り下ろされる。
終わりだ。何もかも。私の人生はここで終焉を迎える。何もできなかった。足音一つ残せず私は私を終える。今までの人生が走馬灯のように流れる。だけどあまりにも思い出がなさすぎてすぐに終わってしまう。密度ある思い出は元の世界より、むしろ――剣聖様と一緒にいた幸福な日常だった。ごめんなさい、剣聖様。最後にせめて、ありがとうと言いたかった。一緒にいてくれてありがとうと、ただ一言だけ言い残したかった。私はギュッと瞳を閉じて最期の瞬間を覚悟しようとしたが、
振り下ろされた剣が、横合いから投擲された剣によって軌道を変えられた。
「――なに?」
私ではない。傍観を決め込んでいる『色欲』のはずもない。つまり、第三者ということになる。インフィアの剣の軌跡を見切って的確に投擲した剣を当てる。あの、最強の騎士を一瞬でもいいからたじろかせた。そんなことができる奴なんて、ジェドレンでも私は見たことがない。
「強くなることを怠ったのが罪なら、今から俺に負けるお前は大罪人ってことになるな」
投げた剣、そして手に持っているあの剣は、私が造りだした剣。インフィアによって何度も弾かれたことによって、逆に私は助けられたらしい。
「馬鹿な。確かに人払いが済んだはずの学校敷地内で、人の気配があるからおかしいとは思っていた。一般人には『色欲』のスキルから逃れる術はない。だとしたら、貴様は……?」
インフィアは第六感で他人の気配を読む達人ではない。
そんな曖昧でたまには間違えそうな勘になどは頼っていない。インフィアはスキルで確実に気配を察知できる。インフィアの察知スキルを掻い潜ることなど不可能。
だからこそ、不意打ちが効かない。
もしも、彼が強大な力を持っていたのなら、なんらかのスキルを持っていたなら、インフィアもすぐに避けただろう。だが、それをしなかったのは、スキルを持っていなかったから。何も持たない私のパートナーが助けにきてくれたからだ。
「剣聖様……」
私は縋るように呼んだ。助けを求めるように。剣聖様は何の力も持っていない。インフィアにとっては取るに足らない相手のはずだ。同じ『七罪剣』の私ですら手も足も出なかった。そして、それは他の『七罪剣』でも同じことだった。宮廷騎士最強の相手に、スキルを持っていない人間が対峙したところで、瞬殺されるだけだ。
それなのに、頼ってしまっている。
剣聖様ならば、なんとかできる。
そう思わせる何かを、剣聖様は持っている。
「そうか。主からお前だけは傷つけるなと『色欲』が厳命されていたせいか……。なるほど、なるほど。ならば、間違いない。――お前が噂の『逸話の剣聖』か」
勝つことは絶対に不可能なインフィアと対峙している剣聖様を見て、私は純粋で怠惰ではなかった子どもの頃を思い出す。かつては私もそうであったと。努力していればいつか夢は叶う。敵わない敵にも敵うようになると信じていたことがあったことを。




