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開演


五月二一日、八時一五分――。

「おはよう~」

 教室の扉を開けるのと同じように口もそう開く。だが穂希の内心は穏やかではなかった。

さも、いつも通りを装うための 何の変哲もない挨拶。

 決まり文句のように、

「おはよう、穂希」

「おはようございます。平座さん」

「おは~まれッチ」

 そう返される。そこに感情の色は無い。平座穂希が来たから、反応した。平座穂希がそう言ったから、そう返した。

けれど、そんなことは今頭に入ってこない。意識をずっと縛るのは金曜日の夜の出来事。

 休日を挟んだというのに興奮冷めやらぬまま月曜日まできてしまった。

 いやあれだけのことが起きたのだ。忘れろと言うのが無理な話だ。

「ういっす。穂希~」

 天パの友人が今日も同じように前の席に座っている。

「今日はなんだか機嫌がいい感じだな。休日に良い事でもあったのか?」

「え?」

「いやだからなんかいいことあったのかって。顔に出てるし」

 普通のつもりだったがどうやら穂希が気付いてないだけで顔に書いていたようだ。意識して、表情を作り変える。

「ま、まあ」

「ふーん」

 曖昧な返事を返すと天パの友人は、何か解ったようなニヤッとした表情を浮かべた。

 しかし、いちいち突っ込む理由もないので、穂希は自席で準備をする。今日の授業も月曜日の固定枠。

 ――またか。

 今更、教室の前にぶら下がっている授業の予定表を目にしてため息が漏れた。

 内容にいかに変化があれど、国語は国語、数学は数学だ。相手するのは文字と数で大差ないだろう。それにそれらを学んだところで、使う場所や時間など人生一〇〇年の内に一体、何時間? 何分? 何秒? 在るのだろうか? 精々、学力テストや入試でくらいしか利用価値はない。そんな当たり前の中にある歪さに誰も疑うことをせず、従事している。とはいえ、社会という檻の中で穂希は異端。癌細胞のようなものだ。

 当然、当人がそれ一番深く理解し強く自覚はしている。けれども、どうしてか、口にはしないが、そういった当たり前、停滞しているとも言えるそれを嫌っている。永久的安寧よりも刹那的快楽を求めてしまう。

「おーい、穂希おーい」

 意識を失っているようにでも映ったのか頭にひじきを生やした友人が目を寄せていた。

「ん? どうかしたか」

「もう授業始まるぞー。移動しないといけないぞ」

「ああ、そうか。今日の一限目は理科室か……」

 教室で板書するよりも確かに、実習室で何か別のことをしている方が新鮮味はある。けれども、だから? となる。それはその瞬間だけだ。長く味わえばその面白さは薄れていくし、面白さ自体も苦痛に成り下がる。

 心中を閉じ込めて、支度をして席を立つ。

「そういや、また土日で被害者が出たってな」

 穂希はここ二日まともにテレビをつけていなかったせいか、そういう大事なニュースを見落としていた。

 話によれば殺人事件の中身は所謂、刺殺、殴殺の定番から放火、溺死、交通事故を装ったモノに、煮込まれたようにドロドロに溶けた身体、みじん切りのように切り刻まれた四肢、せんべいのように潰された身体。

「手段は中々にエグイな……」

 天パの友人が汚物を見るような顔をした。

 穂希はそれが狂留三佐や彼女と対峙していた痴女と同種によって行われたモノだと推測できた。なにせ、それら事件の殺人者が未だ野放しなのだ。見つかった時はすでに死者。まるで有象無象の一般人を殺して経験値を溜めて、ライバルやボスを倒すサバイバルゲームの類と感じた。

 そしてそのゲームフィールドがこの上城市なのだ。

「っと着いた。またこの話は――」

「一生しなくていいな。死を侮蔑、生を侵すそんな至愚な話は」

 珍しくお茶らけた姿を潜めて真面目な口調だった天パの友人が教室へと先に消えた。


                    □


 狂留三佐は鉄壁の仮面を引きはがして感情を露わにしていた。

校舎に添えられた大きな時計が一七時過ぎをまわったところだった。その時計を背に校内の隅。人目につかないけれども確かに人が通る場所。だが今回に至っては限定的な『人払い』を済ませてある。

 この領域に侵入できるのは――。

「いやはや。本当にお誘いに乗ってくれるとは思いもしなかった」

 同種の上位者か、対象外。正確には対象者以外を近づかせないため、が正しいか。

 そして、ここに立ち入ったのは後者。

「平座穂希。用とは何だ」

「金曜日の事だよ。夜中、学校で倒れたあなたを救急車を呼んで助けたのは僕。まあ、それくらいは知ってるだろうけど」

「なんだ恩を返せと? それで人気の無い所に呼んで身体が目的か?」

 蔑む眼差しを向ける。そこには幾重にも覇気を纏わせて微量の動揺を覆い隠していた。

「くっ、その程度で済むなら、この身体を好きに――」

「クスス。『くっ、殺せ』展開か……それも悪くないけどね。――君のそんな身体を抱いたところで何になる。たった一瞬の快楽に溺れるくらいの人生はもう飽きた。僕はもっと刺激的なものが欲しいんだよ。そうだね。言うなら、気品高い清楚な女が、性の快楽に溺れて醜く下品な醜態を晒してくれるそんなシーンが欲しい。けど、そこまで行くのに僕は時間がかかると思うんだ。特に君の様な特別な人間、いや、この場合もう人間とは呼べない気がするけど……ククむしろそういった人外を手懐けるというのもまた一興」

「お前、壊れてるな……」

 狂留三佐の眼光にはもう哀れみの色しかなかった。

「まあ、そんなことは追々として。さて、本題というか恩を返してもらうというには少し変だけど。君の、君たちの世界を僕に覗かせてほしい」

 歯車の壊れた人形の様な歪さが鳴りを潜めて、どこか誠実さすら感じる好青年へと変わった。

 狂留三佐はその異常性に戦慄する。自分と同種と戦っている時ですら感じない。蛇に睨まれた蛙と言ってもいい。歪を纏ったような、いや歪そのものと対峙している感覚に落とされる。

 一体、ここまでの怪異を身に宿しておきながら普通に生きていることに強く疑問を抱かせる。

「――どこまで知っている?」

「何も知らないし、何も見えない。精々、特異な力の一端のオーラの様なモノが解るだけで、それ以外は何も、だ」

「見て知ってどうする。お前の様な唯の人間にはどうすることも出来ない。参加権すら配布されない、良くて観覧席止まりだぞ」

 いいや、そんなのは出任せだ。実際この力を手にする前は狂留三佐自身、同性と比べて少し体が丈夫で運動神経が多少良い程度の少女でしかなかった。しかし、〝狂留家〟という環境で育った事で、必然的に人外の力を手にしたのだ。

 だからこの男が、自分達と同じ世界に踏み入ることは無いとは言えない。けれども。間違いなく、平座穂希がこちら側へと身を浸かればその異端性がさらに花開くだろう。そして、それを揮い元の世界を蹂躙するのは蓋を開けなくても解ることだ。

「ああ、それで構わない。僕はもっと未知を体験したいんだ。既知を往復するなんて飽き飽きだ」

 狂留三佐は目を細め、彼の奥底を覗く。

 やっぱり、この男は静かに狂っていた。どうしてそこまで自分の命を脅かす事に首を突っ込みたかるのだろう。

不幸中の幸いというか、狂留三佐はこの世界を知ってしまった一般人が自分だったということが救いとも思えてきた。

 ここまで魂が鋼のように硬く、炎のように激しく、色が濃すぎて黒にすら届く勢い。端的に言って上物だ。他の〝人外〟ならば、即座に食い殺している。糧としての質は〝自分達〟と同等。

「どうしたら、僕はそっち側に行ける。どうしたらそっち側に認められる。どうしたら……」

「良い、解った――」

「本当に!?」

 嬉々とした表情で穂希が近づいてくるが、狂留三佐は無自覚のまま彼のつめた距離の二倍、後退した。

 しかしそれは、恐怖からではなく。

「――ッ」

 彼が口にしたオーラ――正確には『イデア』と呼ばれるモノを展開するためだった。

「こ、れが」

 よく耐えきれたものだ。感嘆が漏れる。殺し屋が纏う殺気や大物有名人が纏うオーラが直撃した一般人というのは、大体が固まったり、怯えたり、喜んだりする。

『イデア』の場合はそれをかき集めて濃密にしたようなものだ。そのむせ返るほどの塊を受けてなお、身体が振るえるだけで止まっている。

 一応ラインだけは合格に届いている。魂に対して肉体が追いついている証拠だ。

それが最悪だった。

もし肉体が耐えられないレベルならば――逆説的に彼の魂が壊れる予定だった。とは言っても完全に壊すのではなくガラス玉にひびを入れる程度の力を出したつもりだ。

「ああ、これか。これが〝力〟の一端か。見えるし解る。これがそういうモノ……車で例えるならガソリンに当たるモノが……」

 歓喜に震える声で、見据える先。その視線で彼が『イデア』を認識したことを否が応でも理解させられた。

 これが死線を越えた証。

 唐突で刹那の出来事。呆気ないほどの瞬間。そこに含まれたのはナイフを刺して死ぬか生きるかの賭け。相手に同意を求めない一方的なソレを抜けたのだ。

「僕は参加権を得たと……」

「そんなことは――」

「ああ、お前は今この瞬間から〝俺達〟のゲームの入場権を得た。ま、つってもプレイヤーやライバルとかじゃなくてMOB。それも美味しい美味しい経験値をもったレアだけどな!」

 尊顔不遜な態度で誰かが結界の中に割り込んできた。

 狂留三佐の視線の先。穂希の後方でパーカーのポケットに手を突っ込んだ若い男が蔑むかたちでこちらを見下ろしていた。

 ただの不良なら気にする余地もない。しかし、纏うイデアが語る。俺は強者だ、と。

「クソが……」

 静かに小さく悪態をつくが、それで状況が変わるはずもない。

 このままダラダラと時間が経てば飢えたハイエナ共が脂ののったガゼルの匂いを辿ってここに集結してしまう。そうなれば、被害は穂希一人では済まない。ここに居る学生たちは彼に比べれば劣る餌だが、一〇〇〇近い数ともなればその量が質を補う。

 幸い、この目の前に佇む驕傲な男はボリュームよりもクオリティーに拘る性質のようだ。

「おい、平座穂希。死にたがりじゃないだろ、逃げろ」

「おいおい、こんなレアモンスターを俺が逃がすとでも思うか?」

 敵を排除しようと感情を沈めていく狂留三佐と獰猛な笑みを湛えた男。彼我が己の力を高めていき眼前の害を駆逐するため動き出す。

「『権限対象(アクセス)』――武蔵坊弁慶」

「『権限対象(アクセス)』――ジャックザリッパーッッ!!」

 静かに厳かに、対して吠えるように両者が魔法の言葉を唱えた。


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