はじまり
誰もいないオフィスの中で一人の男が笑っていた。
彼の金髪はワックスで綺麗にまとめられ、高そうな黒いスーツに青い目とおそろいのネクタイを着ている。
机の上に座り、目の前のモニターを見つめた。
男の瞳はまるでクリスマスプレゼントをもらった子供のように輝いていた。
「面白い! 日本にもこんな奴がいたとは!」
男はさらに声を上げて笑った。
普段は感情をあまり表に出さないような人だから、部下が見たらきっと驚くだろう。
いや、驚くどころか恐怖を感じる。
けど、これを観て笑わずにはいられようか。
モニターに映っていたのは一人の高校生。名前は北原夏人
髪は長く、顔を隠している。それ以外目立った特徴はなかった。体系も背丈もまるで平均ぴったりを取ったかのように普通だった。
男にとって夏人の第一印象は、どこにでもいそうな男子高校生。
モニターは日本の監視カメラと繋がっていて、夏人が歩いているところを映していた。
彼は高校の制服を着て、最近はやりのアウトドア系の大きなリュックを背負っている。
何も知らない周りの人達から見れば下校中の普通の学生にしか見えない。
そう、何も知らない一般人には...
だけどモニターで夏人の行動を数時間前から観察していた男は違う。
笑いすぎてお腹が痛くなってしまった男だけは事実を知っている。
夏人はとんでもない人物だった。
今も何事もなかったかのようにシレっとした顔で歩いている。まるで何も知らないと主張するような余裕の顔。
そのリュックには、盗まれた1億円が入っているのに。
「ハッハハハ! 素晴らしい! 見事なパフォーマンスだったよ、キタハラ!」
男は机の上にあった茶色のファイルを手にする。挟まっている数枚の紙には北原夏人のプロフィールが書かれていた。年齢や住所以外にも性格や癖、繋がりのある人物など普通は調べることができないことまでこと細かく載せられている。
指定の人物をこれほど深く探れるほど、男の勤まる組織の情報網は巨大。
男は改めてプロフィールを読むと、自分に頷いた。そしてそれに大きな印を押した。
鮮やかな緑色で「合格」っていう文字がスタンプされる。
それが何を意味するのか、夏人は一週間後知ることになる。
「喜べキタハラ、君は黒の仲間入りだ」
男は書類をまた机の上に置き、代わりに椅子に掛けてあったコートを取る。机の横にあるボタンを押して、スクリーンを消すと黒い帽子を被り、スカーフを首に巻く。部屋に一瞥すると、男はそのまま自分のオフィスを出て行った。
♦♢♦♢
〇〇月〇〇日 (金) A.M7:30
「おばさん、学校行ってきまーす」
俺は玄関で靴を履きながら、キッチンでお皿洗いをしているおばさんに声をかける。
するとおばさんは手を止めて、頭だけこちらに向ける。
「あら、もう行くの?今日は早いわね。学校で何かあるの?」
「別になにもないよ。気分だよ、気分」
「ふふふ...そう?じゃあ、いってらしゃい夏君!」
惠子さんは俺の事を微笑ましそうに見ながら送り出してくれる。多分俺に友達ができて学校が好きになったって勘違いしてる。
現実、そんなわけがない。コミュ障の俺が友達作れるわけないし、学校は相変わらず嫌いだ。
ただおばさんがそう思うように、一週間演技しただけ。騙すのは怪しまれないためで、同じクラスの田中なんて人は存在しない。
おばさんの名前は、北原惠子。
惠子さんは母さんの姉さん。そして4か月前に俺を引き取ってくれた人だ。かなりの美人で今年で46歳になるけど、
俺にはまだ30手前ぐらいにしか見えない。妹である母よりも若く見える。周りもそう思うらしく、よく惠子さんの方が妹だって勘違いされたらしい。
そんな美人で性格も優しい惠子さん、4か月間お世話になりました。
俺はもう二度とここへは戻ってこない。
笑顔を向けてくれる惠子さんに対して罪悪感が湧いてくる。わずか4ヶ月だったけど、俺のことを本当の息子のように扱ってくれた。
行く宛てがなかった俺を保護してくれた。感謝の気持ちは半端ない。
それでも俺はやらなきゃいけないことがある。
ドアから出ると、改めて家を見る。俺にとってここは第二の家。
暫くじーっと見つめて心の中で別れの決意をする。
良し。それじゃあ、一億を盗むとするか。