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一日遅れのバレンタイン

掲載日:2016/09/19

 その男が博多駅に到着した時、ラーメンではなく、うどんが無性に食べたくなったのは、懐かしさのせいだったろうか。

「最終の新幹線で行けば間に合うな」

その男は博多駅で降り、地下街へむかった。


「懐かしい。ここに来たのは何年ぶりだろう」

男はその店に入り、ごぼ天うどんとおにぎりを注文した。

ここのうどんの麺は柔らかいがダシが上手い。つい笑顔になった男はそれを完食した。

「ご馳走さま、さて行くか」

男はその店を出て博多駅に戻り、新幹線に乗った。


その男が小倉の駅で降りた時、後ろから背の高い男から声を掛けられた。

男は後ろを振り返り叫んだ。

「金山部長」

背の高い男は、男の取引先のお客様だった。

「こんなところで会うとは偶然ですね」

男はホテルにはいかず、そのまま金山部長と居酒屋に行った。


居酒屋のメニューにも九州にしかない食べ物があった。

金山部長はエネルギッシュで、すごい勢いで食べ飲んだ。

そしてエンジニアの金山部長は新しく開発した製品の事を楽しそうに話し始めた。

男も芋焼酎のロックを飲み、その話を聞いた。


少し酔った金山部長が、持っていたグラスを一気に飲み干し、突然男に言った。

「実は色々考えることが多くてね。僕、今46歳なんだけど、本当にこれでいいのだろうかと思っている。

独立するなら今だし、自信もある。でも、何をやりたいんだと自分で自分に問いかけても、今の仕事し

か僕はない。だったら、今のままでもいいじゃないかと思い時間だけが過ぎる」

男は金山部長に水割りをつくり目の前に置く。


「ありがとう」

金山部長は話を続ける。

「人間はオギャーと生まれ、そして死んでいく。これだけは誰もさけて通れない道だ。では人間として

存在した証は何だろうとも考えると、その人が社会に対して残した業績かなあと思う。画期的な発明だ

けではない。自分の子供を社会に役立つ人間に育てるのも業績だ」


金山部長はまたグラスを空にした。

「しかし人間社会、特にサラリマーン社会においては、自分を見失ってしまう事がある。

毎日、部長、部長とおだてられりゃ、偉くなった気になる。しかし社会的には部長というポストは偉い

かも知れないが、決して、その人が偉い訳ではない。だから悲劇が生まれる」


空になったグラスに焼酎を自分で注ぎ込む金山部長

「人間としての価値、僕が死んだとき、どれくらいの人が葬式に来てくれるか、葬式に来てくれなくて

も悲しんでくれるか」

ぐっとお酒を飲む。

男が金山部長くらいの人だったらたくさん来ますよというと金山部長は、にたりと笑う。


「肩書きがなくなった時、金山和夫という人間がこの世からいなくなった時、その時でも僕のことを思

ってくれる人がいれば、僕は生きてきた価値もあるし、金山和夫も価値があったといえる」


金山部長は僕の顔をじっと見て話始める。

「君は仕事では優秀だと思う。だけど人間として生きているかと聞いてみたい」

その質問に男は答えなかった、というか答えられなかった。


酔った金山部長をホテルに連れて行き、男は歓楽街へと向かった。

金山部長の「人間として生きているか」という言葉が耳から離れなかった。


男はどの店に入るか悩んだ。

しかし、この店だったら大丈夫だろうという「四季の郷」という名前の店を見つけ、店に入った。

店に入ると先客はいたが、店は空いていた。

その男の隣には、若い女性が座った。

「こんばんはサクラといいます」

サクラって最初は源氏名だと思い、世間話をする。

サクラはちょっとぽっちゃりした色白美人だ。


突然、男は先ほどの金山部長の話を始め、そしてサクラに「君は生きているって実感があるか。人と

して女性として」と聞いてみた。

サクラは言う。「私のサクラって名前は本名なの。お兄さん、桜って一年間の間でみんなが注目して

いるのはだいたい開花直前から散り始める1~2週間くらいでしょう」

男がうなずき、サクラは話し始める。


「でも桜の木はその一瞬かもしれない満開の花の為に残り350日余りを頑張っている」

サクラはクスッと笑う。

「桜の木は毎日、見る人が見れば生きているって思うんじゃないかなあ。少なくとも私は思っている。

桜の木 大好きなのよ。実は私、サクラは函館出身なの」

サクラが突然、身の上話を始め、ドキリとした男は何故小倉にいるのか聞いみた。

サクラは「お兄さん、ちょっともらっていい」といって、新しいグラスにウイスキーを注ぎ一気飲み

した。


「サクラ、女子大学生だった時に、彼と出会い、好きになって彼だけの為に生きたいと思った。惚れ

てしまったの。ちょっと彼に事情があって一緒にこの小倉に来たの。私は学校も捨て、親も捨て、家

出よ。しかし私は彼との事、命懸けだった。最初の一瞬は大変に大変に幸せだった。親の顔さえ思い

浮かばなかった」


グラスにウイスキーを注ぐサクラ。

「そして1年もたたないうちに彼に捨てられた。最初はそのことにも気がつかなかった。彼、蒸発し

たの。そして借金が残った」

悲しい笑い方をするサクラ。

「しかし私は後悔してはいない。あの人を好きになれたことは、私の一生の宝物」

グラスを揺らし氷の音をさせるサクラに、男が函館には連絡しているのかと聞くと首を横に振る。

「両親には申し訳なくて、まだ帰れない。家出前は相当もめた。しかも今になって思えば、親の言う

ことは正解だった。それも悔しくて」


男がサクラに笑いかけるが、サクラは話を続ける。

「長かったけど借金の返済がもう少しで終わるわ。それから、昨年から専門学校に行き始めたの。店

のママには学校行かせてもらって感謝している。女24歳、色々あったけど今、生きているって実感が

あるわ。男に逃げられた時は自殺も考えたけど、生きていてよかったと今は心の底から思える」


男とその店のママは店の玄関にいた。

ママが大きな声でいう。「ご来店ありがとうございました。またお待ちしています」

男も礼をして帰ろうとしてした時、サクラが出てきて、包みを男に手渡した。

「これ、私が作ったの、食べて下さい。ありがとうございました」

男は改めてママとサクラにお礼を言ってホテルへと帰った。



男がホテルで包みをあけるとクッキーとメッセージカードが添えられていた。

「今日はありがとうございました。一日遅れのバレンタインです byサクラ


PS. お兄さんには、またどこかで会えそうな気がします」

男は、時計を見た。時間は2時近かった。

「一日遅れのバレンタインか」

男は箱に入っているクッキーを食べ始めた。



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