或る怪物の遺書
19世紀のとある街、その郊外で開かれたサーカスでそれは起こった。
サーカス団員による無差別の銃乱射事件。
この事件で団員、観客を含め、多数の死傷者が出た。
事件を引き起こしたのはグレゴリー・アレフレッドと言う一人の男だった。
この男は生まれつき顔の造形が歪であった。歯並びが酷いせいで口の形は変型し、両目、両耳はそれぞれ大きさが違い、位置も大きくずれていた。イボが沢山付いている大きな鼻は両目より上の位置にあった。
そのあまりにも奇妙かつ特異な姿でサーカスの目玉となり、彼の見世物は一躍有名となった。
その日もいつもと同じくショーを行った時、本物の銃を手にしてステージに乱入して犯行に及んだ。止めに来た警官にも銃を乱射し、それに対して警官は彼に向って発砲し射殺した。
これによってその場に居たサーカス団団長を含めた団員5人、観客十数人と警官が一人死亡。他多数が重軽傷を負った。
事件後、街一番の大手新聞社の事務所ではその事件の記事をまとめていた。
「ジェイソン編集長、記事の原稿が仕上がりました」
小太り気味な中年の編集長の元にやって来たのは、童顔で茶髪の若い新聞記者だった。
「ようやく仕上がったか、アレックス。見せてみろ」
編集者は原稿をアレックスから受け取った。
そして一通り目を通した後、フンと荒い鼻息をついて、原稿を彼につき返した。
「これはダメだ。やり直せ」
「そんな、一体何故です?」
アレックスの言葉に編集長は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「何故だと! お前はこの原稿を読み直さなかったのか! タイトルが『サーカスの怪物、人々を襲う』だと、内容も三流怪奇小説並の陳腐さだ。俺達が書くのは新聞だぞ。そこをよく考えろ。分かったか!」
「は、はい」
アレックスはそう返事をして、去ろうとした。
「今度失敗してみろ、担当を他に回すからな」
編集長の声が、最後に後ろから聞こえてきた。
自分のデスクにたどり着くと、アレックスは溜息をついた。
「この様子だと、また編集長に絞られたのか」
そうアレックスに言葉をかけたのは彼より幾らか年上の、鋭い顔立ちで無精髭が目立つ男だった。
「ああジョゼフ。ボロクソ言われたよ」
「あれでも甘い方さ、編集長としては君に記事を任せたのが始めてだからな。俺なんかもっと酷い事を言われたぜ。『まだサルの方がお前より良い記事が書けるぞ』だとよ、信じられるか?」
ジョセフはアレックスのテーブルの上に置いてあった原稿に目を通した。
「……まあ、編集長が言った通り少し怪奇小説っぽいが、俺は悪くないと思うぞ。だが、何であんな事件を起こしたんだろうな、あの犯人は?」
「確かに。幾ら顔が酷いと言ってもそれでサーカスの人気者だったし、生活もかなり裕福だったと聞いているしね。不景気で失業者や浮浪者が多いこの世の中、彼らに較べればだいぶ幸せだったと思うけどな」
「どうせあの犯人は顔だけでなく、ここの中身も歪んでたんだろ。正にこの記事通り、『怪物』って訳さ」
ジョセフは自分の頭を指差した。
丁度その時、事務所の入口から扉がノックされる音が聞こえた。そして扉が開く。
そこに居たのはスーツを着た恰幅の良い老人だった。
老人はそのまま編集長の元に来ると、彼と何か話していた。アレックス達は彼等が何を話していたか聞こえなかったが、編集長が自分達を指差している事に気づく。
話が終わると老人は編集長に一礼し、アレックス達に向う。
「君が、あの事件の記事を書いているアレックス・ブラウンウッドですかな?」
「ああ、そうだけど」
アレックスは答えた。
「私は街の中央銀行に勤めるバークスと申します」
バークスは彼に深く頭を下げた。
「此処に伺った理由は、貴方にこれを渡すためです。どうぞお受け取り下さい」
そう言って懐から茶色の封筒を取り出した。
その封筒を、アレックスは受け取る。封筒の表にはこう記してあった。
『私の死亡後、これを開封すべし。なお開封する者は、私の事を記事に記す者
のみとする』
これはいわゆる遺書であるらしい。アレックスはそう思った。
「この封筒を私どもの銀行に預けたのはグレゴリー・アルフレッド、例の銃乱射事件の犯人です。彼は以前からお世話になっており、事件の数日前に私共の所で契約を交わし、遺書を預けに参りました。そして当人の生前の意思により、彼の死後、この封筒を貴方に託すこととなりました。幾ら大勢の命を奪った罪人と言えど私共のお客様、その意思は尊重しなくてはなりません」
再び彼は一礼する。
「では、用事が済みましたので私はこれで失礼します」
バークスは事務所から立ち去った。
彼が立ち去った後、再びアレックスは封筒をよく見た。
「何してるんだ? 早く開いてみろよ。一体何が書かれているか楽しみだぜ」
ジョセフが横から言った。
「分かった、分かった、今から見るさ」
アレックスは封筒を開き、中に入っていた遺書を取り出した。
それには、次のような事が書かれていた。
<この手記を今読まれていると言う事は、私は死に、私が起こした事件によって多くの人々が傷付いた後であるだろう。しかし私は一切の後悔はしていない。
25年前、私はとある田舎の一家庭に生まれた。両親は私が生まれ持ったこの顔のせいで私を家の一室に閉じ込め、鎖でつなぎ止めて世間から隔離した。
親は私に食事を運んで来る時にしか会う事が出来ず。会うたびに私は親からこう言われた。「お前は怪物だ」と。こんな事を言われるなら、むしろ会わない方が遥かに良かった。
こんな生活が8年間続いたある日、変化が訪れる。両親はこの日始めて私を部屋から出してくれた。そして玄関まで連れて行くと、そこには見知らぬ男がいた。 男はサーカスの団長だった。団長は両親に多額の金を払って、私をサーカスに売ったのだ。
サーカスに売られてから私は多くのパフォーマンスが教え込まれた。だが私にはそういった類の才能は無く、とても簡単な物しか出来なかった。現に他の団員に較べて私の技術は一番下であった。
それでもサーカスでは十分だった。私が舞台に出ると、常に観客は大いに沸いた。無論パフォーマンスの出来ではない。私の、この醜い顔のせいである。
それでもそれは私にとっては嬉しかった。自分の肉親からは怪物と呼ばれ蔑まれて来たが、やっと周りが私の事を認め喜んでくれ、愛してくれた。そう思ったからだ。
サーカスは色々な場所を廻って行き、その先々で私のショーは人気を博した。その収入で生活もとても裕福になり、周りからの賞賛は相変わらずだった。私は正に幸せの絶頂だった。
だがいつ頃だからか……私の人気が増す事に比例して心の中に、訳の分からない不快感が増し始めていた。
その不快感が何であるか気づかずに、それは次第に増し続け、ショーを休む事も多くあった。
そんな中、ショーの休みが多く続いたある日、とうとう業を煮やした団長が私にこう言った。
「いい加減にしろ! 一体何が不服だと言うのだ。自分の顔を鏡で見てみろ。ろくな技術も無いお前が何故こんな生活が出来ていると思う? それはお前の人間離れした顔のお陰なんだぞ。殆ど顔を観衆にさらけ出すだけで金が手に入る、こんなに楽な生活はどこにも無いぞ」
更に追い討ちをかけるように続けた。
「言っておくが、それは逆に言えばこうした仕事以外にお前は生きていく術は無いって事だ。……この顔では誰も気味悪がって仕事を与えてくれまい。そこも踏まえて、よく肝に命じておくのだな」
私はようやくその不快感の正体を悟った。本当は気づいてなかっただけで、私もそれを感じ初めていた頃から無意識に、ある事が分かり初めていたからだ。
それは、私を両親から買ったサーカス団も、私のショーを見に来た観客達も、私を愛していた訳でも無かったと言う事だ。
私のこの顔がとても醜く、それを見たさで来ていただけであり、サーカス団はそうなると分かっていたから私を買ったのだ。
団長にそう言われてすぐにサーカスの公演があった。私がショーに出ると、今までと同じように周りは大いに沸いた。
前までは私を喜んでくれていた等と思っていたそれは、今では違って見えた。周りは好奇の目で私を見ており、面白がったり、怖がったりしていた。
こうして周りへの絶望は確実な物となった。私を見る目は昔の両親と何も変わっていない。結局私は動物園の檻に入った珍しい動物と同じく、人間ではないある種の怪物として見世物にされていただけなのだ。それよりも更に私を絶望させたのは、今までそれに気づかないで、愛してくれている、喜んでくれていると錯覚していい気になっていた自分自身の愚かさだった。
所詮、私は生まれてからずっと『怪物』であったのだ。
もはや私には生きる気力はもう無く、あるのは私を見世物にした周りへの強い憎しみだけである。これを書き終えて銀行に預けた後で始まるサーカスの公演で、私は死ぬ事になるだろう。
私は本当は普通に生きたかった。最も、この顔ではそれは不可能な話だった。
だが私を怪物としたのは顔だけでは無い。周りが私を怪物と見なして扱った事により、私が怪物にさせられたせいでもあるのだ。せめて誰か一人でも私を人間として扱ってくれたならば、こんな結末を迎えずに済んだかもしれない。
最後にこれを読んだ者に言いたい。読んだ後で私の事をどう思おうが構わない、しかし私がこの凶行を及ぶまでに至った葛藤と苦しみ、それが誰にも知られずに終わるのは絶えられない。此処に書かれた内容は記事にして出すのにもいいネタになるだろう、決して損は無い筈だ。
ただ、私はこの想いを、どうか一人でも多くの人間に知ってもらいたい。これが怪物、グレゴリー・アルフレッドの願いである>
全て読み終わったアレックスは、黙って遺書を自分の机に置いた。
「成る程、確かにこれは良いネタになるな。醜い顔のせいで人生が狂った一人の哀れな男の苦悩と最後、なかなかの物だ」
横から見ていたジョセフが関心したかのように言った。その後、彼は同情のこもった表情を浮かべる。
「だがな、まさかこの男にそこまでの苦しみを味わっていたなんて、これを見るまでは夢にも思いもしなかった。さぞ深い惨めさと哀れさを味わったのだろうな。それを俺は怪物だなんて、我ながら恥ずかしいぜ」
それをアレックスは聞いていながら黙っていた。
確かにジョセフの言う通りなのだろう。だからこそグレゴリーはその苦しみに耐え切れずに周りを大勢道連れにして非業の最後を遂げたのだ。しかしこれ以外に道は無かったのだろうか?
観客もサーカス団も彼を好奇の目で見て、面白がって利用していたのかもしれないが、それも全員が全員そう思っていた訳では無いはず。中には彼の事を可哀相に思い、愛してくれた人間がいたのではないか……
遺書の中で彼は自身の顔と周りによって怪物にされたとあったがそれだけでは無い。この苦しみを一人で抱えて自らを怪物に貶めたせいでもあると、俺は思う。彼がもし誰かに救いを求めていれば、もしそれが自分に向ってであれば、一体どうであっただろう?だが彼は死んだ。自分自身を『怪物』と認識したまま死んでしまった。答えは永久に闇の中であるだろう……
そう心の中で考えているアレックスに、突然ジョセフが声を掛ける。
「何ボケっとしてるんだよ、何を思っているかは想像つくぜ。彼の事を思うのだったら記事を書くんだな。それがお前に出来る事じゃないのか?」
確かにそうだ。彼が死んだ事実は変わらない。しかし、人々の認識は変える事は出来るかもしれない。彼を『人間』として、多くの人を死に追いやったが、自らも深く苦悩した果てに死を選んだ人間として記事を書く事。それが彼に対するせめてもの手向けだ……
アレックスは机に置いてあった記事の原稿を手に取ると、それを破り捨てた。
「確かにそうだな。よし! そうと決まればもう一度やり直しだ」
そして机に向うと新しい原稿用紙を取り出し、新たに記事を書き直した。