10.覆らないレッテル
食堂で食券でも買おうとしていたら、愛音が目の前に立ちふさがってきた。
学年が一つ下で同じ学校に通っているというだけじゃ説明できないほど、食堂に行くと高確率で愛音に出くわすしてしまう。毎回早く実家に帰って来いと口うるさいので、いつもは弁当持参して教室で一人黙々と食べるのだが、今日は忙しくて作る暇がなかった。
「あれ? 奇遇ですね、賢兄様。お久しぶりです」
「いや、この前会っただろ……」
そして絶対に奇遇なんかじゃない。
待ち伏せしてただろ。
「一日千秋の想いでずっといたんですっ。もっと賢兄様とデートしたいんです!」
そう言うと腕に柳のようにしなだれかかってくる。
「くっつくな! ほんとやめてくれよ。俺なんかと一緒にいたら嫌な噂がつきまとうだろ?」
「いいんです。言わせたい奴らには言わせてればいいんです。賢兄様の良さはあまりにも凄すぎて分かる人にしか分からないんですから! それよりも、何かありましたか?」
「え? ……べ、別に」
脈絡もなく質問されて挙動不審になってしまう。
愛音は察しが良すぎるので、特に今日は会いたくなかった。
気がついて欲しくないことも気がついてしまう。
「何かあるのなら話してくださいね。この前からずっと何かに悩んでいるようですから、愚妹は心配なのです」
「大丈夫、なんでもないよ」
実は異世界から来た女の子がいて、今同居しているんだけど、そいつが転校生として今同じクラスにいて悩みの種が尽きないんだ。ははは。――とか、愛音には決して相談できないな、うん。下手したら死人がでる。俺が妹に殺される。オリヴィアも多分殺される。
「あの、剣聖様」
「うわっ!」
背後からその悩みの元凶であるオリヴィアが、いきなり声をかけてきた。
「その呼び方は止めろって言っただろ。それに、ここでは話しかけるなって言ったよな!」
教室で話しかけるならまだいい。
クラスの連中とか食堂がごった返していて大勢の人間に観られている。
そんなことはどうでもいい。
最も、恐らくこの世界で最も会わせてはいけない奴に、オリヴィアを会わせてしまった気がする。
「……どなたですか? その方は?」
瞳の色が無くなってしまった愛音さんが怖すぎる。
「て、転入生だよ、転入生。転入生のオリヴィアさん。席がたまたま隣だったから、俺のところにきたのかなー? ははは」
「転入生? まさか、この方が?」
どうやら一年生にも既に噂になっているようだ。
「悪いな、愛音。なんだかオリヴィアが学校案内して欲しいみたいだから、ちょっと席外すな」
「えっ、私そんなこと――」
「お前は黙ってろ!」
お前の命を救おうとしているのが分からないのか! 頼むから余計なことは言わないでくれ!
「愛音、じゃ、じゃあな!」
「待ってください! 賢兄様!」
三十六計逃げるにしかず――というけれど、今日は逃げ過ぎだ。
愛音の気配を感じなくなる一階の渡り廊下まで逃げ込むと、俺は泣きそうになりながらオリヴィアを怒鳴る。
「はあ……。どういうつもりだよ! あいつはな! 恐ろしいんだぞ! 冬の夜に家の前で五時間、六時間も立ちぱなっしで俺の帰りを待ってたこともあるぐらいメンヘラってるんだぞ! あいつの恐ろしさを知らないから、お前はあんな軽率な発言ができるんだよ!」
「す、すいません。でも、どうしても今、剣聖様のことを放っておけなくて……。私、聴いてしまったんです。廊下で剣道部の人と話しているのを……」
「なっ」
「私、剣聖様のことを何も知らなかったんですね……。だから――」
「だから、何?」
突き放すなような言い方をしてしまってハッとなったが、いや、これでいいと思い直す。こいつは初めて会った時から馴れ馴れしすぎるのだ。ここらで一言言ってやらないとどんどん調子に乗り始める。
「何って……」
「悪いけど、オリヴィアに言えるようなことは何もないよ」
「教えてください! 賢兄様のことを」
オリヴィアが熱を込めて腕を上げると、そこには俺の手が。
そういえば、この渡り廊下まで逃げてくるまで、呆然としていたオリヴィアを連れ出すために手を握ったんだった。今更ながら感じる、柔らかいオリヴィアの手の感触一瞬ドキリとする。
オリヴィアも同じように顔を赤らめた気がするが、気恥ずかしくて直視できたのは数秒だった。俺は必要以上の力で振り払ってしまう。
「うるさいなあっ! オリヴィアとは会ったばかりの他人だろ! はっ! それともまた剣で脅すのか? 悪いがな、これ以上お前のわがままに付き合うつもりはない!」
声を荒げると、見覚えのある、恐らくクラスの女子三人組がタイミング悪く前を歩いてきていた。
「なにあれ?」
「うわっ、黒木じゃん。何、今度は転入生いじめてんの?」
「さいてー」
「ち、違いますっ! 剣聖さんが悪いんじゃないんです、私が! 私が全部悪いんです!」
「可愛そう、言わされてるんだよ」
「そうそう。黒木が悪いに決まっているよ。あんな不良どうしてまだ学校に来てんの。学校もあんな奴さっさと退学とかにしてくれればいいのにねー」
オリヴィアが俺の代理として弁解してくれるが、そんなものに効く耳は持つはずもない。
部外者はいつだって、歪んだ正義の心を持つ裁定者。
むしろ、オリヴィアが必死過ぎるせいで、逆効果だ。
「どうして……」
「分かるだろ? オリヴィア。もう、俺に必要以上に関わるな。一度道を外れたらな、二度と元には戻れないんだよ。一度貼られたレッテルは剥がすことなんてできない。それは、お前が一番分かっているだろ? 居場所なんてない。元の世界へ戻ろうとしない、お前なら」
「…………っ!」
それがきっとオリヴィアの一番傷つく言葉だと思って俺は言ってやった。
その意味は、拒絶。
懇願にも似た気持ちで俺はもう、オリヴィアと深く関わりあいたくなかった。
「……じゃあな」
早歩きになって立ち去ろうとすると、オリヴィアに腕をつかまれる。
「ま、待ってください」
「な、なんだよ!」
ここまで言っても分からないのか? 愛音でさえ分別を持って引く時は引いてくれる。こいつ、もしかして愛音以上に頑固なんじゃないのか?
「じ、実は……呼び止めた理由が他にもあるんです」
「理由って?」
下らない理由だった即座にこの腕を振り払ってやりたい。
「実は、パンツがなくなっちゃったんです」
オリヴィアは俺だけに聴こえるように囁く。
「は、はああああああ? なんだ、それ? 盗まれたのか?」
「そ、そうじゃないんです。ただ、私、下着買ってなかったから」
「買って、なかった?」
そ、そういえば、先日オリヴィアの服を買いに行ったが、下着コーナーまでは行かなかった。お金も渡していないから下着を買うことができるわけがない、か。しまった。わ、忘れていた。オリヴィアも何も言わないから最低限の生活用品は揃えていたと思ったのに!
「な、なんで言ってくれなかったんだよ? 下着がなかったのなら、そういえばいいだろ? それとも、お前らの世界じゃノーパン健康法が流行っているのか?」
「違います! ただ、やっぱり、恥ずかしかったんですよ……。お金は剣聖様に支払ってもらいますから、ついてきてもらわなきゃいけないじゃないですか? だとしたら、必然的に私の下着も見られるわけで……」
「いや、もうお前の裸まで見ているからそこまで気にならないんだけど……。お前もなんでいまさらノーパンごときで恥ずかしがっているの?」
俺は良くてもここには大勢の男子連中がいる。
というか女子にノーパンであることがバレてもアウトだ。
「えっ、というか。なに、もしかしてノーパンでここまで来たのか?」
「いいえ。ちゃんと穿いてきましたよ? ただ、パンツは私のスキルで創造したものです。大丈夫だと思ったんですが、やっぱり風邪を引いたせいか調子が悪いんですよ。ブラも透けてきちゃって……。さっきまではなんとか我慢して形を保っていたんですが、どうにもならないんです」
あー、つまり、風邪をひかせた俺のせいでもあるのか。俺が自分を責めると思って、気遣って相談しなかったっていうところか。俺との約束もあるし、学校では俺には話さないようにしていたと。
どちらに責任の所在がよりあるのかなんて、今はどうでもいい。
起こったことはもうしようもないのだから、これからどうするべきかを考える方が建設的だ。
「ど、どうするんだよ? 昼休み終わって、まだ放課後まで時間があるんだぞ? 授業はどうするんだ? 保健室へ行くか? 気分悪いとかって言って」
「そ、そうですね。それがいいかもしれないです。寝ていたら体調が悪いのが治るかもしれないし」
「そうするか……」
嘆息をつきながら、二人して保健室へ向かおうとすると突風が吹く。
「きゃっ!」
風に煽られてオリヴィアのスカートがめくれそうになる。
「やばいっ!」
必死になってオリヴィアが抑えようとするが一瞬のことなのでカバーしきれない。おおっ、と歓喜の声を上げる男子生徒がいる。渡り廊下近くの中庭には女子生徒の姿もたくさんあった。だから俺は精一杯オリヴィアに近づく。顎が顔に触れそうになるぐらい接近すれば、スカートがめくれても見えなくなる。
「えっ…………」
「きゃ!」
勢い余って体当たりした俺は、オリヴィアをすぐ後ろの壁に押し付けてしまった。倒れそうだった俺は片手で慣性の法則に抗う。スカートの中身は見えなかったはずだ。俺の身体が死角になって、なんとかギリギリセーフだった気がする。
だが、これはやばいんじゃないのか?
意図したわけではない。
しかし、この態勢は誤解を生んでしまうじゃないのか?
「これは……」
「け、剣聖様……」
今にもキスしそうなぐらい接近してしまっている。
まるでカップルのようだった。
「か、壁ドン?」
「あの二人さっきから話していると思ったら、そういう関係なのか?」
「嘘だろ。流石不良……手が早すぎんだろ。かなりショックなんだが……」
きゃあああ! と周りの女子が嬉しそうに声を上げたりしているけど、なんだこれは。偶然だ。
「ま、待て待て。勘違いするなよ。お前ら」
「聴いていませんね」
オリヴィアの言うとおり、俺の言葉なんて届いていない。
持ち込む禁止のはずのスマホを堂々と取り出して情報拡散してやがるっ! こ、これは、今日中にクラスの連中に知られる予感しかない!
「一度貼られたレッテルは剥がすことは容易じゃない――ってところですかね?」
「お前はなんで嬉しそうなんだよ……」
笑っていやがる。
こうなったらどんな事態が招かれるか分かっているのか? こいつは……。
「――賢兄様」
ゾワッ、と総毛立つ。見上げると、窓の隙間から両の眼で睨み付けてくるそいつは、まるで妖怪の類のようだった。あっ、殺されるな、これ。
「あはは、逃げよう……」




