繁殖する秘密
私は秘密を一つだけ持っている。
けど、それは当然だと思う。誰にだって知られたくない事の一つや二つはあるものだ。優しそうな先生が生徒を脅迫していたり、貞淑そうな奥さんが若い頃は娼婦だったりと、みんな、少なからず秘密を抱えて、生きてたりするものだ。
だから、私は引き出しの中で、こっそり秘密を飼っている。
部屋には簡単な鍵が付いていて、私の持っている鍵を使わないと絶対に中には入れない。合い鍵は誰にも作らせていない。仲の良い兄ですら、部屋への立ち入りは許さない。引き出しの中にいる秘密がいる。あれを知られてしまったら、私はもう死ぬしかない。生きてなんか行けない。
勉強机の一番下の引き出しを開けると、中で秘密が眠っている。いつも綱渡りな私とは裏腹に、秘密はすぴぃすぴぃと寝息を立てている。
「暢気なものだね」と引き出しを開けるたび、私は少し腹を立てる。私と秘密の関係は、決して公平なものではない。
秘密の存在を知られてしまったら、私は死ななくてはいけないが、秘密には特にペナルティはない。せいぜい、餌を運ぶ人間が居なくなるだけだ。
秘密を他人に知られてはいけないのは私の事情であり、秘密が抱えている事情ではない。そもそも秘密は事情を抱えない。
「所詮、他人事か? こらっ」と突っつくと秘密は小さな声で「にゅうにゅう」鳴きながら、目を覚ました。そして、私の顔を認めると、
「ごはん?」と小声で聞いてくる。
この暢気者め。
「そ、ご飯だよ。今日は給食の残りの食パン」
「パン、かたい、きらい」
「大丈夫だよ。今日はその辺も考えてきた。ちゃんと耳を取って、一緒に貰ってきた牛乳に浸すと……ほら、こうすると柔らかいでしょ?」
要は子供用の離乳食みたいなものだ。秘密の味覚は子どもと変わらない。柔らかいものや甘い物が好きで、苦いのや辛いのが嫌い。けど、カレーライスは好きみたいだ。夕食がカレーだったとき、小さな器にカレーをよそってあげたら、喜んで食べた。
「どう?」と聞くと
「まーまー」と偉そうに言う。口の周りがミルクでベタベタだ。私はウェットティッシュで秘密の口の周りを拭いてやる。
「かな子、ちょっといいかな?」
いきなり、ドアがノックされる。私は変な声が出そうになるぐらい驚いた。こんな時間に兄が帰っているなんて思ってもみなかった。今の時間、兄は部活に精を出している筈だ。
「なに、兄さん。私、勉強中なんだけど」
「この間、貸して貰った目隠しの国って少女漫画あっただろ。あれの続きを貸して欲しいんだけど」
「ちょっと待ってね」
私は秘密に「静かにしているのよ」と念を押してから、本棚から兄の所望する漫画を引っ張り出した。鍵を開けて、ほんの少しだけドアを開き、そこから兄に「はい、これ」と漫画を渡す。
「おう、悪い悪い。今日はコーチが急用とか言ってさ。自主練してろって言われてたんだが、殆どの連中が帰っちまったから暇なんだ」
「そうなんだ。じゃあ、ごゆっくり。後で取りに行くから、返しに来なくていいからね」
「おう、わかったわかった。勉強の邪魔して悪かったな」
私は兄に漫画を渡して、部屋のドアを閉めて鍵を掛けた。そして、ずるずるとその場にへたり込む。
私は大きく溜め息を吐いた。
秘密を抱えて生きるというのは、何かと大変な物である。
そんな感じで少し危なっかしい事もあったけれど、私は上手くやっていた。秘密を引き出しにしまい込み、そんな事はおくびに出さず、平凡な人間を装って生きていた。一つぐらいの秘密なら、隠しながらでも生きていける。用心を怠らなければ、幸せになれる。
私はそう思っていたし、実際、そうだったのだろう。けれど、私は用心を怠り、新しい秘密を持ってしまった。
新しい秘密を飼うことになった。
「……だ、大丈夫。大丈夫だよ。きっと」
私の秘密は二つになった。
引き出しの中では、今まで飼っていた秘密と、新しい秘密がご対面している。「にゅう?」と今までの秘密が声を上げれば、新しい秘密が「にゅう」と頷く。どうやら秘密同士でコミュニケーションを取っているらしい。
別々の場所に飼おうかとも思ったが、それでは発見されるリスクが二倍になってしまう。部屋には鍵が掛かっているけれど、その気になってしまえば、誰だって簡単に侵入できる。
兄が妹である私の部屋を家捜しする。そんな事をされたら、私に止める手立てはない。呆気なく、この秘密達は白日の下にさらされる事だろう。
「い、いいや。平気だよ、この程度なら」と私は自分に言い聞かせる。たかが秘密が二つに増えただけじゃないか。幸い、秘密達は小さいし、あまり食べないし、うるさくない。一日の大半は寝ているだけの、無害な秘密だ。なんのことはない。ただ、私は今まで通り、秘密達を引き出しにしまって隠し通せばいいだけだ。
「で、ごはんは?」
「おー、ごはん」
「わかっている、わかっているから」
私は、どうにか自分を落ち着かせながら、秘密達に餌をやった。
しばらくして秘密達はつがいとなった。どちらが雌で、どちらが雄かは分からない。そもそも雌雄の区別があるのかも不明瞭だ。秘密の生態なんて全く知られていない。だから、私は秘密が繁殖するなんて知らなかった。秘密を一緒に飼っては駄目だなんて、ぜんぜん知らなかったのだ。
「あ、ああ……」
机の引き出しに溢れる沢山の秘密達、数えたら全部で十三もいる。私は爪を囓りながら、それを一匹一匹、取り出して、部屋のあちこちに隠した。こうすれば、つがいにしなければ、秘密は増える事もない。十三で止まってくれる。秘密は小さいし、大人しい。今まで通り、部屋に人を入れずにいれば、決して秘密が明らかとなる心配はない。心配なんて、ないんだ。
「おーい、かの子ー」
「なに、兄さん」
「いい加減に下に降りて来いよ。飯が冷めるって母さん、怒ってるぞ」
「わかった後で行く」
「いや、後でじゃなくて、今出てこいよ」
「わかっているよ。ちゃんと兄さんが階段を下りたら、私も部屋を出るから」
今、ドアは開けられない。開けるわけにはいかない。部屋中に隠した秘密達が、ごはんごはんと呻いているからだ。秘密の声は、小声だ。それは囁くような声で、部屋の外に漏れるほど大きくない。けど、その小声も十三集まれば、それなりの大きさになる。ドアを開ければ聞こえる程度の……
「なあ、かな子」
「なに。私はすぐに出るって言ってるよ。それとも兄さんは私が信用できないの」
「いや、そんな事はないけどな。ただ、なんか悩み事でもあるのか。なんか最近のお前、おかしいぞ」
「ないよ」
「……そっか」
兄は階段を下りていった。
私は心の底から嘆息して、部屋を出てた。
思えば、あの時が私の分水嶺だった。あの時に、兄に助けを求めていれば、少しはマシな末路を迎える事ができたかもしれない。けれど、もう遅い。何もかも取り返しが付かなくなってしまった。
私の部屋は、秘密で埋まってしまったからだ。
安易だった。
秘密をバラバラにしておけば、つがう事はないだろう。そう私は考えていた。その時、既に秘密が新たな子を孕んでいる事に気が付かなかった。十三の秘密は、それぞれ十の秘密を産んだ。それは合計百三十の秘密となり、それらは更に子を産んだ。そうしたことを繰り返し、私の部屋は秘密で埋まった。
「ごはんーごはんー」と秘密達は無邪気に私に群がる。
私はぼんやりと、どうしてこうなったのか考えている。
「かの子! おい、どうしたんだよ、あけろよ!」と外では異変を察知した兄が、ドアを破ろうと体当たりを繰り返している。部屋に閉じこもった私を助けるため、頑張ってくれている。
けど、私の部屋には137858491849の秘密があって、それは今でも増え続けている。小声でひそひそ話をしながら、秘密達は顔をしかめながら、私の身体を貪っている。せめて食べるなら美味しそうに食べてほしいのだけど、秘密は子ども舌だ。私なんて口に合わないのだろう。そんな秘密達の一つでも、見られてしまったら私は死んでしまう。
生きていけない――いや、もうすぐ死ぬのか。
秘密を守ろうとして、秘密に食い殺される。なんて愚かな人生なのだろうか。私はおかしくて仕方がなくなった。秘密に身体を食べられながら「あはは」と笑った。
「かの子、そこに居るのか!」
「うん。いるよ」
「一体、なにが起きているんだよ!」
兄が必死に声を上げて、私に説明を要求している。確かに、この状況はどうなっているのか、兄にはちょっと理解できないか。説明しようかと思ったが、そうすると一番初めまで遡らなくてはいけない。
つまり、最初の秘密について。
どんな手段を使ってでも守ろうとした、たった一つの秘密だった。けれど、こんなにも秘密が多くなってしまったら、もう隠しているのも馬鹿馬鹿しい。
そうだね。
もう最後だし、兄さんには秘密を明かしておこうか。
「兄さん、実は私ね――」
「なんだ」
「……ううん、やっぱりなんでもない」
ごめんなさい。
一欠片の勇気すら持たない私は、貴方に秘密を告白する事ができません。最初から、ちゃんと話していればよかったのにね。勇気がないから、こんな事になってしまいました。
兄が私の名を叫ぶ。
けど、その声はもう遠い。
私は秘密に食べ尽された。