09.取りつかれる剣聖
教室から出ていく、剣聖様の背中があまりにも寂しそうだった。
私は何故か追いかけなければならない気がして、話しかけてくれる皆さんを押しのけてしまった。
「す、すいません。ちょっといいですか!」
「えっ、ちょっと、オリヴィアさん!?」
後ろ髪を引かれる思いだったけど、私は剣聖様の傍にいたかった。
昨日あれほど接触は控え、それから目立たないようにと厳命されたけど私は破ってしまった。主の言いつけは絶対なはずなのに、私は……どうして……?
「おい! あの子可愛くね?」
「髪綺麗……。どんなシャンプー使っているんだろ。肌白いけど、あれ化粧してないよね?」
廊下に出ると色んな人が立ち止まって邪魔になる。
褒めてくれるのは嬉しけど、道を開けて欲しい。
「すいません! 横通ります!」
私に何ができるんだろう。
追いついたところで、きっと私は剣聖様にとってただの同居人。
迷惑がられているのぐらい、見ていればわかる。
それでも今駆けているのは、どうして?
『運命転移』によって導かれた相手だから?
『異世界転移パートナー制度』のパートナーだから?
どちらもしっくりこない。
こんなことしても無意味なはずだ。
追いすがる意味なんてどこにもない。
私には何ができるか分からないし、何もできないかもしれない。
怒られるかもしれないし、呆れられるかもしれない。
だけど、剣聖様の悲しい顔を見るのは寂しいから。だから、
「いや、ほんと、いいよ、というか、ごめんな!」
悲しい顔をしている剣聖様を見てしまった時は、呼吸が止まった。
今までの比じゃないほどに顔が歪んでいた。
何があったのだろうか。
私に気づかずに剣聖様は走り去ってしまった。その姿はあまりにも痛々しすぎて、見ているだけのこっちが傷ついた。――もう、追いかける気力が起きないぐらいに。
呆然と立ち尽くしていると、剣聖様と話していた二人が顔を見合わせる。
「福永先輩、なんでそこまでするんですか? あの人って昔、古巣の剣道部で何したんですか?」
「…………どうして、剣道部に三年が一人もいないと思う?」
「えっ? なんですかいきなり?」
「元々さ、俺が一年の時には二年、三年の先輩は三十人いたんだよ。でも、自分から辞めたんだよ。どうしてだか分かるか?」
「えっ? なんですか、それ? 初耳ですよ! なんですかそれ? 分からないですよ! 大体昔の話をすると先輩たちみんな口を噤むじゃないですか……。何かあるならどうして言ってくれなかったんですか?」
「言わなかったんじゃない。――言えなかったんだよ。あまりにもあの事件が恐ろしくて、後輩には言えなかったんだ」
「あの事件って……?」
私は廊下の角に隠れて聞き耳を立てる。
悪いことだと思ったが、どうしても剣聖様のことを知りたかった。
私ばかり語って、そういえば、剣聖様のことを私は何も知らなかった。
いや、一度も私はちゃんと訊いていなかった。一緒に暮らしている仲だったのに、知ろうとしなかった。でも、今は知りたいと思う。どんなことをしてでも、力になりたいと思ったから。
「俺達が入部したての頃、歓迎試合があったんだよ。一年生対二年、三年との試合があって、その日は顧問もいなかった。だから起こったんだ、あの事件が……」
「……事故でもあったんですか?」
「いいや。普通に試合して、そして数十人いた二、三年生はたった一人の新入生にボコボコにされた」
「それってまさか……」
「ああ、うちの有段者相手に黒木は無双したんだ。全日本中学剣道大会優勝者として実力をいかんなく発揮してな」
「それで、先輩たちはあまりの黒木先輩の強さに心折れて辞めたんですか?」
「いいや、それだけじゃない。彼我の実力差もあったさ。だけど心が折れたのは試合後に黒木がやった仕打ちだよ。今でも夢に見るよ、あいつのあの悪魔のような形相は。あいつは、無抵抗で泣き叫ぶ先輩たちに竹刀を振り下ろした。何度も、何度も。『すまない。もう俺達は部活を止めるから頼む、もうやめてくれ!』と懇願する先輩たちに向かってな」
「そ、そんなの、ただのリンチじゃないですか」
ごくり、と喉が鳴る。
私は何も知らなかったのだ。剣聖様のことを、私はもっと知るべきだったのだ。
私は剣聖様がどうしてクラスで浮いているのか考えもしなかった。
「あいつが恐ろしいんだ、俺達は。あんなことを平気でやるあいつが……。あんな奴に、本当は会いたくなんてなかったよ……。あいつにはスポーツマンシップなんてない。あいつは生まれる時代を間違えたんだよ。あいつが持つべきは竹刀じゃなく、真剣だ。あいつは、本当の剣の魅力に取りつかれた剣聖だ……」




